Blue
四章
その朱に似た少年は『ヤドリギキリン』と名乗った。
我が国に伝わる文献にも『ヤドリギ』という文字は『寄生木』とも書いたり、『宿木』とも書かれていた。あまり意味は変わらないのだろうが、いかにも脆弱そうなこの少年には『寄生木』の方が相応しいのではないかと思った。
『キリン』も、目の前の少年とは真逆と言っていい。才能の片鱗を感じさせることもなければ、勇気の欠片もなさそうだ。ただし、その赤い髪だけは嫌でも朱を思い出させる。
――朱、私の『弱さ』と『罪』の象徴。
今でも鮮明に思い出せる、あの時のことは。嫌だと思っても心から消えない。朱のためならば、私は喜んで代わりに死んだ。進んで命を投げ出した。皇位継承権こそなかったが、あの麒麟児ぶりは、まさしく王の器だと思っている。……死んだ、と理解はしていても。
「……お姉さん?」
麒麟が私を心配そうな眼で見る。それだけ感傷に浸っていたのだろうか。見た事もない品々が所狭しと並ぶ酷く狭い空間は、彼の部屋だそうだ。……やはりここは碧玉京などでは断じてない。我が碧玉京はもっと広大な国だ。こんなみみっちい空間は私の部屋よりも遥かに狭い。
「……すまない。考え事だ。ここは『ニホンのトウキョウ』だと言ったな? では残念ながら、我が碧玉京とは違う国だ。そして、ありえない事だが、どうやら私は移動したらしい」
「移動?」
「ああ、そうとしか思えない。様々な可能性を当たってみたが、未熟な私が考えつくのはただこれだけしかないんだ」
……悔しくてならない。私は碧玉京、第三皇位継承者スフィアだ。なのにこんな自分より遥かに幼い少年の前で、よりにもよって迷うなど、あってはならない! なにが、皇位継承者だ! なぜ私はこれだけ未熟なのだ!
「……あのー? 大丈夫?」
「大丈夫だ! お前は何も案ずるな! 私が必ずこの状況を打破してやる!」
「うん。でも僕は困ってないよ?」
――なんたることだ! この私が年下に気を使われているだと?! あってはならない、大恥だ!
文字通り頭を抱える。大分時間が過ぎたが、目の前の少年は巻き込んでしまった対象だ。私の考えが確かならば、この場所と碧玉京の相違点を整理しておいた方が後々のためではないだろうか?
「……碧玉京という帝国に聞き覚え、思い当りはないか?」
「『ヘキギョクキョウ』? ……ないです」
「やはりか……。では、この国の統治者は誰だ? 摂政か、それとも皇帝が直々に統治しているのか?」
「え……僕、そんな難しい言葉なんて知らないよ? 聖徳太子が『セッショウ』だった事は習ったけど……」
……大丈夫なのか? この少年は。いや、この『ニホン』とかいう国は。この年頃の少年ならば知っていて当たり前だぞ?
「その『ショウトクタイシ』とやらは私は知らん。義兄上にでも意見を伺おう。……私のいたのは碧玉京で、統治しているのは摂政の義兄上――翆玉様だ。父王は原因不明の病で臥せっている。ここまでは理解できたな?」
「……何を言ってるのかさっぱりわからないよ?」
私は説明が下手だったのか? これまでの鍛錬は何だったのだ? 物心つく前から学問も武道も嗜んできたが、まだ鍛錬は足りなかったらしい。少年は何かを持ってきた。それは少なくとも碧玉京では一度も見た事のない、書物のようなモノだった。見た事もない物質でできていて、どういう原理なのか、我が国のどんな書物よりも厚みがあり、綴じ方も独特だ。……というか、本当にどのように綴じているのだ?
「これは辞書って言って、えっと、言葉の意味が載ってる本……かな。たぶん」
「……ほう?」
それは非常に便利だ。麒麟が紙をめくるたびに、私も知らない語句――というか文字すらも判別不能なものがほとんどだが――の意味が載っている、らしかった。この発想はなかった。これは是非参考にして、貧しい民のために頒布しよう。
そんな事を考えていると、少年は私の言った言葉の意味を全て調べ終えたようだった。……この『素直さ』だけは朱に似ている、と認めてやらなくもない。
「……うん、僕の知らないことばっかりだ。お姉さんのその変な服も、その『ヘキギョクキョウ』では『普通』なの?」
「普通? ……いや、これは豊穣を太陽に願う祈祷の儀式時の巫女装束だ。私は太陽信仰はしない主義だが、帝国人口の大多数が農耕民だ。農耕民は太陽を異常に信じるからな。私は水信仰だが、民のためならば私個人のこだわりなど捨てるべきだ。それが皇位継承者の責務だ」
「……その辺のことは載ってない。ねぇ、西暦何年頃の話をしてるの?」
「『セイレキ』? なんだ、それは?」
ここで少年は酷く驚いた顔をした。……何がそれほど驚くのだ? 確かに我が国は暦の作成には大いに他国に後れを取ったが。そこまで驚くことでもあるまい? しかし少年は、またもや意味不明な事を言い出した。
「お姉さんの誕生日は、何月何日で、血液型は何型?」
「……たわごとなど聞かんぞ? なんだそれは? 生誕日ならば母から空が重い日、極度に寒い日に生まれたと聞いている。『ケツエキガタ』とは何だ?」
そこで今度は彼は急に楽しそうな顔をした。
――朱の面影がある……なぜだ?
そんな私の疑問など無視して、麒麟はわけの解らない事を言い出した。
「古代からのタイムトラベルだ!」
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2015年 6月26日 莊野りず
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