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  十二章  

 麒麟が目覚めた時、スフィアは既に身支度を整えていた。初めて彼女と出会った時の格好をして、顔を洗っている最中だった。黄味がかかった白い麻の和服らしきものに、短い濃紺の袴を身に着けている。結び目が前に来ているのは儀式とやらのためなのだろうか。腕時計を見ると、既に十二時を指していた。こんなに寝坊したのは初めてだったので、硬い床から飛び起きる。スフィアはそんな麒麟の方を向いた。

「よく眠れたか?」

 優しい目でそう呟く彼女の髪は、今日はスカイブルーだった。それが儀式用と見える格好に似合っていた。無言で頷くと、彼女は満足げに「そうか」とだけ言った。

「朝食を持ってこさせよう。腹が空いては戦はできぬからな」
「……スフィーは食べたの?」
「いや。戻ってきてからは一度も何も口にしていない」
「大丈夫なの!?」

 麒麟の感覚では三食きちんと食べていても、おやつは欲しい。ここに来てからは不味い食事だけだった。しかも当然おやつもなし。それでも他の者よりは破格の待遇なのだ。そう翆玉に言われた時には驚くしかなかった。……それなのに、彼女は一度も食事をしていないという。だからこそ『大丈夫』と訊かずにはいられない。
 スフィアは微笑んだ。それで優しく自分より背の低い麒麟の頭を撫でる。

「大丈夫だ」

 その言葉は本心からのモノなのだろうが、心配でならない。ただでさえ彼女は細身だし、自分の命について無頓着だと昨日の会話で知った。危ういのだと彼女が『兄』と慕う翆玉でも心配するところはそういう点なのだろうと簡単に察せた。

「……なんで『コウイケイショウシャ』のスフィーがそんなことしなくちゃいけないの? 他の人に任せることはできないの?」
「違う。皇位継承者だからこそ、せねばならないことだ。己のすべきことを果たしてこそ、皇帝となれる。それがこの帝国を守り、民を導く資格が与えられるのだ」

 相変わらず彼女に言い分は難しい。だが、それだけの覚悟、それだけの意識があるからこその『第三皇位継承者』という立場なのだろうと思う。
 スフィアが左腕の袖を捲り上げた。そこには星が二つとその上下に輪っかが描かれていた。昨日門番に見せた刺青だ。彼女はそれを麒麟に見せる。

「これが何を意味するか、理解できるか?」
「え? ……星と輪っかでしょ? 偉い人ってこと?」

 スフィアは少し悲しそうな顔をしたと思ったら、それ以上は何も言わなかった。麒麟は謎を抱えたままで、スフィアと共に昨日翆玉と話をした部屋へと向かった。
 翆玉は忙しそうに木の板を組み合わせた書物、ではなく、陳情の山を相手に悪戦苦闘していた。しばらくは声をかけるのもはばかられるその真剣さに麒麟は何も言えずにいたのだが。隣のスフィアが声をかけた。

「閣下、そろそろ時期でしょう」
「スフィアか……。すまぬな、つい没頭していた」
「いえ、それでこその閣下です。……皇帝のご容体は?」
「今は安定している、と見ていいだろう」

 そこで麒麟は疑問に思っていた事を言ってみる。

「……あの、皇帝ってどこか悪いんですか?」
「皇帝は突然職務を放棄して、病床に臥せっている。皇族の直属医も匙を投げる難病だ」

 それはもしかして、と麒麟は『ある病気』の事を考えてみたのだが、実際にその調子を確認していない以上は素人の出る幕ではないと引き下がる。テレビでは頻繁に報道されるその病気。当然、この時代には概念自体が存在しないに違いない。

「では、始めましょう。支度は?」
「整っている」



 儀式の会場は貧しい人々で満杯だった。最も広い広場に大きな篝火をたき、その周辺を黄味がかった服を着た巫女らしき女性たちが囲んでいる。最も火の傍で、スフィアは燃え盛る木の棒を両手に持ち踊っている、ように見える。
 翆玉は「麒麟を頼みます」というスフィアの願いを聞き届け、皇族の専用席から彼女を見っている。その傍では痩せ細った皇帝が娘の様を見ているが、その目の焦点は合っていない。

「……これが『儀式』?」
「拍子抜けしたかね?」
「なんでご飯を抜くんですか?」
「巫女の身体は穢れていてはならない。ゆえに食事によって穢すことは許されない。それに、彼女は『第三皇位継承者』だ。皇位を継承するには、それに値する実力があることを身を持って証明せねばならならない。私としてはスフィアには素質は十分にあると考えてはいる。が、彼女は女だ。これまでに女が皇帝になった記録はない。だからこそ、彼女には並の男以上の素質がなければ駄目なのだ」
「……」

 それでスフィアはあれだけ自分に厳しかったのかと納得した。誰よりも皇帝になりたいから、誰よりも優しいからこそ自分を殺してまでも努力をするのだ。そんな彼女は三時間は重い木の棒を両手に持ったままで舞っている。苦しそうな顔は一度も見せない。そんな虚勢を張っている彼女がつらそうで堪らなくなる。
 異変を感じたのはその時だった。どこからか、誰かに見られているような気はしていたが、具体的にどこからかとは答えられなかった。その視線の正体が、今やっと解った。

「……『赤』だ」

 そのしわがれた声には、徹底的な敵意というモノを感じた。一体何事かと声の聞こえた方向――真後ろを振り返ると、そこには皇帝がいた。彼は怒りに震え、唇すらも興奮で震わせていた。

「……え?」
「逃げろ」

 そう翆玉が促そうとしたのだが、一足遅かった。皇帝の言葉に素早く反応した兵たちが翆玉もろとも麒麟を取り囲み、武器を構えている。彼らは口々に『赤』と口走る。

 ――あか? それが一体……。

 最後まで考える間もなく、麒麟はあっさり兵たちに捕われた。彼らはまだ『赤』という単語を繰り返している。

「皇帝閣下! 彼はスフィアの……」
「ええい、やかましい! 我が最愛の妻殺しの罪、たっぷりと味わわせてくれるわ!」

 ――妻殺し?

 そんな麒麟の疑問はすぐに消えた。考える余裕もないくらい、乱暴に麒麟を捕える兵の腕の中で、翆玉の声を聞いた。

「彼は似てはいますが朱ではありません! どうか目を覚ましてください!」
「言い訳などいらん! 『赤』は一人も残さず滅ぼすと決めたのだ。邪魔立てするのならば貴様かて容赦はせんぞ!?」
「……ぐっ!」

 翆玉にはそれ以上援護の言葉は見つからないようだった。……そうして麒麟は兵に連れて行かれることになる。その事など露とも知らないスフィア、この場合はイノリは、儀式に集中していて、その事など全く頭になかった。

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2015年 7月18日 莊野りず
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