●● レンアイオムニバスーSideB --- 10、一生懸命、愛してくれます ●●
三宅七海は全国に支店を持つ、『三宅チェーン』の社長令嬢。これまで彼女の我儘は、どれだけスケールの大きなことでも、どれだけ実現不可能だと思われていた事でも、必ず叶えられてきた。……本人はそれがどれだけ凄くて、恵まれている事かも知りもせずに。
事の始まりは日課のアフタヌーンティーの最中。今日も紅茶もお菓子も美味しいわ、なんて事を考えながら、部屋中に響き渡るのはクラシック。その見事な旋律に耳を傾けていると、全てが馬鹿馬鹿しくなる。それだけこの『お嬢様』は恵まれていた。その最中の最中のことだった。
「大変だ、七海!」
そう言って、乱暴に扉を開けたのは彼女が『パパ』と呼ぶ父親だった。彼は狼狽しきり、深刻な表情で七海に迫る。その迫力は七海も初めて見る顔だった。遅れて夫人――七海の『ママ』が入ってくる。
「……一体なにがあったというの? せっかくのダージリンが台無しじゃない」
「それがだな……落ち着いて聞いて欲しい。……我が三宅チェーンが倒産の危機なんだ!?」
「あら、それは大変そうね。……それで、わたくしはどう困るのかしら?」
七海は所謂帝王学的な、『統治者はこうあるべき』というジャンルの勉強しかしてこなかった。それに時間を取られ、肝心の『金がないとどうなるのか』という事を具体的に考える事もなかった。ただ、『お金はあればあるほど良い』という事しか知らない。習っていないのだから。
この対応に、彼女の両親は頭を抱えた。まさか、ここまでとは……。具体的にどうなるかを知らせるために、彼らは自分たちの考えるプランを持ち出した。それは七海には考えつかない事だった。
「七海には済まないが……見合いをしてもらう」
「えっ? お見合い?」
彼女的には、好みのイケメンが自分を巡っての戦いが勃発、というシチュエーションが良かったのだが、お見合いというのも悪くはない。七海は頷く。
その対応を見た両親はホッと胸をなでおろし、背中に持っていた見合い写真をひとり娘に見せる。……その彼女の表情が泣きそうに、いた、実際に泣いている。
「どうしたんだ?!」
「そうよ、こんなステキな方なんて他には見つからないわよ?」
両親は娘のためを想って選んだ未来の花婿は、きっと七海を満足させてくれるモノだと踏んでいた。それが、彼女は失望を露わにしている。
「……わたくし、こんな不細工なんて御免ですわ!」
少女はまだ十四歳と数ヶ月。ある意味では当然の対応だが、両親も焦っている。
「とにかく、彼と結婚なさい! それが一番なのよ!」
「男は顔じゃないんだ! お前にとっては財力で選ぶべきなんだ!」
母も父も、娘のご機嫌取りに必死だ。しかしその娘はといえば、既にこの場に姿はなかった。
「……七海?」
七海は身一つ、つまりは何も持たずに家を出た。紛れもない『家出』。一度はやってみたかったし、好みでも何でもない見知らぬ男と結婚だなんて、虫唾が走る。しばらくはそうして『自由』というモノを存分に楽しんでいたのだが、急に心細くなってきた。原因は……多分空腹だろう。アフタヌーンティーの時にもっと食べておくのだった、と後悔していると、目の前に見知らぬ青年が立っていた。……不審なものを見る目つきで。それが七海には気に食わない。
「ちょっと! わたくしを誰だと思っているの? 三宅チェーンの社長令嬢よ!」
そう言っても、相手はびくりともしない。それどころか「君、頭大丈夫?」とでも言いたげな、どこか憐れむような視線を向けてきた。そして彼は心から憐れむ目で言った。
「……泊まるところがないのなら、ボロアパートでよければ提供するけど?」
「……」
この寒さで生き残れるほど、七海は体力に自信があるわけではない。礼の一つも言わずに、彼女は見知らぬ青年の後を追った。……それが彼女の『当然』だから。
「ほら、ここだよ」
「こんなボロに人なんて住めるの?」
そう漏らすのも同然だった。壁のペンキは剥がれているし、屋根も所々穴が空いている。二階へと続く階段は今にも崩れそう。名も知らぬ彼は苦笑した。
「これでも雨はしのげるし……キッチンだってあるし」
「雨をしのげるとは言っても、こんな所、わたくしには相応しくないわよ!?」
「……じゃあさっきのところに戻る?」
その一言は七海にグサリときた。家を飛び出した身だし、行く当てには両親の手が伸びているだろう。そうなれば優し叔父も叔母も、絶対に連れ戻すことにするだろう。
「……」
七海は青年の導きのままに、のろのろと安アパートに入った。彼は一人暮らしらしく、家出娘のために美味しい料理を作ってくれた。これまで食べた事のない味に、七海は舌鼓を打つ。
「どれも美味しいわ! それにしても、なぜこんなところに住んでいるの?」
「……親と揉めてね。俺は画家になりたいんだけど、反対されてて……」
「なればいいじゃない」
「油絵は金がかかるし、儲けも少ない。だからなるになれないんだ」
「でも、親なら子供のためを想うのは当然じゃないの? それが『愛情』でしょ?」
「……」
食事中の会話は、彼の沈黙をもって終了。彼は自分の使っていた容器を下げると沈黙した。そしてそのまま、一枚の油絵を七海に見せた。彼女はそれをじっと見る。
「これは、フリージアかしら? いい色だし、特徴もとらえてる。……でもそれだけだわ。インパクトがない」
七海のコメントに彼は驚きを隠せない。なぜこの少女がとりあえず程度とはいえ、コメントが述べられるのかが。更に彼女はこんな事を言う。
「コントラストの白がイマイチね。中途半端すぎるわ。どうせなら真っ白にして、もっとインパクトを狙ってみたらどう?」
言われてみれば、講師に言われることは大抵インパクトについてだった。専門家ならばともかく、この見知らぬ少女にまで指摘されて初めて、自分のダメなところが理解できた。
「ありがとう!」
「え?」
少女は自分がなぜ感謝されているのかも理解不能らしい。その彼女も真っ直ぐで、これまでに出会た事のないタイプの彼に好意を抱いていた。
それから一ヶ月が過ぎた。このぼろアパートには到底ふさわしくない外車が止まっているのを青年が見たのは。彼は美大からの帰りで、そろそろ家出娘に食事を作ってやるこTロ間と考えていた。それが、この状況。そして、その家出娘は心から嫌そうに男たちに抵抗している。
「やめろ!」
大事な絵をかく手を庇う暇もなかった。今こうして僅かながらも大好きな絵で食べて行けるようになったのは、紛れもなく彼女のおかげだ。それを男たちは殴りかかってくる。
――好きな人の一人も守れないなんて、嫌だ!
彼はそう誓い向かっていくのだが、多勢に無勢だ。少女は彼女と少々似た男女に無理矢理抑え込まれている。そしてけがっらわしいモノを見る目で彼を見る。少女の目だけが「たすけて」と言っていた。そして彼女は言う。
「彼なら、わたくしを、一生懸命愛してくれます! そういう人だもの!」
彼女がよく知る青年は、優しくて、親切で、料理が上手くて、画家になりたくて……。ここまで、一ヶ月の間一緒にいたから、そんなことくらいはよく知っている。だから、いつの間にか惹かれていた。
彼は呆然と家出娘――七海を見たけれど、血まみれの顔でにっと笑った。
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