【ち:○】――地・知・恥・質・痴・稚・血・置・智・治
ち:血
´――……。
松木の話が右から左へと過ぎてゆく。今日の話は百年以上前のこの国にあったという『四季』とやらの話だった。何でも『城』のごく一部にあった謎の板は『ソーラーパネル』といって、それで光りや温かさをもたらす太陽の光を集めて『発電』とやらをしていたらしい。その『電気』とやらも、ここまで荒廃した現代では昔のように活用するのは難しいだろう。
――それにしても、その四季とやらでは今いつなのだろう?
『春』『夏』『秋』『冬』という四つの特徴のあるものに分類が可能だったそうだが、現代は基本的に『暖かい』というのだと思う。『寒い』という感覚を、現代を生きる者たちは知らない。なにせ、『城』にいた頃から烏が身にまとうのは黒いワンピース一枚のみ。それでも一度も『寒さに震える』と呼ばれるような体験をした事はなかった。ただ、肌が『冷たい』と触れた時に思うだけだ。それが果して『寒い』という事なのだろうか?
その『四季』がなくなったのも、昔の人間たちが害になる事ばかりをしたためだと松下は力説する。彼らがもっと『考えて』行動していれば、こんな世の中ではなかったはずだと。確かに、それも一理あるのかもしれない。これからでもまだ『荒廃』の逆、『発展』があってもいいのではないのだろうか。それ以前に、『発展』は『後進』の対義語だっただろうか? 烏はそんな事を考えながら、隣に座る凛々と筆談で意見を交わしあっている。ほとんどの場合、彼女とは意見も合うし話題にも事欠かない。これが『外』での『友達』なのかと自分の中の『友情』の概念が少し変わった。しかし、それでも元から曲げるつもりのない『信念』というモノは、烏の中にあった。
美鈴と話さなくなって、一ヶ月が過ぎた。なぜ時計も手帳も持たない烏がそれを知っているのかといえば、代わりに凛々が教えてくれたからだ。彼女の方が自分より前からこの『学問所』にいるのに、なぜそれほど遠回りな気の配り方をするのかが烏には疑問だった。『城』の『友達』はいつもはっきりとしていて、気持ちのいい関係だった。
『蓮杖美鈴』という少女は新しい『友達』と常に一緒にいて、わざと烏と鈴々という『異分子』とは話さないようにしているようにしか思えない。たまに目が合う事があったとしても、彼女はすぐに自分の顔を逸らした。それが何を意味しているのかは、凛々には察する事はできても、烏には未だに解らないし察せない。それでも凛々は何も言わずに、ただ烏とだけ付き合っている。
美鈴とは同じ家で生活してはいるのだが、彼女の両親は娘との関わりは反対のようだった。最初は歓迎されたのに、今では何かと邪魔者扱いだ。それは単に烏を『娘の命の恩人』だとは思っていても、決して『それ以上ではない』という、無言の圧迫のようにも思える。……『外』での『普通』は、未だに解らない。
『師匠』も、なぜこれほど生きづらいとしか思えない場所に進んで出てきたのか、今更ながら疑問だ。今では烏も様々な事を学んでいる最中だし、純粋に『知ること』は楽しい。『城』にいたままでは決して感じられなかった『殺人』とは全く異なる『快感』だ。蓮杖家への帰り道には彼の言っていた『郵便局』もあるし、入ってみてどのような仕組みで指定の『住所』に手紙が届くのかも知った。
烏としては充実した日々、かけがえのない日々だ。……それでも、あの日で出会った少女――蓮杖美鈴との関わりが一切絶たれたのは、胸に穴が空いたかのようだった。
その美鈴が、新しい『友達』と一緒にこちら――自分と鈴々を見て何かを言い合い、嫌な印象を与える笑みを浮かべて笑っている。他の者はともかく、美鈴がそんな顔をしているのは、なぜか無性に苦しかった。悲しかった。……それがなぜなのかは解らないけれども。
――これが『普通』、正しい『友達』。
実際に胸に穴が空くような感覚を味わっていたのは烏だけではなかった。美鈴もまた同様に、全く同じ気持ちを味わっていた。正確には彼女よりもさらに深いところにまでその根は深く張っており、自分で自身を無理矢理納得させているのが今の美鈴だった。『友達』に交じって、烏と鈴々を貶す。それが『友情』なのだと、何度も自分に言い聞かせる。だが、少しでも生じた疑念は、そう簡単に晴れるような軽いものではなかった。
「――それと、今日は重要なお知らせです。『城』出身の凶悪な男がこの辺りをうろついているそうです。皆さんも帰る時は集団で帰ってください」
松木はそう言いながら、烏の顔を眺めていた。
「……」
烏もそんな彼に対して色々と思うところがあったのだが、ここで自分が不平を言ったら『友達』である凛々まで何かよからぬ誤解を招くかもしれないので黙っていた。彼女は人の気持ちに敏感だから、そんな烏の気持ちを汲んで、敢えてなにも言わないようだった。……それがこのふたりの『異分子』同士の『友情』だった。
「六郷に出来た髪切り屋が、凄く腕がいいの! 今度一緒に行きましょ?」
「それは素敵ね」
「あたしもいい加減に切らないと、烏さんみたいになっちゃうわ!」
「それは嫌よねぇ!」
「美鈴もそう思うでしょ?」
美鈴は一斉に自分を見る複数の目に逆らえなくて、俯きそうな自分を誤魔化して頷く。
「……うん。わたしもああはなりたくない」
そう無理矢理作り笑いで返すと、彼女たちは満足そうに、いつもの悪口大会を始める。
「烏さんも後から来たくせに生意気だけど、私が気に入らないのはあの『異人』ね。『大陸』の人のクセに生意気だわ」
「本当に、そうよねぇ」
「早く自分の国に帰ればいいのに」
そして彼女たちは再び美鈴を見る。
『あなたもそう思うでしょ?』
そう、目が言っているようで、美鈴はやっとのことで頷く。
「うん。本当に、『迷惑』」
『友達』は満足そうに頷き合い、次の話題に移る。それは都合の悪いことに、美鈴の『傷跡』に触れるモノだった。
「美鈴のそのヘアピン、ちょっと時代遅れじゃない?」
「……え?」
「そうよ、ずっと思ってたの。今はもっと素敵なものがたくさんあるじゃない」
「日によって気分を変えるのにもいいし、新しいのをお揃いで買わない?」
「賛成!」
美鈴本人を置いてきぼりにして、話はすぐにまとまる。言いたいのに、『言えない』。これは『菖蒲』との思い出の品だと。彼女が存命の間、彼女が首謀者となって自分を除け者にした時も、このヘアピンがあったからこそ、彼女の死まで信じ抜くことが出来た大切な品だと、どうしても言えなかった。……烏とも凛々とも自ら距離を置いた今、美鈴が『友達』だと思えるのは、今この場にいる『彼女たち』しかいない。だから、『言えない』、言うわけにはいかない。
――……これが『友達』。
一行は帰り道の途中、こじんまりとした雑貨屋へと向かう。みんなはどんなものにしようかと弾む声で話し込むが、美鈴はそんな余裕などどこにもない。きっかけとなった美鈴を置いて、話題は流行のモノはどんなものかという話になっていた。
どこにでもある、『友達』の会話。だから、自分も馴染まなければならない。そう決意して、美鈴も混ざろうとした時だった。いつかの夜を思い出すような、大男がわき道から出てきたのは。
「……小娘が何人だ?」
ボロボロの服、全く手入れをされていない髪、手にした大きな鉈。……それは松木が言っていた、『城』から来た男の特徴と完全に一致していた。
「いやあ!」
「早く逃げなくちゃ!」
みんなは素早く来た道を引き返していく。『あの時』――烏に危機一髪のところを助けられた時の事を思い返していた美鈴をひとり置いて。
――え?
『友達』は誰一人として一度も振り返る事なく逃げていく。その方角はバラバラだが、逃げる速度はほとんど同じだった。当然、その場に残されたのは美鈴ただ一人。男は不満げな表情のままだが、一人でも『獲物』がいるのは喜ばしいことらしい。
「……嬢ちゃん、もしかして取り残された? 囮にされた? ……同情するぜ。俺に捕まった奴は、殺してほしいと自分から頼むようになるんだからな」
その一言で、美鈴の身が固くなる。最初に烏と出会ったきっかけ、『あの時』よりも状況はより悪い。あの時はまだ、『殺す人数』にこだわりを持っていた。つまり苦痛は少なくて済む。しかし、今目の前にいる男はあの時の男とは逆に『苦しむところを愉しむ』という事に拘りを持っている。手にしている鉈には、見た事のない『紅』で塗れていた。
逃げるべきだ、そう解っていても身体が恐怖で動かない。
「……その表情だよ、お嬢ちゃん。さぞかしいい断末魔を聞かせてくれるんだろうなぁ? まずは耳から優しくゆっくりそぎ落としてやるよぉ……」
鉈を持つ手を男が振り上げる。その狙いは宣言通り顔の側面、耳元だ。身体が動かない以上、自分はここで死ぬしかない。それもあらゆる苦痛を味わった上で。そんなのは嫌だが、手立てがない。
美鈴は痛烈に後悔した。せめて、謝りたかった。……助けて欲しかった、『あの時』のように。
――そんな都合のいい話があるわけがない。だって、先に裏切ったのはわたし……。
次の瞬間に聞こえたのは、金属音だった。鈍い鉈単体では到底出ないような、鋭い音。まるで、彼女の武器のようではないか。幻聴かと思ったのだが、だったら自分がこうして生きているはずがない。だから、幻聴などではない。その音は鋭いと同時に力強さも感じさせた。苦痛から逃れようと、せめてもの抵抗のために閉じていた瞳を開ける。
「え?」
そこにいたのは黒いワンピースを纏い、柄の紅い果物ナイフで鉈をいなす少女が一人。その正体を確かめるまでもなく、美鈴には誰なのか解った。『城』の出身者と互角に渡り合える少女など、『彼女』しか知らないし、聞いた事もない。
烏はカラスを数羽伴って、『あの時』とは全く違う動きを見せている。一撃で倒せたあの男の武器は軽いものだったのに、今度の男の武器は鉈だ。どうしても簡単には倒せないのだろう。あの鮮やかだった動きが、素人である美鈴にも明らかに解るほど、今の烏の動きは慎重だった。
男は抵抗する『獲物』など初めて出会ったのだろう、興味深そうに烏を見つめていたが、やがてその正体に思い当たったようだ。
「その服、その黒髪、そして果物ナイフ……お前がまさか、あの『殺し専門』――烏か?」
男は警戒の色を見せながらも、鉈を振り下ろす手を止めない。烏は常にそれをギリギリでいなし、その凶刃から逃れる。そして不敵に笑う。
「そうよ」
「……こりゃ、とんだ幸運だ! 『中腹』ではどうだったのか知らんが、俺は強い! 『上層部』にも行った事がある!お前はあるか、『殺し専門』!」
美鈴の頭では理解できない単語が出てきた。『殺し専門』『中腹』『上層部』……。これらの意味するところなど、美鈴には皆目見当がつかない。当たり前だ。烏から全く話を聴かなかった、聴こうとしなかったのは美鈴自身なのだから。烏の表情が硬くなったところを見ると、この男はかなり強い部類らしい。
「……不本意ながら、『上層部』には行ったことがある。でも多分、あなたとは違う部類の『上層部』よ?」
烏の頬が切れて、血がたれる。美鈴は思わず声を張り上げる。
「からす!」
烏は果物ナイフの持ち方を変える。戦法を変えるつもりらしい。カラスの群れが、一斉に男に群がる。
「くそっ! 邪魔な鳥が! これはお前がやっているのか!?」
「あなたは馬鹿なの? 自分から武器を公開してどうするのよ?」
烏は様々な音程で鳴くカラスの動きに合わせて果物ナイフを男の身体に沈めるが、脂肪が多すぎて届かないらしい。
「残念だったな? 俺の身体に下手な刃物は効かない! 諦めろ『殺し専門』! 俺こそが真の強者だ!」
少女の周囲から鳥が去ってゆく。彼女は身体のあちこちに怪我があるが、微笑んでみせた。
「あたしは仮にも名を馳せた者……目的にも気づかないなんてね。さよなら」
烏が一点に狙いを絞り、果物ナイフの刃を沈めると、男の動きは途端に鈍った。そしてあっという間に倒れてしまった。美鈴はなにがなんだか解らない。
「……銘々から聞いた事がある。『大陸』の伝説の法とその使い手の話を」
「……あの悪女から聞いていたとは……」
そして彼女は鈴の音のような声で容赦なく言い放つ。
「死ね」
「大丈夫?」
「……何で助けたの?」
「友達だから」
「……だって、わたしは!」
――わたしは何も解っていなかった。『友達』っていうのは……。
「……わたしは『友達』の資格、ない」
「友達は友たちって書く。凛々に教えてもらった。だから、あたしと美鈴は『友達』。違う?」
烏の言葉には驚いたものの、その真意は十分に察した。そして、それに応えるためにはどうすればいいのかと。
「……ごめんなさい」
美鈴は自分の『傷跡』の象徴であるパステルグリーンのヘアピンを外して、貯水池へと投げ捨てた。……烏が、笑ってくれた、気がする。
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