銃とロケット
1,鉄の感触
世界に無数に存在する極秘機関<<人類の独立――Independent Od Human(IOH)>>。
まだ幼いクリスティーヌを拾ったのはそこの職員だった。冬のさむい、さむい日のことだった。忘れもしない、あの雪の冷たさ。道を行きかう人々の哀れみの眼。しかし誰一人として彼女に声をかける者はいなかった。ただ一人、今でも慕う彼女を除いて。
「おかあさん……」
寒い冬の日、当時七歳だったクリスティーヌは駅の構内で震えていた。冬の列車は既に発車済みで、もうひともそう多くはいなかった。冬の寒さに手を温める。吐いた息が氷のように白かった。
少女には母はもうなかった。ただし、ちゃんと形見と呼べるようなものを残しておいてくれたことは幸いだった。形見のロケットには母と父親らしき男が仲睦まじく映っていた。
「さむい……」
もう何時間そうしていただろうか。指が凍り、手が凍り、腕が凍りそうだった。誰か助けを呼びたかったが、長時間そうしていた少女には、そんな気力など残ってはいなかった。
もう駄目だと諦めかけた時のことだった。
「あなた、お母さんはどうしたの?」
そう声をかけてきたのが若い女性だった。彼女はクリスティーヌの身体を温かい毛布でくるみ、身に着けていた手袋を貸してくれた。そして身体も冷え切っているであろうことも察して、温かいココアを買ってくれた。温かくて甘い飲料が喉を温め、身体も温めてくれた。
彼女は当時十六歳。
それは十三年前の事だが、クリスティーヌは昨日の事のように覚えている。寒さという体感経験が嫌でもあの日の事を思い出させるのだった。
「クリス?」
寮の自室で寝ていたクリスティーヌは、目を覚ますと素早く身構えた。それは野生の動物の様でもあり、起こしに来た人物はそれを見るなり苦笑した。
あの日助けてくれた女性、否、少女――エリスは二十九歳になった。
当時は技術畑で働く傍らで、使い物になりそうな者を探していた最中だった。その時に須郷よく彼女はクリスティーヌという幼子を見つけたのだった。しかし『クリス』という愛称で呼んで返事をするのはエリスだけで、当局ではクリスティーヌを使い勝手が悪いと非難囂々だった。それを耳に入れてもなお、直すつもりはなかった。
「大丈夫よ。ここはまだ平和だから」
口元に手をやって微笑する。が、しかし、次の瞬間には険しい顔になる。今日が何の日なのか、技術畑の者とて知っている。エリスは相手の答えを察しながらも形式上の質問をする。それはある意味で甘えでもあった。
「それで……覚悟は出来てるの?」
クリスティーヌは無言で頷く。ここまで育ててくれたエリスには感謝しているが、いつまでも甘えてはいられない。せめて自分の食い扶持だけでも自分で稼がなければ。でなければここまで取り立ててくれたエリスに申し訳が立たない。
今日でクリスティーヌは二十歳。つまり、今日が誕生日という事になっているのだ。少なくとも『機関』のなかでは。
そして二十歳といえば、『試験』を受ける年齢だ。この試験さえパスしてしまえば、この堅苦しい生活とはさよならできる。確かにエリスとの生活は素晴らしいが、『自由』という果実の誘惑には敵わない、どうしても。
「……そう。でも一度関わったら二度と逃げ出せないのよ?」
「覚悟は出来てる」
クリスティーヌはそう短く答えると、寝間着から制服に着替えた。胸元を露出したミニスカートのようなワンピース。いざという時にどこに中の隠し場所などあるのだろうかと尋ねた事があるが、『女の場合はそうしなくても情報を得られることもある』とあっさり言われてしまった。
露わになった肌にはたくさんの傷跡。訓練の時についたものだ。『自分のように技術畑で働けばこんな目に遭わなくて済む』と、エリスは何度もそう言った。けれどクリスティーヌは耳を貸さなかった。
口には出さないが、なぜそこまでして彼女が戦士になりたいのかという理由は解っている。理由は二つ。
一つは母の死の真実を知るため。 もう一つは自分たちを捨てた父を探すためだ。
探してどうするのかまでは聞いていない幼いクリスティーヌを保護した時、彼女は天涯孤独だった。拙い彼女の言葉を理解するのには時間がかかったが、それが一番しっくりくる。
そして、母の形見だという銀のロケットはどんな時でも離そうとはしなかった。それだけ母を愛していたのだろう。今、クリスティーヌはジャケットを羽織り、その十字架を身に着けたところだ。
短かった金の髪は肩の下まで伸び、嫌でも成長を感じさせる。無垢だった瞳は表情を感じさせなくなった。……解っていたはずだった。『機関』に引き取ってしまえば、例えそれが無邪気な少女だろうがこうなるという事を。当時は十六だったと言って、責任転嫁をする気もなかった。ただ、あの幼かった少女が、愛しい妹のような彼女が血にまみれた道に進むのは痛々しくて堪らない。
「恋、でもしてみれば変わるのかしら」
文献にはそのようなことが書かれていた。エリスは科学者だが、そのようなことが実際に怒るのではないかと夢見る一面もあった。
IOH本部、訓練室では試験の準備でおおわらわだった。
「例のヤツです! クライレベル5!」
「そこまでいっては手立てはない。安らかに眠らせるがよかろう」
「ですが!」
「えぇい! 私の言うことが聞けんのか!?」
クリスティーヌは試験場に向かう最中、そんな男たちの会話を耳にした。
一体何の事やら見当がつかないが、それはエリスのような技術屋の仕事だろう。名前や口調から察するに、多分新種のウイルスや細菌兵器の名だと思った。
そして試験場に到着すると、五人の男たちがいた。いずれも屈強で、自身の身体を鍛え上げたという自信に満ちている。厄介だ、とそう思った。
三人の男性試験官はクリスティーヌを舐めるように眺めた後、唇を開いた。
「クリスティーヌ・ジャネット。試験を始める」
「ここに用意した装備で敵を殲滅できれば合格。銃を支給する」
「持てるすべてを使って挑め」
クリスティーヌはデリンジャーを二挺、胸元と太ももに装備した。スタングレネードを三個、上着のポケットに詰める。支給される武器はそれだけというわけでもなかったが、下手に装備のし過ぎで動きに支障が出るようでは本末転倒だ。
「この試験ではペイント弾を使用する。ペイント弾といっても、弾が当たる衝撃はちゃんとある」
教官と見える男がそう指示を出す。
「試験開始!」
別の男の声で、で試験が始まった。
今回の試験のフィールドは植物園だ。実際に植物に害がないよう、バーチャルで組み立てた箱庭。それが試験のバトルフィールドで、これまでの先輩たちもこのフィールドを突破して合格したのだ。
あたり一面背の高い植物で覆われていて、視界が悪い。しばらく歩くと敵のものらしきテントを発見した。その近くの草むらでテントから敵が出てくるのを待つ。
「どこだ!」
まず一人確認できた。
「いたか?」
また一人、男が出てくる。もちろん彼らもバーチャルだ。実践以外での人殺しは認められていない。たとえ弾がペイント弾だったとしても、その後の戦士にとって心的外傷を与えるようなやり方はしないのだ。
ここでクリスティーヌは胸元の銃を男たちに向ける。威嚇のつもりだが、バーチャル相手では効果がない。
「チッ」
デリンジャーは勢いよく弾を発射する。バーチャルの男たちはあっさりペイント弾に当たった。狙ったのは、胴体。初めて銃を扱うのならば、下手に手足などの細い部位を狙わずに、胴体を狙う方が効果的だと思っていた。……結果は上々で、無駄になった弾もあるが、一度で倒せたので十分だろう。
今のうちに空になった弾倉を交換する。
「くっそ~」
男たちは悔しそうな表情を浮かべてから消えた。倒したというサインである。
また男たちがテントから出てくる。
「あっちから音がしたぞ!」
「何人だ?」
試験は通常複数人で行う。今回のように一人で受けることは少ない。
次々と武装した男がテントから顔を出す。マシンガンを構えている者もいる。
「……」
無言で様子をうかがう。大型の銃には注意しなければならない。耳栓をして、スタングレネードをテントのあたりに投げる。光と音で相手を無力化する。バーチャル相手に効くものかと疑問だったのだが、ちゃんと怯えを見せてくれた。
「これは……! 目を閉じろ!」
隊長らしき男が叫ぶが、もう遅かった。
クリスティーヌは太ももに装備した銃と先ほど使った銃を構えた。二挺拳銃はクリスティーヌの得意とするところだ。
一瞬の間をおいて閃光と爆音が轟いた。
目を閉じ、足の感覚だけで距離を測る。ちょうど隊長のいたあたりに歩みを進める。隊長は対処できたが、その他の者は目が眩んでいる。
クリスティーヌと隊長は互いに銃を向けるが、クリスの方が速かった。左手で構えたデリンジャーからペイント弾が発射された。
「そこまで!」
隊長の眉間に赤い液体がつたったところでストップがかかった。
「クリスティーヌ・ジャネットを合格とする」
握りしめていた銃を下ろす。試験とはいえ、その鉄の感触は本物だった。
この日からクリスティーヌの戦いが始まる。
支給された銃は特殊仕様のベレッタ92F。
この銃はロケットと共にいつまも彼女の傍にあった。
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