666文字百物語
8、憧れのピアノ
幼い頃から、私には憧れているものがあった。
白い家、白い犬、そして素敵なグランドピアノ。その家の中で、仔犬が走り回る中、私はのんびりとピアノを弾く。それが幼い頃からの私の夢で、憧れだった。
しかし現実とは残酷なもので、父は会社の重役ながらあまり収入がなく、その少ない収入の中から、母は私に最大限の教育を与えようと、エリートと呼ばれる人々が過去にしていたという習い事を片っ端から私に課した。
スイミング、学習塾、家庭教師が毎日三人のローテーションでやってくる。それでもピアノを習わせてはくれなかった。だから私のピアノは、完全に独学で、学校で習うものを学校のピアノで弾くだけだった。
周囲には、友達の家には必ずと言っていいほど、立派なグランドピアノがあった。私が通っていた学校はそれなりに名の知れた学校だったから、生徒の家庭もそれだけ素晴らしい家庭だった。私はいつも劣等感に苦しめられ、自分が周囲から劣っているのだということを嫌というほど思い知らされながら大人になった。幸い、収入を得るようになってからは両親も特に何も口出ししなくなっていた。
私はたしかにマトモといえるような職業を選んだわけではなかったのかもしれない。夜の仕事は常に偏見と隣り合わせだった。それでも私は自分の『売り』を知っていたから、それを活かして稼ぎ続けた。
幸い、容姿は平均よりも恵まれていたので、私を指名する客は多かった。その中のひとりが、誕生日プレゼントを買ってくれると言った。
「君はなにがいい?」
私は遠慮がちにピアノが欲しいと言った。彼は頷き、誕生日に買ってくれた。私は喜び勇み、ピアノを弾く。ずっとずっと憧れていたピアノ、ずっと欲しかったもの。それがついに叶った。鍵盤が少し茶色になっていたけれど、私は気にしない。
「オカマバーの子がね、どうしてもって言うからさ、いわくつきで安くなってた物を買ったんだけど、最近あの子見かけないんだよね。……やっぱり何かあったのかな?」
初老の男は通いつけのバーでそんな話をしていた。
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