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十六章
『スフィアちゃん、落ち着いて!』
麒麟の母親である、寄生木ちさとは息子の命が危ないというのに、平然と茶を飲んでいた。スフィアからしてみれば、そんな彼女の呑気さが全く理解できない。
『ですから、麒麟が死んでも良いのですか!?』
そう食って掛かっても、元来物事を深く考えない性格のちさとからしてみれば、赤の他人であるはずの麒麟にどうしてそこまで深入りするのかという疑問の方が強かった。本当に、『なぜ?』。
『……』
スフィアは黙り込んだかと思えば再び唇を震わせた。その目には涙が光っている。いつも強気と見えるはずの彼女の涙にはちさとも驚いたのだが、同じ女同士、感情の共有は可能だろうと考えた。
『なにがあったの? あの子にそこまで入れ込むだけの理由でもあるの?』
『……麒麟は、似ているんです』
『似ている? 誰に?』
『……もうこの世にはいない、大事な『弟』にです……』
その後、どれだけ朱の話をしたのかは覚えていない。彼を喪った時に涙は枯れたものだとばかり思っていたが、話を続けるにつれて、溢れるように流れ出した。……本当に驚いた。人はまだ泣けるのだと。
スフィアは寝食を共にするようになって以来、麒麟は麒麟でいいではないかと思い始めていた。確かに朱とは似ても似つかない性格と気性だが、それもまた『麒麟』という名の少年なのだと認識を改めた。あの朱だって、こんな平和な時代に生まれていれば、同じようになっていたかもしれない。
「……朱」
言葉を発するようになったのも、自分よりも遥かに早いと思った。
歩き、走る身体能力も、馬術も、剣の扱いも自分よりも遥かに長けていた。
その読書量やすぐに覚える頭脳も、自分よりも遥かに上だと思った。
そんな、大事で、大切で、愛しい弟。
それが、なぜこんな事になってしまったのだろうか?
「教えてくれ、朱よ……。お前はなぜ我が母を殺したのだ? どうなるかなど考えるまでもないだろう? なのに……なぜだ?」
現皇帝の寵姫。その身分は『愛情』が続く限り変わることはないはずだ。三十人以上いる義きょうだいの母親たちは、皆美しいが、自分の母こそが最も美しいと同じ女である自分が誰よりも知っていた。その美貌を保つために、どれだけ努力しているのかも知っていたし、愛されるためにどれほど芸や舞をはじめとした特技を磨くことを怠らなかった。だからこその『寵姫』。 性格も穏やかで優しく、誰にでも憐れみを忘れない、そんな女だった。それは実の娘である自分が一番よく知っていた。悪い事など考えない。そんな彼女から青梅のような人間がなぜ生まれるのか純粋に疑問だ。……それだけの、自慢の母親でもあった。
愛する朱が、同じく愛する母を殺した。
その事実を知った時には、思わず耳を疑った。何を言っているのだろう、と。朱が、聡明で能力を鼻にかけない謙虚な朱が、そんな事をするはずがない。母と同様以上に、自分は朱をよく知っていた。自分より幼いながらも、いつも口癖のように言っていた。
『私が義姉上を一生お守りいたします!」
そう溌剌と。その朱が、自分の嘆くことなどするわけがない。……本当に、『なぜ?』。
スフィアは勾玉を握りしめる。朱は大事な弟。だが、もう死んだのだ。無残に磔刑にされ、火を放たれて。遺骸も残らなかった。骨の一本もなかった。それほどまでに現皇帝は怒り狂った。……愛のために。
「朱、せめて罪滅ぼしをする気があるのならば、私を碧玉京へと誘ってくれ!」
スフィアはそう祈ることしか出来なかった。
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2015年 7月27日 莊野りず
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