それは、クリスマスも目前に迫った十二月二十日の事だった。智也が仕事先から帰ると、マンションの玄関に美千代がいた。
「……久しぶりね。貴方に頼みたい仕事があるの」
サングラスを外しながら、彼女は艶めく唇でそう言った。……どうやら、今年のクリスマスは休み無しになりそうだ。だが、美千代が来てくれたのは嬉しいサプライズだった。
「……で、智也と和也さんはホテルでディナー。対して、僕は年末の掃除係?」
珍しく明が本音をさらけ出している。不満そうな顔を隠す気もないらしい。
「しょうがね〜じゃん! こっちはちゃんとした『仕事』なんだ」
ニヤニヤしながら、智也はチケットに目をやった。クリスマスにあたる二十四日から二十五日までの間に行われる、パーティのチケット。二枚しかないので、智也と和也しか入れない。……そもそも“K"は二人だけで活動している。明に文句を言われる筋合いはない。第一、掃除の代金として相場の二倍は出している。
「はいはい。どうせ僕はただの凡人で、何も『取り柄』なんてないですよ!」
「拗ねるなよ。あの小娘の教会に紹介状書いてやったろ? あいつらの事だから質素で素敵なクリスマスを楽しめるぞ」
毎年茜の教会では、質素ながらもそれなりに楽しいパーティが行われている、と智也が保証した。明の環境からしてみれば、それも素敵なクリスマスだろう。
「バイキングだし、持って帰れそうなものは持ってくるよ」
和也はそう言って腹の肉を撫でた。彼はまた太った気がする。こうして今年の明のクリスマスは、教会で過ごすことに決まった。
「チケットを拝見致します」
都内のホテル……それも飛びぬけて豪華なホテルの入り口で、チケットの提示を求められた。この絢爛さは智也のマンションより遥かに上だ。
エレベーターに乗り込もうとしたところで、ロングヘアの美女とすれ違った。美千代の事も一瞬忘れ、智也はその女性を盗み見た。肉感的で、色が白くて、どこか『守ってやりたい』と思うような女性だった。
「……今の人って智也の好みじゃないよね? ……浮気?」
「……さぁな。着いたぞ、行こう」
長い時間をかけて上っただけあって、フロアは相当な高さだ。高所恐怖症の和也をようやくエレベーターから出したところで事件は始まった。
なんとその階のエレベーターホールに死体が転がっていたのだ。
「……なんてクリスマスだ」
「動かないで!」
いきなりの美千代の声だ。身分証明になるものは何も持っていなかったらしく、その場にいた者たちから責められた。当然といえば当然だろう。その場にいたのは、智也、和也、美千代。それからそれぞれ名乗った事が本当だとするならば、梶、南、雨竜と名乗る男女六名だ。仕方がない。智也は自分の名刺を彼らに見せた。
『梶』と名乗った者が、胡散臭そうに名刺を眺める。
――まぁ、普通の反応はこんなもんだよな。
「なんと! 君は、あの『ホームレス殺人事件』を解決したという、安藤智也君か?!」
それはかなり前に解決した事件だった。“K"に拾われる前の、大学生だった頃に何となくで、推理を初めて解決した事件だ。そんな事を目の前の男が知っていようとは。
「南君、雨竜君、これは歴史的瞬間を目撃する事になるかもしれない! 協力しよう!」
鼻息の荒い梶に、「はあ」と、二人からは気後れする態度が見えた。
「でも梶先生。私たちがここに来た時にはすでに殺されていたようですよ?」
「何だと?」
チケットには受け付けた時間が、タイムカードのように刻まれるシステムだ。それは機械によって行われるため、人間の小細工は利かない。
梶、南、雨竜のチケットに刻まれている時間は同時刻の夜七時だ。対して智也と和也は夜七時三十五分、美千代は夜の七時十五分。
「智也、覚えてる? オレたちの前に女の人がひとり……」
「……あのロングヘアで、色白の美人か?」
その言葉を聴いて、南がおずおずと尋ねてきた。
「もしかして、その女ってこんな感じ?」
手帳に張られたプリクラを見て、すぐに例の彼女だと解った。その手帳を引ったくり、智也は走った。
――大丈夫。ここからそんなに遠くない。
「もう、何なのよ!」
南は手荷物ハンドバッグを乱暴に回した。それを和也は見逃しなかった。
都心のあのホテルから少し離れた、噴水のある公園。そこに彼女はいた。
「……あたしの事、追って来たの? ……あんな男なんて、いない方が社会のためよ」
そう言いながら、煙草を口にする。その動作は癖のようで彼女に馴染んでいる。
「……煙草はやめた方がいい。身体によくない」
すると彼女は鼻で笑って、また煙草の煙を燻らせた。
「……殺人犯の心配をしているってワケ? お優しいのね」
「違う。俺が心配しているのは、腹の中の子供だ」
ホテルにいる梶という男から聞いた話だ。殺されていたのは三田三四郎という名の男。その秘書兼愛人だったのが彼女、三嶋果歩。南は三嶋の同僚で、三田との仲を相談に乗っていたらしい。……そうなると黙っていないのが三田夫人だ。
「……だから、アンタは腹の子を盾に三田に妻と離婚するよう迫った。だが、それも上手くいかなくなり、雨竜にも相談していた」
果歩はしばらく黙っていたが、突然糸が切れたかのように笑い出した。
「えぇ、えぇ、そうよ! あたしが三田を殺したのよ! ……この子の事は諦めろって。あたしはずっと温かい家庭に憧れてた! なのに、そんなのってないじゃない!?」
息を整えて、彼女は再び口を開く。
「だから、この子ができた事、本当に嬉しかった! ……でもあの人はこう言った。『妻と離婚は出来ない』って!」
そして、彼女は泣き出した。幼子のようにしゃっくりあげ、目元からは涙が溢れ出てくる。
「……アンタはもういいんだ。さあ、一緒に元凶の元に行こう」
「……え? 元凶ですって?」
「南さん、貴方はこれをどう説明しますか?」
和也と美千代が持ち物検査を済ませていた。その中にあったのが、デジタルカメラ。,br> 「……知らないわ。誰かの荷物と混ざったんでしょ」
「じゃあ、これを見ても構いませんね?」
「……っつ!」
梶と雨竜は何が何だかわからないという顔をしている。和也が現像した写真を見ると、一同の目の色が変わった。そこに写っていたのは三田の妻の写真だった。
背景が多少ぼやけているが、ここが普通の場所だと解らないようにぼやけている。だが、三田の妻と手を組ん出歩く人物には誰もが見覚えがある。
「これって、雨竜さん?」
美千代が訊いた。それを補足するかのように、戻って来た智也が言う。
「そう。三田さんの奥さんと浮気していたのは雨竜さんです。そして、それをネタに三田との仲を壊すよう勧めたのが南さん」
「……なんという事だ」
「今日、クリスマスに全ての刃は呑み込まれたんです。これ以上の事件は起きない。断言します」
それまで緊張を保っていた空気が柔らかくなった。……これで事件は終わりだが、クリスマスパーティの幕は、たった今開けた。これから始まるイベントに、三人は普段のしがらみを忘れて、全力を傾けることを決めた。
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2012年 12月20日 荘野りず(初出)
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2015年 月日 莊野りず(加筆修正版更新)
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