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五章
「……」
「……」
約五分ほど、二人は無言で見つめ合った。実際には本当に少しの時間ではあるが、彼ら――特に麒麟には十分にも二十分にも感じられた。相手のお姉さん――スフィーは何事かを考え込んでいる。怒ったような顔をしたり、悩ましげな表情をしたり、再びまた怒ったような顔をしたり……。
実際に彼女は様々な事を考えて頭がパンク寸前だった。『自分のいる場所が碧玉京ではない』ということまでは理解可能だったのだが、自分よりもはるかに幼い目の前の少年が、自分より多くの言葉を知っている事に驚いた。まさに、彼こそが実は麒麟児なのではないか? そんな事を考えていた。そして何よりも謎の言葉――一度も耳にした事のない異国の言葉『タイムトラベル』とは一体何なのかを考えていた。『タイム』という言葉は一度だけ異人が使っているのを聞いた事があるが、尊敬する義兄でさえも意味は知らなかった。……それほどまでに高度な事を容易く言ってのける少年には可能性を感じずにはいられない。更に『赤髪』という特徴が、やはり嫌でも朱を思い出させた。
そんなスフィア、もしくはイノリの考えている事など、もちろん麒麟の知るところではない。彼は彼で、これからの事を考えていた。
考古学者で数冊の書籍も執筆した事のある父が、口癖のように言っている言葉があった。『タイムスリップが出来たらなぁ。もっと詳しい研究が出来るのに……』。その『タイムスリップ』が実際に起こったのだ。目の前のスフィーは嘘を言うような『悪いひと』には全く見えないし、始終真面目な顔を崩していない。その彼女が着ているのは、父がよく話して聴かせてくれるような、粗末で素朴な素材でできているとしか思えない謎の服。しかも彼女は『イジメ』という言葉すら知らなかった。……それと全く根拠にはならないのだが、自分と似たような常識外れの『青い髪』だ。
これらの要素から、彼女は『大昔からタイムスリップしてきた』と少年は判断を下した。そして、更に言えば少年はそのタイムスリップというモノに父の影響を受けて、大変な興味を持っていた。SF小説もたまに読むのだが、作り話と実際の体験は全くの別物であることは彼にもよく解っていた。
そして二人は同時に口を開く。
「あの!」
気まずくなって、互いに視線を逸らした後、再び向き合う。
「なんだ?」
「なんですか?」
またもや二人同時に言ったのだが、スフィアは無言で麒麟に先を促す。
「どうやって、この時代に来たんですか?」
「……時代? どういう意味だ?」
ここで麒麟は『タイムスリップ』について、自分の知る限りのことを話した。横道に逸れがちだったが、スフィアは無言で頷き、定義と概念を大体理解した。
「つまり、『たいむとらべる』というのは時間を移動する、という事でいいのか?」
「まぁ、そうです。……驚かないんですか?」
「私が気づいた時にはここにいた。確かにいつも通りの勉学に励んでいる最中に、だ。突然だった。その原因が、その『たいむとらべる』とやらならば、何の疑問も残らない。……どこに驚く要素がある?」
「……ないですね」
只者ではないこのお姉さん相手に、実は大変な事態なのではないかと理性が告げるのだが、一度湧いた好奇心はなかなか収まらない。そして麒麟は質問を重ねる。
「それで、何か心当たりはないんですか? 僕が読んでるSFとかだと、なにか合図みたいなものがあるのが定番なんです」
「……『定番』という言葉の意味は、その書物で調べてみるとしよう。心当たりはただ一つ、朱の形見の勾玉が急に光り出したのだ。辺り一面を包み込むような強烈な光で、私もその中心部にいた。だからその『たいむとらべる』とやらに巻き込まれたのだろう」
「勾玉?」
スフィアは衣の前をくつろげて、その中から見事な蒼い宝石でできた勾玉を取り出した。麒麟が知るような整ったカタチではないのが残念なくらいの、見事な……多分サファイアでできたものだ。
「……キレイ」
「朱の形見で、私の命だ。見事な碧玉だろう?」
「『へきぎょく』?」
「碧玉がどうかしたか?」
麒麟はすぐに辞書で『へきぎょく』を引いてみた。そこには『サファイアの別名。碧玉』と書かれていた。これで更に確信を強める。彼女――スフィーが古代人なのだと。
「……ところで、お前の着ているその変な衣は何だ? 軍にでも所属しているのか?」
「え、ぐんたい? いや、これは制服ですよ! 僕は今年から中学生で、十三歳なんです!」
先月誕生日を迎えたばかり、という事は伏せておいた。そして制服を着るのが中学校からで、中学校というのは勉強をするところだと彼女に説明した。もっとこのお姉さんと仲良くなりたいから。……麒麟はいつの間にか彼女の事を完全に信頼しきっていた。彼女は難しそうな顔をしたが、何かを思いついたらしい。
「……揃いの衣で同族意識を煽り、士気を高める。しかも所属も一目瞭然。さすがは、我々よりも進化しているだけのことはある! よし、決めたぞ。私もその『チュウガッコウ』とやらに行く!」
「えっ? ……スフィーには『高校』だと思う。中学生は無理だよ。そんな大人っぽい中学生なんて見た事ないもん」
「『コウコウ』?」
「中学より年上の人が行く学校だよ。スフィーは頭が良さそうだし、高校の方がいいと思うよ? それに僕の父さんも、きっとスフィーは大歓迎だよ!」
そして麒麟は自分と彼女が実は似た者同士なのではないかと思い始めていた。『普通』ではない対象的な『髪の色』、互いに互いのことを『知らない』、そして何より、麒麟も彼女と同じく『宝』を持っていた。
「……これは僕の『宝物』。ルビーの勾玉だよ」
「『るびー』は知らんが……見事な紅玉の勾玉だな。これはどうしたんだ?」
「うちに代々伝わる『家宝』だから、きっと僕の身を守ってくれるって言って、渡してくれたんだよ。……ちょうど、スフィーのと似てるでしょ?」
麒麟の勾玉も、ルビー自体は美しいのだが、形が歪だった。下手をすればただの石ころとして捨てられていたかもしれない。しかしそうならなかったのは、素材があまりにも美しかったからだ、と父は仮説を立てている。根拠があまりにも弱いので、相変わらず学会では相手にされないけれども。
「これはもしかしたら、勾玉の縁かもしれん。いつ戻れるのか不明な以上、どこか雨のしのげる場所が欲しい。……すまないが、麒麟の家庭に厄介になってもいいだろうか?」
今までの尊大な態度が嘘のように、スフィアがそう言って頭を下げた。若干強く唇を噛んでいるようだったのだが、その理由は、彼女について何も知らない麒麟には当然わからない。
少年は微笑んだ。見知らぬ者との出会い、見知らぬ憧れの世界に行けるかもしれないという根拠のない期待が彼をそうさせていた。
「顔を挙げてよ。僕のうちでよかったら、ずっといてもいいんだよ? これからよろしくね、スフィー!」
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2015年 6月27日 莊野りず
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