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  六章  

「それではここまでで解らない――」
「はい」

 凛とした声が、ざわざわと騒がしい教室に響く。『彼女』のその一言で姦しいお喋りは止み、誰もが「またか」という目で声の主を見る。更には教師への同情の視線も。この授業を担当している男性教師からしてみれば、そんな視線など浴びる筋合いなどないのだが、この奇妙な転入生にはほとほと手を焼いていた。……それは多分、他の教師も同様だろう。

「なぜ、そこで誰も立ち上がらないのです? 身分で逃げるべきではない!」

 その時の授業は世界史で、ちょうど剣闘士奴隷の映画をみんなで鑑賞し、それぞれの考えを述べる授業だった。それ自体は悪いことではないはずだ。しかし、この高校は所謂ランクの低い高校で、授業の質にこだわり受験するものはほぼ皆無だった。ゆえに、授業も基本的には誰も聞いていない。
 その中でつい先日の転入生である彼女は、何の遠慮もなしにもっと詳細を聴きたいとねだる。教師にはそれぞれプランがあるというのに、それをまるで無視して。そのこと自体はいい事だし、今時感心な少女だと思う。……それが『やり過ぎ』でなければ。

「教科書にも載っているはずですが? ……スパルタクスは身分差別を――」
「いいえ!」

 彼女は机を強く叩いて反論する。その勢いは。まるで猛獣が草食動物を噛みつくときのようだ、と男性教師は思った。そのくらいの迫力と眼力がある。

「スパルタクスとやらは立ち上がった! これ以上ない好機、なのになぜ誰も後に続かない!? 私にはそれが理解不能だ! 本気で身分差別をなくしたいのならば強くあるべきだ!」

 この年頃の少女の言い分とは思えない、勇ましい言葉に、クラスメイトが揶揄するように笑う。それは特に男子が顕著だ。奇妙な色の髪は置いておいても、少女は十分『美』がつく容姿だ。そんな彼女が今時教師の方が委縮するくらい真面目に校則を守り、生真面目に授業を受けている。その構図が、男子生徒にはおかしくてたまらないらしい。

「寄生木ー! お前、何マジになってんの?」
「せっかく美人なんだしさー、俺らと遊びにいかねぇ?」
「もっとスカート短くしろよ。このガッコでその長さって……ありえねーし!」
「真面目すぎるんだよ、お前! 空気読め!」

 そんな言葉に彼女は彼らを睨みつける。

「貴様らは何を言っているんだ? 学校というのは専門家に教えを乞いに来るところだろう? 真面目で何が悪いんだ?」

 彼女の言い分には、それまで囃し立てていた男子生徒はもちろん、その男性教師さえも言葉を失う。校則を守らせる立場なのに、スカート丈が短くても注意できない自分が情けなく思えた。
 授業終了のチャイムが鳴ると、彼女は礼儀正しく教師に挨拶をし、頭を下げる。

「それでは、明日もご教授願います。私は忙しいので失礼」

 彼女――三日前に『寄生木スフィア』と名乗った少女は足音すら立てず廊下を走り去った。



 あれから――スフィアが寄生木家に世話になる事が決まった時は、母は特に驚かなかった。「まぁ、世の中って何があるか解らないからね」とお茶を飲みながらのほほんと言った。対照的に、興奮していたのは麒麟の父だった。

「……本当に、古代の?」

 彼――寄生木智という麒麟の父親は、まるで神々しいものでも見るかのようにスフィアを一通り拝んだ。手を合わせて、涙すら流しそうだった。流石のスフィアもそこまでの反応をされっるとは思わなかったのだろう、明らかに狼狽していた。

「――それで、いつ帰れるか解らないから、家に置いてあげたいんだ!」
「もちろん、良いに決まっている!」

 一人息子の言い分もあるし、考古学者としてこれ以上の幸運はない。なにしろ、研究でしか推測できない古代の生活というものを直に己の耳で聞ける。これ以上の喜びはない。そして彼はスフィアに向き直り言った。

「高校に通いたいのだよね? もちろん学費も生活費もその他雑費も気にしなくていいから、好きなだけいてくれ! いや、ずっといてくれても構わないし、こちらが困るなんて事は一切ないからね!」
「……はぁ」

 スフィアはやや調子が狂ったようにそう返事をした。その後、一時間も経たないうちに、彼女でも合格が容易いと思われる高校――古代の情報で解ける教科にしか力を入れていない高校を探しだし、彼女に編入試験を受けさせたのだった。


「……本当に、ここまで世話になっていいのだろうか?」
 湯上りにコーヒー牛乳を飲みながら、スフィアは傍らの麒麟に語り掛ける。麒麟はその意味がよく解らないのだが、やはり考古学者の子供だと自分でも思う通り、彼女といるのは楽しい。どんな話をしても自分の考えには及ばない事を言うし、ためになる。
「いいんだよ! 僕もスフィーとはずっと一緒にいたいし!」
 これは紛れもない本音だった。その言葉にスフィアは借り物のパジャマの上からでもぶら下げている蒼い勾玉を握りつけた。


「……碧玉京、今はどうなっているだろうか……?」

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2015年 6月30日 莊野りず
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