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  十章  

 ここまで来た道にあった一般的な家とはまるで違う。どう見ても素材は煉瓦で、それを幾重にも組み合わせて多分瀬作業でここまで組み上げたのであろう。この城という建物はそれだけの格式や伝統というモノを感じさせる。……もちろん麒麟はそんな言葉など知らないのだが。
 スフィアはそれなりの高さのある、窓と見える場所から植物が生い茂る建物を睨みつけるように見上げる。『第三皇位継承者』ということは、それなりに『偉い』立場のはずだし、先ほどの人々のような粗末なものを纏ってはいなかった、出会った時から。ならば彼女が今考えている事と言えば、「帰ってこられて良かった」だと思うのだが、その読みはどうやらハズレらしい。

「……行くぞ」

 それまで黙りこくっていたスフィアが先を歩く。慌てて彼女を追いかけると、相手は振り返り、真剣な眼差しで言った。

「いいか、私から離れるなよ? 離れたら『死』が待っている。……ここはそういう場所だ」
「……え?」

 この平和そうな城のどこにそんな危険要素があるのだろう? 確かにスフィアは複雑な立場なのかもしれないが、そこまで警戒する事はないだろう、とは思った。しかし、先ほどの食事の時に彼女はさらりと毒の話をしていた。スフィアは冗談を言うような人間ではない。と、いうことは……事実?
 そう考えるとぞっとした。これまでは食事が美味しいのは当たり前で、おやつも食べられるのが当たり前。飢餓に苦しむ子供のニュースを見ても、ただ思うことは「大変だなぁ」という事だけだった。そんな麒麟だからこそ、現在いる古代と見られる時代の厳しさを垣間見た。
 青くなる麒麟に気が付いたのか、スフィアは手を差し伸べてきた。まるで「大丈夫」だとでも言いたそうな表情で。そこに見えるのは、自分に誰かを重ねている見知らぬお姉さんの顔。

 ――スフィーが必要としてるのは僕じゃないんだ……。

 出会ってまだ半月という短期間で、そこまで仲良くなることの方がおかしいだろう。だが、そんな可能性を考えられるほど、麒麟は大人ではなかった。そんな麒麟の気持ちを察したようではあるが、スフィアは彼を後に続かせる。彼女なりに麒麟の事を気にはかけてはいるのだが、ここはそれほど安全な場所ではない。『自分の弱点を知られること』、これこそがスフィアが最もこだわることだった。なぜならば、彼女は自身の甘さのせいで最愛の弟を喪ったのだから。  うしろをとぼとぼと歩く麒麟を見ながら思う。

 ――お前にそんな顔をさせるのは本意ではないのだ。解ってくれなくてもいい。……ただ、お前が無事ならば。

 内部へは今度は簡単に入れた。警備もゆるく、兵士と見えるおじさんが五人立っているだけで、スフィアの姿を見つめると、すぐに彼女の素性を見抜いた様だった。

「お帰りなさいませ、スフィア様! 今までは一体どちらへ?」
「清とかいう国でも視察してきたのですか? あそこは単なる新興国ですよ? 学ぶ事などないと考えますが……」
「静かにしろ貴様ら! やっとスフィア様が帰還されたのだぞ? これ以上皇族に負担をかけるわけには――」
「ところで、その奇妙な衣はいかがされたのです?」

 そこで高校の制服に五人のおじさんは釘づけになり、じっとスフィアを見つめる。

「いや、見聞を広めに行って来ただけだ。心配もいらん。この少年は私の連れだ。……通しても構わんか?」
「……『赤』ですか」

 やはりまた『赤』という言葉が彼らの口々から飛び出してくる。髪が赤いからなんだというのだろう? 何かの差別だろうか? 古代でも自分はやはり差別されねばならないのか?
 そんな事をグルグルと考えていると、門を守るおじさんの一人が言い出した。

「スフィア様のお連れならば大歓迎ではないか!」
「……だが、しかし――」
「この少年はどこか朱様を思い出させる。スフィア様がお気に召すのも道理ではないか?」
「……」
「……」

 やはり自分の髪の色のことはかなり重要らしい。外国では普通にいる赤毛の少年少女とどこがどう違うのだろう? キリンの方がやや原色に近いというだけで、そこまで差別されるいわれはない。そう言おうとしたら、スフィアがこちらを振り向いて手を握った、力強く。

「そういう事だ。通しても構わんな?」

 スフィアはそれだけ門番と思しきおじさんたちに告げ、麒麟の手を引いて城内へと足を踏み入れた。
 城内はこれまでの建物太はまるで違った。素材はもちろん、建物の大きさ、人々の数。これは確か学校でも耳にしたし、父からも悲しい目をされながら聞いたことがある。彼ら彼女らは『奴隷』なのだ。皆一様に暗い顔をして、痩せすぎた身体で重そうな荷物を運んでいる。その中には麒麟より幼い少女も、老人もいた。まるでそれが当たり前のようにスフィアは黙って通り過ぎようとした。

「スフィー、なんであの人たちは働いてるの? お金はもらえてるの?」
「奇妙な事を訊くな。あれらは従属国の出身者だ。我が国に戦で負けた者たち。その者たちの行く末など考えなくともわかると思うが?」
「……まさか、ただそれだけの理由で?」

 麒麟はぞっとした。ただ一度だろうと『負け』れば全てを奪われる。まだ学校では習っていない範囲だし、幸運にも父が考古学者だからこそ、この事実の意味が理解できた。スフィアは涼しい顔でそのまま麒麟の手を引いてゆく。初めて触れた彼女の手が冷たく感じられる。
 入り口から最も離れた場所は、やけに広かった。この時代にしては多分豪華な部類に入るであろう調度品が並び、いい匂いがする。そこがどんな場所なのかは一目瞭然だった。原石の色とりどりの宝石がちりばめられた玉座があったからだ。……ここはスフィアが将来座る場所――皇帝の政治の場だろう。
 その玉座に腰かけていた翠の髪の若い男性が急に立ち上がる。その傍には側近と思われる若い男女がパピルスを広げていた。他にも木製と見える本が左右に山積みになっている。その男性は麒麟的には『お兄さん』で、身なりは庶民よりも質素で、身体の線も細くはないが、痩せている部類に入る。顔立ちは優しげなのだが、やはりお兄さんだとすぐに解る。

「スフィア……!? スフィアなのか? 本物か、本物なのか?」
「お久しぶりです、義兄上」

 あのスフィアが礼儀正しく頭を下げる。『あにうえ』ということは兄弟なのだろうと麒麟は思う。しかし、スフィアが『妹』というのもなぜか不自然だ。彼女はあちこち破れた酷いざまの制服を着ているが、相手のお兄さんはさらに酷い。元々簡素なものを何年も使っているのだろうが、穴は空き、生地自体もほつれている。そんな彼はスフィアの名前を連呼しながら、妹を強く抱きしめる。……その光景はどこかシュールだった。

 ――このお兄さんって、もしかしてシスコン?

 そんな事を考えている麒麟にやっと気づいた様子の彼は、一瞬だけ怯んだのだが、すぐに笑ってスフィアに尋ねた。

「……あの少年は誰だ?」
「私が世話になった少年です」

 スフィアがこれまでの事情を話すと、相手はしばらく姿が見えなくて心配だったとやや過剰としか思えない心配を口にした。そして妹が無事だったと知ると安堵したように胸をなでおろした。彼は今度は彼は麒麟に向き直り、自己紹介を始める。

「私は碧玉京第二皇位継承者の翆玉という。現在は現皇帝に変わり、摂政の任についている」
「……僕は、寄生木麒麟です。お姉さんとは――」
「相変わらずだな、愚昧。まだあの愚弟を忘れられんと見える」

 麒麟が自分とスフィアの関係を説明しようとしたところで邪魔が入った。どう見ても三十代の女性、『おばさん』にしか見えないその人は、古代独特の化粧をしていた。翆玉が頭を抱える。

「……貴方こそ、ですね。愚兄が」

 互いに罵り合っている、ということまでは理解できたのだが、具体的にどのような関係なのかは麒麟には解らない。そこで翆玉は悲しそうに耳打ちした。,br>
「彼は青梅。スフィアの実の兄だ」

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2015年 7月9日 莊野りず
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