「やっと涼しくなったかな」
茜は温かい茶を啜る。付け合わせの甘栗もありがたくいただく。
ここは依頼人の持つ屋敷。東京にあるにしては広い敷地面積がある。彼女は一時間ほど前から依頼人を待っている。
「大変お待たせしました。私が依頼をした青葉奈々子です」
細身の長身の女性が車から出てきた。茜は甘栗を飲み込みながら名乗り出る。
「僕が探偵の宮下茜です」
「あら、可愛らしい。……女の子だったんですね」
この日の茜はどう見ても可愛いと言える恰好ではない。色落ちしたジーンズにシンプルなシャツという出で立ちだ。
「女の子でよかったわ、男って無神経だから」
奈々子はそう言って笑った。
依頼内容は彼女の妹の身辺調査だ。
「結婚三年で夫と死に別れて、あの子が何を考えているのか解らないのよ」
だから茜に確かめてほしいという事だ。
「確かに身内では、視野が狭くなってしまいがちですしね」
相槌を打つ。依頼された時に妹の情報は聞いている。青葉奈津子、二十五歳。 青葉奈々子の双子の妹で現在パートに出て働いている。また、彼女には三歳になる娘がいる。夫は享年二十七歳だった。彼を亡くしてから気落ちして、パートも休んでいるらしい。……それでは食べていくのにも困るだろう。
「お金が入り用な時だっていうのに、休むなんて何を考えているのだか。物騒な事を考えていなければいいのだけど」
奈々子は姪の事が心配らしく、よく差し入れをしているそうだ。姪である七海という名の少女は痩せてきたらしい。
「心配ですね。早速調べてみます」
茜は茶を飲み干すと、奈津子の居住地へと向かった。
「すみません。ここに越してきたものなんですが」
引っ越してきた住人を装って青葉親子の住む部屋の扉を叩く。短期決戦なら有効な手だ。,br> 「はーい。……おにいちゃん、だれ?」
三歳くらいの少女が玄関のドアを開けて出てきた。不用心だと思いつつ、茜はしゃがんで少女と向き合う。
――この子が七海ちゃんか。
肩に届くくらいの長さの髪を二つに分けて結んでいる。子供ならではの柔らかそうな肌が可愛い。
「おにいちゃん、うちになんのごよう? おかあさんならいないよ?」
「え? いない? ……こんなに夜遅くに君ひとりなの?」
声でようやく男ではないと解ってもらえたらしい。
「おにいちゃ……じゃなくて、おねえちゃんはうちになんのようなの?」
少女は心細そうに少し怯えた。……思わず大きな声を出してしまったか。
「お母さんに用があるんだけど、帰ってないの?」
子供には一気に畳みかけてはいけないと神父に教わった。焦りもあるが、『急がば回れ』だと自分に言い聞かせる。
「……おかあさん、おとこのおひととでかけることがおおいの。ななみがねてからかえってくるし。パパがおほしさまになってからはずっとそうなの」
……嫌な予感がする。夫と死別してすぐに他の男と出掛け、子供を放置するなど普通ではない。
「ごめんね、お母さんを責めたいわけじゃないんだ。七海ちゃんの事を心配してる人がいるから、僕も心配になってね」,br> そう言い聞かせると少女は安心したように笑った。
「ありがとう、おねえちゃん!」
住居から離れてすぐに携帯電話を取り出す。
「もしもし宮下です。奈津子さんが七海ちゃんを放り出して男と出歩いていると解りました」
そう伝えるとやはりそうかと納得している。奈々子も薄々は感づいていたらしい。しかし直接確認するわけにもいかないのだろう。事情はよく解る。茜は携帯電話をしまった。
「……男か」
やはり嫌な予感は消えない。
「しまった、神父に電話しないと」
今日は茜の誕生日なので彼はケーキを買ってくると言っていた。まだ帰れそうにない。茜はすばやく再び携帯電話を取り出し、キーを押した。
七海は三歳くらいなので、寝る時間は遅くても二十二時ごろだろう。居酒屋や飲み屋は当然その時間までは開いている。七海の証言から解る事は限界だった。
「他に情報は……」
そう呟いて閃いた。先程訪ねた青葉奈津子の住居には、少なくとも玄関先には、黒電話と段ボールを加工して出来た仏壇しかなかった。奈々子がよく差し入れをしているのに、今時黒電話、しかも夫の仏壇も段ボール製。あれだけ広い屋敷を持つ奈々子ならきっとそのくらいの金は出すだろう。姪を可愛がっているのなら尚更だ。……なのに現実はそうではない。
そうなると奈津子の行先に見当がついた。
この辺りには居酒屋や飲み屋はあるが、その建物は一つしかなかった。住宅街だからだろう。ホストクラブ『一夜』の扉を開け、中に入る。
「すみませんお嬢さん。まだ開いてないんですよ」
ホストの一人と思しき若い男が茜に声をかける。ラフな格好の茜を女性だと見分けられる辺りはさすがはホストだ。
「いや、僕はお客さんじゃない。最近ここに来る若い女性を知らない?」
客でないと解ると、途端に彼の態度が一変した。この男はナンバーワンにはなれそうもないと茜は思った。
「若い女? 奈津ちゃんかな。恭弥さんが相手してる」
「恭弥ってのはデキるホストでしょ? 奈津子さんから貢がれてるんじゃないの?」
男は舌打ちした。当たっているという証拠だ。奈津子は恭弥というホストにかなり貢いでいるのだ。姉が用意した電話も質に入れて金に換えたのだろう。
「……その恭弥ってホスト、だいぶ弱ってるんじゃないの?」
「……なぜ解った? お前は一体何者だ?」
「ただの『探偵』だよ。ただし凄腕のね!」
翌日の夜、茜はホストクラブ『一夜』で奈津子を待った。やはり彼女は恭弥というホストと同伴した。しかし相手は顔色が悪い。
「青葉奈津子さん、あなたはこの男を……殺そうとしていますね?」
嫌な予感は当たってしまった。奈津子はバッグを落とした。茜がその中を改めると、中にはサバイバルナイフが入っていた。……酒に睡眠薬を盛って弱らせて刺そうとしていたのだ。
「私は負けてしまった、……禁忌と誘惑に」
彼女は素直に罪を認めた。……結局、七海は奈々子が預かることになった。何とも後味の悪い事件になってしまった。
茜が二日ぶりに教会に帰ると、神父がケーキを用意して待っていた。彼女の好きなチョコレートケーキだった。
「十九歳の誕生日おめでとう!」
神父はクラッカーを鳴らした。この歳になるとさすがに恥ずかしい。,br> 「……あまりはしゃがないでよ」
十九歳になった茜は照れくさそうにケーキを食べ始めた。甘いチョコレートケーキは彼女を十分に幸せな気分にさせてくれた。
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2013年 10月12日 莊野りず(初出)
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2015年 3月3日 莊野りず(加筆修正版更新)
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