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  十九章  

「大事な『義弟』だった」
 その一言だけで、スフィアがどれだけ『朱』という人物に愛情を注いでいたのかが窺えた。本当に優しい声音だった。直前に「やらねばやられていた」と言っていた者と同一人物のものなのか、疑問なくらいに。
 やはり彼女は根は優しいひとなのだと悟る麒麟だが、どうしてそこまで血のつながりが片方だけの人物を愛せるのかが不思議だった。逆に、血が繋がっていながらもスフィアを憎む青梅の方も疑問だ。本当に、似ても似つかない兄と妹だと思った。

「皇位継承権こそなかったが、私は朱こそが皇帝の器だと今でも思っている」
「なんで?」
「あの幼さであの利発さ、機転も利く。男子である以上は女である私よりも身体能力も高くなるだろう? ……だからだ」
「……」

 その『利発』や『機転』といった言葉の意味も、麒麟にはよく解らない。しかも手元には辞書もなかった。

「朱の母親である紅元妃は、属国である紅薄京から人質も兼ねて、現皇帝が無理矢理妃にしたのだ。彼女もまた美しいと私は思うのだが、男の好みというのはよく解らんものだな。……私とあの愚兄の実の母が寵姫をして愛されたのだ」
「『寵姫』って?」
「……お前のすぐ相手に質問する癖は何とかならんのか? 男子として恥ずべきことだと自覚しろ」

 こつん、と軽く小突かれた麒麟だが、不思議とスフィアにされる分には嫌ではない。むしろなぜか嬉しい。本当に、世の中には謎がいっぱいだ。父が考古学者という職業を選んだのも納得だ。スフィアは自嘲するような笑みを浮かべている。その意味もよく解らない。大人になれば解るのだろうか?
「『寵姫』というのは皇帝の最も気に入る妃という事だ。母は美しい。だから、男は母には参っているようだ。……本当に、男の考えというのは理解に苦しむな。そのような事情で、あの愚兄――青梅が第一皇位継承者で、その次の第二皇位継承者が先代皇帝の遺児で、きょうだいの末弟である翆玉様だ。私は実の兄よりも彼の方を慕う。彼は私よりも遥かに実力もあり、頼りがいがあり、民からの支持も厚いからな」
「……」
「そしてその次の第三皇位継承者が私というわけだ。……他のきょうだいは三十人はいるが、最有力で、他に並ぶ事なないという点で女ながらも私なのだ」
「……」
 
 またしても彼女は自嘲の笑みだ。相当、母親がスフィアのコンプレックスらしい。だが、こうして客観的に把握できるという点では、スフィアもまた翆玉と同じく民に慕われているのだろうと思った。初めて碧玉京に来た時にも『イノリ』として慕われていたし。
 しかし、彼女はそれでは納得できないらしい。案外面倒な彼女に、麒麟は何も言えないでいる。麒麟は自分の経験不足が嫌になった。趣味で考古学の図巻は読んでいても、それを生かせるほどではない。

 ――やっぱり僕は、まだまだ子供なんだ……。

 新中学生になっても、やはり子供であるという事実が悲しい。どうにかしてスフィアの気持ちを悟り、期待に応え、彼女を助けられるような、そんなヒーローのようなひとになりたかった。
 そんな麒麟の反応を案じてか、スフィアは声を発した。

「……すまない。愚痴になってしまった」
「ううん! いいんだよ。僕だってデリカシーのないことを言ったっていう自覚くらいはあるし……」

 スフィアは目をぱちくりさせたが、それはただ純粋に驚いただけだろう。その証拠にスフィアは今度こそ本物の笑い方をし、満足そうに麒麟の頭を撫でる。

「良い子だ」
「……」
 
 近所のおばさんにやられても嫌な思いをして終わりなのに、相手がスフィアとなると、嫌でも胸が高まった。男子って、やパリ単純だ、と麒麟はその男子である自分が嫌だ。更に、男子な自分が嫌だ。男子なのに、女々しいから。

「以前、朱と共に狩りに出かけた事があるのだ。その時のことだが――」

 どうやら思い出話らしい。麒麟は黙ってスフィアの言葉に耳を傾ける。



 その日は、あおく澄んだ空が飛びきり美しい青の日だった。私と朱は護衛を二人連れて狩りに出た。獲物はなかなか現れず、私は苛立っていた。そこへ朱がいつものように穏やかに笑っていた。

『義姉上、美しい大空ですよ。義姉上さえよろしければ、一緒に眺めませんか? きっといつもよりも壮大な心持になれるはずです』
『……そんな事を言っていて、獲物が逃げたらどうするのだ?』
『それでもいいではないですか。私は無駄な殺生は好みません。ここに来た目的は、あくまでも訓練でしょう? 必ず獲物を捕らえるためではないはず。獲物が出れば確かに食卓は賑わいますが、血が穢れます。大事な義姉上のお体に障ったらと思うと、私は心配でなりません』
『……』
『いい色ではないでしょうか? この空は、訓練と同等の価値があると思います。それに、美しい景色は心身の汚れをはらうと書で読みました』
『……やはり、来てよかったな。誰よりも、お前が言うのならば、事実なのだと信じられる』
『ありがとうございます』

 朱は無邪気に笑う。そこには何の裏もなく、ただ私を慕っているようだった。声が低くなる最中のことだ。それだけ幼いながらも、私の知らないことを知り、私の気性に最も効果的な事を言う。利発だろう? しかも素直だ。……ここは、ここだけは本当に似ているな。他は全然似ていないが。
 そしていざ、獲物が現れた。

『よし、弓にするか、槍にするか……』
『実践に向けてならば、弓が適しているかと考えます』
『それはなぜだ?』
『私の持論ですが、戦いは可能ならばしない方がいい。……争いというのはどのようなものであれ『傷』が残るからです。ゆえに戦争も、可能ならば避けるべきです。それも死者が出たり、貴重な物資が必要となるからです。ですが、いざ戦闘となるのならば、距離を取れる武器であれば、こちらの怪我を防げることは多くなるはず。そのようなわけで、私は距離を保てる武器を鍛えておくのが得策だと考えます。更に付け加えるのならば、複数の武道を嗜んでおくものが総合的に強いのは当然でしょう』
『……成程。流石は朱だ。まず戦わないという選択肢は私にはなかった。やはり聡明だ』

 私がそう言って笑うと、朱ははにかんだように微笑み、満足そうにした。髪型は微妙に違うが、お前の時代でいう襟足の部分が両方とも長いと言ったところか。笑顔も時々ハッとさせられる。あまりにも朱に似ているからな。
 ……この時のことだけでも、どれだけ朱が皇帝の器かが窺えるだろう? 年頃もお前より少々年長というくらいだ。



「……すごいひとだったんだね」
「私が心から愛した義弟だ。このくらいでは足りないくらい優れた少年だった。……お前とは大きく違うだろう?」
「うん」
「……その素直なところだけは似ているのがまた憎いな」

 そう言ってスフィアは再び麒麟の頭を小突く。しかし、やはり麒麟も嫌な思いはしない。……本当に不思議な事に。
 そんな気持ちが通じ合ったふたりの心を組んだのか、暖かな光が空間に満ちる。いつものあれだとふたりは同時に目を閉じる。タイムトラベル。きっと今度は平成の世に飛ぶのだろう。……そんな、全く根拠のない確信が二人の仲にはあった。光は二人を包み、確信の通り、ふたりを平成の世へと導いた。

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2015年 7月30日 莊野りず
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