Blue
二一章
平成の世で、平和を絵に描いたような世界で、スフィアは高校に通う。相変わらずの生真面目さで、周囲からは浮き、友人と呼べるような人物など一人もいない。それでも彼女は学べるだけで満足だった。この時代は平和すぎて、逆に色々と考え込むこともしばしばだ。
――朱、私はどうするべきだと思う?
スフィアの胸にあるのは、今はという前提つきだが、『弟のような』麒麟のことだった。かつて愛した朱に似た少年。彼の名に恥じない活躍をした時には素直に「流石は麒麟児だ」と感心したが、果してただそれだけの理由だったのだろうか? ……自分で自分が解らない。自分の『弟』は朱ただ一人だというのに、麒麟のこともまた放っておけない大事な『弟のようなもの』だった。
――馬鹿な。私の弟はお前だけだ。
首をブンブン振って否定しようとするが、それは逆効果らしく、かえって脳内を麒麟が占める。自分もやはり『女』である以上は感情的になってしまうのがまた嫌だった。だからこそ翆玉を兄と慕い、彼に憧れるのだ。……彼は感情に流されないから。そこがまた素晴らしいと思うのだ。
すっかり慣れた帰り道、ちょうど麒麟と出会った裏路地で、『また』懲りずに『カツアゲ』とやらをしている男二人を見かけた。あの時は動揺していたためか、脳裏に焼き付いて覚えている。彼らは相変わらず弱そうな中学生と見える少年にたかっていた。
「おい貴様ら! 少しは懲りろ!」
そうスフィアが声を張り上げると、彼らもまた『女にシメられた』という屈辱を覚えているのか、顔を見返した。
「やべ! あの時の激強ねーちゃんじゃねーか!」
「逃げよーぜ! あの女に関わるとやべぇ!」
そう捨て台詞を吐いて、男たちはすぐに退散した。殴られていた少年は痛みに耐えているようだが、やはり『女に助けられる』という事実がまた彼にとっては屈辱らしい。
「……あり、がとう、ございます」
礼の言葉がたどたどしかったのは、前歯を数本折られていたからだろう。スフィアはこんな卑劣な真似を平気でできる神経が理解できない。こんな平和な世の中で、あの男二人は一体何が不満なのだろう? 自分の生きる時代は殺したくなくとも殺さねば生きられないというのに。
「大丈夫か? 止血はしておいた方がいいな」
「いえ、だい……じょうぶです」
「大丈夫なはずがないだろう? 酷い怪我だ。骨が折れているかもしれん。用心に越したことはない」
「……」
予め寄生木家にある『家庭の実用医学』という本で、人体の仕組みから的確な処置の方法は予備知識として学んである。本当に『医学』とやらが発達した現代は便利だ。
スフィアの手際の良さに、相手の少年は明らかに動揺した。当然ながら、彼女にはその意味するところが理解できない。
「……助けてもらっておいてなんですが、あなたは、ヤンキーですか?」
「『ヤンキー』?」
「そのあおい髪の色……染めてるんでしょ? もしかして、さっきの連中の仲間だったりして……」
今度はやけにはっきり言ってきた。しかし、なぜ的確な処置が出来るからと言ってあの男二人の仲間になるのかが理解できない。そこが生きる時代の齟齬だった。
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味です。これ以上は話したくありません」
それだけ言って、彼は早々に去っていく。
――何が言いたいのだ?
やはりこの世は意味不明だ。自分の時代の方が理に適っていて解りやすい。そう思うと、望郷の念が押し寄せてくる。碧玉京、課題も多いが、これからいくらでも発達可能な国。その国の皇位継承者である立場が誇らしい。その一方で、やはり自分は『弱い』のだと思う。
――朱。私は一体どうすればいいのだ?
麒麟が寝る時には、おやすみとは言った。自分はまだ学ぶべきことがあると告げると、彼はあっさり納得した。……やはり彼は朱とは違う。朱ならばこういった義姉の微妙な心の動きに敏感なのに。
部屋のベランダに出ると、麒麟の父である悟がタバコをふかしている最中だった。構わずに、スフィアはベランダに出る。遠慮はするが。
「……」
「こんばんは、スフィアさん。この時代には慣れましたか?」
相手はタバコを消した。先に害がある物質だという事は知らされていたが、なぜわざわざ身体に悪い者を摂取するのかがスフィアには理解不能だった。煙の臭いも気に食わない。だが、それを直接恩義のある相手に言えるほどにはスフィアも図々しくはなかった。
「こんばんは」
「数日前は麒麟が悩んでましたよ。……貴女の弟さんのことについて」
「……麒麟が朱のことをどこまで話したのですか?」
「それほど詳しくは教えてくれなかったですね。難しい年頃になったものです」
彼は苦笑いをした。それはこの状況そのものを愉しんでるようでもあった。
「……」
「なんでも、その少年のようになれば貴女に認めてもらえると期待してのことらしい。ははは……本当に、単純でしょう? まぁ親の贔屓目ですが、そこがまた放っておけない可愛さがありますね」
「……確かに、彼は放っておけない可愛らしさがありますね」
「本人には言わないでやってください」
「なぜです?」
「男の意地というヤツですよ。幼い少年にもあるものです」
「……」
「それに、うちの息子の初恋は、どうやら貴女の様で。父親としては貴女のお気持ちを伺いたいところです」
「……私は、自分で自分が解らないんです。恥ずかしいことに」
「『女心』というものは難しいですからね。ご本人にも解らない事が、我々男に理解できるはずがない」
「……」
「強気な女性も魅力的ですが、弟さんは亡くされているのですよね? ……私の前でくらい、泣いたらいかがです? 泣けなかったのでしょう?」
「なぜそれが解るのです?」
「これでも貴女よりは人生経験というものは豊富ですからね。状況と貴女の気性から察しただけです」
「……」
これだから年上の男は厄介なのだと、スフィアは思わず舌打ちする。翆玉も目上だが、やけに自分に対して甘いとスフィアは思っている。それは年上の余裕というものだろうか? ……実の兄には全く尊敬できる要素がないのに。
「……泣きたくとも、私は泣いてはならない。他の誰でもない、朱のために」
「……私は『朱』という少年のことはほとんど知らないと言っていい。それでも、彼の立場ならば、貴女には泣いて欲しいかもしれませんし、逆に笑っていて欲しいのかもしれない。とにかく、彼が一番嫌だと思うのは、いつまでも自分に捕われていてほしくないという事だとは思いますよ? 少なくともそんな顔をしていては、彼は絶対に喜ばないと断言できます」
「……」
そんなふたりの会話を、こっそり聞き耳を立てている者がいた。……麒麟だ。彼は寝たふりをして、父の性格とタバコを吸う時の習慣から、こんな事があるのではないかと思っていた。
――スフィーの本音はなんなんだろう?
そんなモヤモヤした想いに捕われて、麒麟は寝ようにも寝付けない。頭だけがやけに冴える。
そしてそんな時、碧玉京で事態が思わぬ方向に発展しているとは、ふたりとも全く考える余裕がなかった。……事態は急変しているとなど、本当に予想もできないことだった。
_____________________
2015年 8月1日 莊野りず
Copyright (c) 2023 rizu_souya All rights reserved.
-Powered by 小説HTMLの小人さん-