666文字百物語
23.暑い日には、冷たい麦茶をどうぞ
「いいお天気ですねぇ、おじいさん」
「そうだなぁ。こんな日は喉が渇くな」
「じゃあ、お茶を淹れてきますよ。麦茶でどうです?」
「あぁ、頼むよ」
今は初夏。夏ももうすぐそこまで来ている。わたしはついている。幸運ということだ。
冬場ならば怪しまれるであろう麦茶も、この時期ならばなんの違和感もなく受け入れられる。そう、わたしの淹れる麦茶は、ただの麦茶じゃなかった。
一昔前のドラマでは、よくOLさんがお茶くみばかりを要求してくる男性上司へのせめてもの嫌がらせとして、雑巾の搾り汁を入れていた。それはもはや定番と言っていい。
それと同じことをわたしはしているのだ。
といっても、わたしの場合は雑巾の搾り汁なんかじゃない。タバコのニコチン溶液だ。
園芸が趣味のわたしは、以前、害虫が植物につくのに困り果てた。そんな時に雑誌で読んだ対策が、タバコのフィルターを外してから水に浸して、ニコチンを抽出した液体を植物の葉に塗ること。これでニコチンの成分を嫌う虫は寄ってこないのだ。
わたしたち夫婦は、もう長くはない。どちらかが先に死ぬのかは、神のみぞ知ることだろう。
だからわたしは先に夫を殺すのだ。寂しがり屋の夫はわたしの喪失に耐えられないだろうから。だから、わたしが殺すのだ。
「はい、冷たい麦茶ですよ」
わたしは今日も笑ってニコチンが溶けた麦茶を渡す。麦茶が茶色でよかった。じわじわ苦しむことになるかもしれないけど、わたしを失うよりはまだましですよね。さ、召し上がれ。
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