666文字百物語
20、彼のこだわり
人生において、大事なのはこだわりだ。
信念、信条からなりそれは、その人を形成する大事な要素であり、なくしてはならないもの、美学ともいえる。
当然そんな主張をしている以上は、僕にもそんなこだわりがある。
僕は黒しか使わない、着ない、飲まない。
黒いスーツに、黒い仕事道具、黒いバッグ。会社が禁止しようが、それが僕のこだわりであり、譲れないものだ。もちろん、コーヒーもブラックしか飲まない。これも僕の美学のひとつだ。
よく周囲からは、「そんなに黒に拘っていて疲れないの?」なんて言われるが、こだわりというものは譲れないものだ。たとえそれが原因で会社を首になったとしても本望だ。
そんな僕は、ついに結婚することになった。花嫁はそれなりに親しい、会社の同僚。美人で気も利く、職場の人気者だ。そんな彼女を射止めたのは、僕のこだわりが生む窮屈な美しさだったそうだ。やはりこだわりのある人間は強い。
だが困ったことに、彼女は我儘を言い出した。
「やっぱり結婚式は純白よね。ねぇ、貴方もそう思うでしょ?」
彼女は僕のこだわりに惚れたのではなかったのか。結婚式がなんだ。そんなたかが通過儀礼でこれまで大事にしてきたこだわりを台無しにされてたまるものか。
「嫌だね。僕は黒のタキシードを着るから、君も黒いドレスを着るんだ」
「なんで? わたしまで貴方のこだわりに付き合わされなきゃいけないの? コーヒーだって、わたしはブラックは苦手なのに、貴方に合わせてるのよ?」
なぜ結婚ごときでこんな面倒な言い合いになるのだろうか。黒は正装だろう。葬式でも、みんな黒じゃないか。黒の何が悪いんだ? 僕は会社の連中にそう愚痴った。
「いや、ないわよね、あんな男」
結婚式を間近に控え、花嫁となる彼女も同僚に愚痴を言っていた。しかし、それほど表情は暗くない。
「でも、ただでウエディングドレス着れるし、たまには黒も悪くないかも。こだわりのあり過ぎる男ってモテないから、絶好のカモなのよね」
彼女はにやりと笑う。今時こんな簡単に結婚詐欺に引っかかるのは、案外この手の男性かもしれない。
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