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  8章  

 ――あおい。すべてが。

 麒麟は目の前に広がる『あお』を見て、ぼんやりとそう思った。空の色もあお、海の色もあお、植物は流石にあおではないが、周囲のあおに比べればそれは全然『みどり』ではない。これだけ圧倒的なあおの世界を、麒麟は生まれて初めて目にした。

「……ここが、『ヘキギョクキョウ』?」

 呆然とそう呟くも、手を繋いでいたはずのスフィアの姿はない。麒麟は途端に心細くなってきた。あれだけ焦がれた見知らぬ古代が、急に恐ろしく思えてきた。目の前のあおは人工物など一切なく、喉が渇いているのに自販機の一つもない。こんなことになるのならば、もっとコーヒー牛乳を飲んでおくべきだった。そんな呑気なことを考え始めると、一気に気が楽になった。元々彼はそれほど悲観的になるような少年ではなかった。それが幸いした。
 ほんの少しの『みどり』、ヤシの木でもなければ南国にあるような類の木でもない、そんな見た事もない木の葉が揺れたかと思うと、待っていた人物が顔を出した。その手には、これまた見たことがない果物のようなものや、木の実のようなモノが山になっていた。

「心配したんだぞ? お前がいつになっても目を覚まさないから……」

 優しい声音で告げるスフィアは、実際に心配してくれたのだろう。木の実を取る時にでも掠ったのか、目の下にはいくつかの切り傷が出来ていた。じっと見つめると、そこには涙の跡のようなものが見える。

「……スフィー、怪我をして痛かったの?」
「そんなわけがあるか! この私が怪我ごときで泣くものか。……そんな事よりもお前だ。怪我も病もないか?」
「うん、僕は大丈夫」
「そうか。良かった」

 スフィアはやっとの事で安寧を得たようだった。自分は高校の制服のあちこちに穴を開けながら、顔や手足に傷をつけながらも、それには全くの無頓着だ。麒麟にはそこまで心配してもらうような事情などないのだが、彼女からしてみれば美しい自身の身体の事など二の次らしい。

 ――ヘンなの。なんでスフィーはこんなに綺麗な人なのに……。

 その当のスフィアはさっそく集めてきた木の実と果物で、簡単な料理らしきことをしている。言葉遣いから受ける無骨な印象とは裏腹に、その手際はよく、よくもあんな食べられないような食材でこれだけおいしそうなものが作れるものだ。麒麟は素直にそう思った。それを伝えると「当然だ」と彼女は涼しい顔で言った。ちなみに怪我は軽く周囲の水――どう見てもここは島なので、それは海水だろう――で軽く傷口を洗っただけだ。なのに、ここまでも無頓着。……やはり彼女は麒麟の感覚からしてみれば『ヘン』だった。

「我ら皇位継承者は、いつ何時に食事に毒を盛られるかも解らんし、暗殺の危険はついて回る。自分も、大事なモノも、全てを守るには、まず『力』だ。それがなければなにも叶わず、ただ奪われるだけ。……ここはそういう場所だ」
「毒!? 本当に? でも、昔は――」
「『昔』もなにもない。今我々がいるのは碧玉京だ。食事を終えたら軽く案内してやる。……『コウコガクシャ』というお前の父が見たらどう思うのか、改善点などがあればぜひ意見を求めたいところだ」
「……」

 スフィアは始終真面目な顔で、自分が取ってきた食糧を食べていく。若い女の人が食べる量とは思えないが、ここで食べなければ次にいつ食事にありつけるのかも解らない。彼女に倣い麒麟も一口、勇気を出して食べてみるが――。

「苦い!」

 未だに子供味覚、いや新中学生ならば無理もない。それはほんの少量のスパイスで味をつけてはあるが、あくまでもそれはまずさをごまかすためのモノだとしか思えない。スフィアがした『料理』というものは、この時代では『食べられる状態に加工する』という事らしい。スフィアはまたしても心配そうに麒麟を見る。

「大丈夫か? だが、次はいつ食糧が手に入るのか解らない」
「……うん。スフィーは昔からこればっかり食べてたの?」
「あぁ。確かに味は悪いとは思うが、腹さえ膨れるだけまだいい。貧しい者は、何が危険なのかの知識もない。……だからこそ、誰もが貧困にあえぎ、ありもしない太陽の神に縋る。……誰かが立ち上がらねばならないのだ」
「……」
「すまないな。お前にはもっと美味いものを食わせてやりたいのだが、上に立つ者が贅沢をしておきながら、自分たちばかりで食糧を独占したら説得力がないだろう? だから、耐えてくれるか?」
「……スフィー」

 彼女の眼は本気で『皇帝』を目指すような眼だった。爛々と輝いて、前向きだ。彼女が皇帝になったのならば、きっとまだ見た事もない『ヘキギョクキョウ』も平和で優しく、食べ物だって好きなだけ食べられるような国になるかもしれない。


 ――でも僕は、やっぱりまだ子供だったんだ。……そのことを、僕はこの後で強く後悔することになる。

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2015年 7月7日 莊野りず
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