探偵は教会に棲む

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8 愛憎の狭間


 バレンタインの季節である。美千代はその日の仕事を片付けると、お菓子売り場に急いだ。いつもはデパートで買ったものをそのまま渡していたが今年は違う。料理番組でバレンタインチョコの作り方を観て、手作りする事にしたのだ。その『目標』のために、板チョコを大量に買って帰った。


 今年も教会にチョコレートが届いた。以前解決した、『事件』の依頼者からのものが大多数だ。甘党の茜は、毎年この時期を楽しみにしている。ただでさえ好きな甘いお菓子の中でも、チョコレートは格別に好きなのだ。
「今年はラッピングも凝ってるな〜! こんなに沢山あるなんて、僕も和也みたいに太っちゃう!」
 神父に分けるという発想はないらしい。
「私もたまには甘いものが食べたいんだが……」
 そんな彼の呟きを無視し、包装を開けながら茜は嬉しい悲鳴を上げる。
「多分、バレンタインが過ぎたら安くなるよ。ちょっと待ってなって」
 茜はウイスキーボンボンを口の中に放り込んだ。そこで神父はハッとした。
「ウイスキーボンボンは一日五粒までだ! お前はまだ未成年だし……」
「僕だって、いくらなんでもそんなに弱くないよ。心配しすぎ」
 あっけらかんと言って、もう一粒口の中に放り込む。その時、教会の電話が鳴った。……バレンタインチョコを食べた恋人が倒れたという事だった。茜はすぐに現場に向かう事にした。
 打ち合わせていた場所で依頼人に会った。彼女の名前は中西望。その時――『事件』の状況を訊くと、食べたチョコレートは恋人である依頼人が送ったものの他に二つあるという。泣きながら状況を話す彼女が哀れに思えるが、『事件』の事は詳しく聞いておきたい。
「計三個あったチョコレートは、どれもウイスキーボンボンでした。そのうちの一つに何かの薬品が入っていたんです」
「……なるほど。現物はありますか?」
 彼女は首を左右に振る。
「すみません。警察に提出したので。そちらに依頼した方が早く真相に近付くと言われたものですから……」
 茜は警察とは折り合いが悪い。『上の連中』も彼女たちが関わるのを避けているし、表に出さないだけで警察もこちらを避けている。しかし、今回は例外だ。毒物の特定は茜では難しい。せめて和也がいればどうにかなるかもしれないが。彼の代わりに美千代に頼べばやってくれるだろうが、毎年この日は休みを取っている。
「あの……いけませんでした?」
「いえ。そうですよね、早く解決したいですよね。……他に何か思い当たる事とかあります?」
 しばらく考え込んで彼女は言った。
「……そう言えば、以前結婚していた相手からのチョコだそうです。浮気かと問い詰めたらそう言ってました」
 概要をメモした手帳を眺めて考える。贈り主の違う三つのチョコ、ウイスキーボンボン。
「その相手の事は知ってますか? それと、彼の好みのチョコはウイスキーボンボンですか?」
「相手の事は聞きました。ウイスキーボンボンは彼の好物です。バレンタインに自分でも買うと言ってましたよ」
 元妻なら、ある程度相手の好みは知っているはずだ。わざわざバレンタインに自分で買うほど好きならそれに仕掛けるだろう。……でもなぜ彼は今の恋人の前で元恋人からのチョコを食べたのだろうか。そこまで考えて思い当たった。
「もしかして……彼には隠し子がいるんじゃないですか?」
「隠し子?」
「結婚していたんだったら、子供がいてもおかしくない。……あなたからのチョコ、元妻からのチョコ、隠し子からのチョコ」
 この中で一番不自然なチョコは……。
「元妻からのチョコが一番怪しい。子供からのチョコは受け取っても不思議じゃないけど、元妻からっていうのは違和感がある」
「そう言えば他の二つ、私のチョコと多分子供さんからのチョコは、お店で売っているものをそのまま渡しました」
 つまり元妻からのチョコは手作りだという事だ。手作りなら酒の代わりに毒も入れやすい。
「……動機はきっと、源恋人であるあなたに罪を被せたかったとか、彼の事が好きすぎたからってとこですね」
「愛と憎しみ……愛憎の狭間の感情が彼女にそうさせたって事ですか?」
 茜は上手い事を言うなあと、彼女に感心した。この事は、素直に警察に通報した。『事件』の事を彼女が伝えていたためだ。


 夕方、美千代が教会にやってきた。
「遅くなってごめんね、はい茜ちゃん。ハッピーバレンタイン!」
 美千代の手作りチョコは酷い出来だった。……そういえば、今日はバレンタインであると同時に、美千代自身の誕生日でもある事を思い出した。女子校出身の彼女は、毎年『本命』チョコを贈られて、チョコレートが大嫌いになった時いた事がある。ならば、この出来は仕方がない。
「……美味しそうですね」
 『不味そうですね』と、思った事をそのまま伝えないあたりは、「成長したな」。……そう神父は思った。茜が智也に、『美千代からチョコレートを貰った』と自慢するのはその夜の事だった。

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2013年 2月13日 荘野りず(初出)
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2015年 3月3日 莊野りず(加筆修正版更新)


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