【ち:○】――地・知・恥・質・痴・稚・血・置・智・治

ち:痴

「美鈴、それ、似合わないわ」


 事の発端は烏のこの一言だった。それは彼女が興味のない、一応は同じ学び舎で過ごす人間――年の頃は大体美鈴と同じ少女に指摘されて初めて思った事だった。
 言われてみれば確かに彼女の髪の色には『パステルグリーン』という色のヘアピンは似合わない。美鈴の髪の色は『栗色』だし、もっと濃い色の方が似合うはずだ。『城』にいた時に『彼女』に散々おもちゃにされた経験から、烏はそういう髪を弄る遊びの用語と色の名前は聞いた事があった。それに凛々に物事を教わるようになり、辞書を引くようになってからは、彼女の中で『知識』が一気に増えていく。その過程で、思った事を述べただけだった。……それが名も知らぬ少女の『意地悪』だとは全く気づかずに。

「……え?」

 その美鈴は、『城』で烏が『獲物』をしとめる時と同じように『反射的に』、彼女が指差すヘアピンへと手を伸ばした。未だに捨てられない、忘れられない、苦い思い出のある四葉のクローバーの飾りのついた、パステルグリーンのヘアピン。それは誰がどう見ても、ぎくりとした動作にしか見えないだろう。
 実際に烏も、その彼女に文字を教えようと紙に書き物をしていた凛々もそう見えた。凛々も烏に同意した。

「私も、実は気になってたのよ。……髪型には似合うけど、なんだか貴女のイメージじゃないわ」

 その凛々は背中の真ん中あたりまである『彼女』と同じ色の髪を、頭の上部に持ってきて紐で纏めている。『外』にいた彼女たちと違い、烏は未だに『髪切り屋』にも一度も行ったことがないので、『城』から出てからも伸ばしっぱなしのうっとおしい長さの黒髪だ。近いうちに行こうと美鈴が少し前に誘ったのだが、その時はどうにもピンとこなかったので行かなかった。それからは何かと忙しくなったので、機会を逃してばかりだ。

「……そんなの、あなたたちには関係ないでしょ? わたしをひとりにして、ふたりだけで仲良くしてるくせに!」

 美鈴は自分でも驚いていた。これほどまでに『あの時』のことを引きずっていたとは思わなかった。『あの時』の菖蒲のことは、今でも忘れられない、強い記憶として残っている。……美鈴自身、このヘアピンが自分に似合わないのは解っていた。多分、烏と鈴々よりも、すっと。でも外さない、外せないのは、自分でも認めたくない、認めるのが『こわい』理由がある。 このヘアピンは美鈴にとって烏の辞書以上に意味のあるモノだった。だからこそ、理由を悟っていても外さないし、外せないのだ。それほどまでに美鈴にとっては『菖蒲』という名の少女、『友達』の存在は良くも悪くも大きかった。

「……」

 流石『秀才』と名高いだけあって、凛々は理由を大体察してくれたようだった。もしかしたら、彼女にも似たような経験があるのかも知らない。なにしろ『大陸』の出身者なのだから。自分以上に『偏見』の目に晒されていたとしてもおかしくはない。美鈴はそう考えて、胸を撫で下ろそうとした。
 その時に、久しぶりのある『鳥』が鳴いた。ここ一帯ではめったに見かけないその鳥は、真っ黒で、不吉なものとされていた。美鈴も正直に言えば苦手だった。その鳥は美鈴の『友達』と同じ名前だった。

「……どこに行っていたの?」

 烏が美鈴の母親が用意してくれた昼食――リンゴ一つを風呂敷包みから取り出した。不思議そうに烏を見やる凛々に、そういえば彼女は知らなかったのだっけ、とどうしたものか悩む。烏が教えてくれたその『秘密』は、はたして本人の承諾なしに多謝に話していいものなのだろうか。

「……烏は、なぜあんなにカラスと親しげなの?」
「……それは――」
 
 最近は食事と住居を提供している蓮杖家の家族三人を蔑ろにしている烏に、少々不快な思いをしていたところだった。出会った時は助けられたのだし、『命の恩人』に対しての最大限の感謝のしるしも示した。しかし、今の彼女はそれを『当然』のように思ってはいないだろうか? 食料だって、母親がどれだけ苦労して調達して来るのかを幼い頃から知っていた。

 ――少しくらい、いいわよね?

「実は烏はね……カラスと喋れるんですって」
「……えっ? 本当に?」
「だって、本人がそう言っていたもの。彼女が嘘をつくと思う?」

 その烏は、久しぶりに会う仲間とリンゴを分け合っている。……口に出さなくても自分の事を解ってくれる、心配してくれる『友達』。それは彼女にとって自分ではないと美鈴は感じた。烏の『友達』は同じ名前の鳥なのだ。
 凛々はその烏の様子を眺めていた。何かを思い出そうとしているようにも見える。だが、それが何なのかは美鈴には解らない。烏はカラスとのじゃれ合い――傍目には、彼女が大群のカラスに襲われているようにしか見えないのだが、当の烏が「久しぶりに話していたの」というと、凛々は完全とは言えないものの、『納得』はした。
 そして彼女は美鈴の行動に何の疑問も持たなかったようで、ただ純粋に疑問だったのだろう。それは表情ですぐに解る。それでも美鈴にとって最も『残酷』な言葉を烏は言った。

「どうして、そんな似合わないモノを身につけているの?」

 ――お願いだから、黙って。

 そう美鈴が強く願ったところで、彼女には何も特別な『能力』などなかった。……烏とは違って。

「ねぇ、どうして?」

 無邪気に首を傾げる烏は、鳥の同じ読み方の生き物と同じくらいに美鈴に本能的な恐怖を与えた。
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