探偵は教会に棲む

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9 何者にも裁くことなど


 神父は茜の帰りを待ちわびていた。
 事件も無事に解決し、いつもなら既に戻っている時刻だ。なのに茜は帰ってこない。彼は心配になって彼女の携帯電話に連絡を入れた。


 今回の事件は割と簡単なものだった。教会からバスで約二十分のところにある、公園で起こった誘拐事件。犯人は被害者の少女の友達の母親だった。
 今日中には帰れる、茜はそう思って犯行現場を後にした。バス停でバスを待っていると、小さな少女が茜の隣に座った。……他にも空いている席はあるというのに。
「……おにいちゃん? それとも、おねえちゃん?」
 少女が話しかけてきた。異常にか細い少女だった。
「……好きな方で呼んでいいよ」
 小さな子供は基本的に苦手だった。大人ならこう考えるであろうと大体の見当はつくが、子供は何を考えているのか全く読めない。そこが特に苦手だ。
「じゃあ、おねえちゃん!」
 少女は「ふふ」と笑った。それが妙に大人びて見える。彼女の身体は、頬骨が浮き出ていて、肌の色も白すぎる。過去の自分を見ているようで、気分が良くない。
「なに?」
 少女は鞄から飴を取り出して茜に勧めたが、断った。少女はひとりで飴を舐めている。
「……この公園ね、ちょうどいちねんまえにじけんがあったの」
 『事件』と聞いて、茜の顔色が変わった。
「事件? どんな?」
「こどもがころされたの。ネグフェクト?ネグディクト?」
「……ネグレクト、かな? 育児の拒否や放棄」
 茜は自分の子供時代を思い出した。流石に完全なネグレクトとまではいかないけれど。
「そう、たぶんそれ。それでおんなのこがしんじゃったんだ」
 少女はそこでいったん言葉を切った。再び口を開くまで、一分ほどの間があった。
「おねえちゃんにおねがいがあるの。そのおんなのこのからだが、このこうえんのどこかにうめられてるの。だからそれを……」」
「……探して欲しいって事? でもそれは警察向きじゃないかな」
 少女はまた飴を取り出して、茜に差し出した。
「おねがい! ……おねえちゃんじゃなきゃだめなの!」
 無理矢理に飴を受け取らせようと、少女は伸ばした手に力を込める。茜は溜め息をついた。
「解ったよ。でも、誰かが見つけてるよ、きっと」
 少女は薄笑いを浮かべて言った。
「おねがいね、おねえちゃん。『わたしの』からだ、きっと見つけてね!」
 その声を聞いて横を向くと少女の姿はなかった。……今は十月だ。しかもここは東京で、未だに残暑に苦しめられている。……それなのに、なぜか茜の背筋を冷たい汗が伝った。


 薄気味悪い気分で公園まで引き返した。今日のバスはあと一本しかない。
「……とっとと見つけて帰ろう」
 茜は公園のベンチに座って考えはじめる。教会でも、職業柄、当然新聞を取っている。毎朝チェックするのは彼女の日課だ。その中から、確かネグレクトの文字を見たのは数年前だ。それから見た記憶はない。
 ……つまりまだ死体が見つかっていない、という事になる。昔ならともかく、現在の日本社会ではそんな事はありえない。今時の警察は凄いのだ。
「……となると、ネグレクトがバレずに犯人も捕まっていない?」
 あらゆる可能性を考えてみる。するとある仮説を思いついた。
「すみません」
 公園の近所の一軒家を訪ねた。すぐに玄関先に電気の明かりが灯った。
「はい、どなた?」
「私はこういう者です」
 茜は名刺を渡した。『上の連中』が作ったものだ。捜査をしやすいように企業名と偽名が入っている。
「真下物産調査部……そんな方がうちに何の用ですか?」
「わが社ではお子様がすくすくと育つための手助けをさせて頂いております。お子様、いらっしゃいますよね?」
 茜は嘘をすらすらと言ってのけた。相手の女性は不安そうに視線を泳がせている。
「子供なら息子が。まだ幼いけれど」
「……息子じゃなくて『娘』の間違いじゃないんですか?」
 茜は確信した。この女性が犯人だと。よく見れば、あの少女と顔立ちが微妙に似ている。
「なぜ? うちの子は男の子です!」
「じゃあ、なぜ庭にある外遊び用のおもちゃが、全てピンクなんですか? 普通は男の子ならブルーですよね。それに表札」
 表札には掠れながらも家族の名前が書いてあった。光輝、直子、棗。
「棗という名は女の子でも男の子でも使える名前です。今この家にいる息子さんはあなたの実の子ではない。実の『娘』はあなたに殺されたんですよ!」
 相手に反論する隙を与えずに、一気に追い詰めた。すると彼女は青ざめた。
「……とすると、今いる息子さんは誰なんでしょう?……それは」
 茜はそこで言葉を切った。
「……人知れず生まれ、母親もその時息絶えた。その時、あなたがいた。そしてあなたは棗という少女の『名』と『戸籍』を与えた。……違いますか?」
 相手は泣き崩れた。そして肯定する。,br> 「だって、あの子は私の言う事なんか聞きやしない。いつも我侭ばかり。可愛くなかった」
「……遺体はどこに埋めたんですか?」
 すっかり観念した様子の彼女は素直に吐いた。
「……公園の一番大きな金木犀の根元」
「ありがとうございます」
 茜は冷たく言って、そこから去った。
 彼女の言葉通り、金木犀の根元から白骨化した少女の遺体が見つかった。茜は警察に死体が埋められていると連絡を入れ、バス亭まで戻ってきた。
「……お腹空いた」
 ポケットを探るとさっき少女がくれた飴があった。迷わず茜はそれを口の中に放り込む。その飴を舐め終わる頃には、やっと帰りのバスが来た。


 教会へ帰ると神父がご馳走を用意していた。
「今日はなにかあったっけ?」
 首をかしげる茜に、神父はバースデーケーキを見せた。茜の大好物、チョコレートケーキだ。
「十月十二日はお前の誕生日だろう?」
「ありがとう、神父。……それから」
 思えば、今日の『事件』は退屈している茜へのプレゼントだったのかもしれない。神父に言うと「不謹慎だ」と怒られそうだから、心の中だけで思う。
 ――面白い事件を有難う。
 この気持ちは何者にも裁くことなどできないだろう。

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2012年 10月12日 荘野りず(初出)
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2015年 3月2日 莊野りず(加筆修正版更新)


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