探偵は教会に棲む

BACK NEXT TOP


The 34Th Case:聖地巡礼


 ――暑い。
 茜はもう何度目か解らないほど、ため息をついた。現在地は複雑に込み入っていて、その上人も多い。本音を言えば、ずっと教会の冷房付きの部屋で涼んでいたかったのだが、『依頼』とあっては断るわけにはいかない。しかも未だに教会のローンは残っている。
 それに、大嫌いなこの時期の依頼を引き受けた最大の理由、それは“K”への昇格の話がいよいよ真実味を帯びてきたからだった。この依頼を受ける前、美千代が言っていた。
『茜ちゃんも、そろそろ上に昇進しないかって打診があるのよ!』
 そうあの美しい笑顔で美千代に言われてしまえば、美人に弱い茜にはひとたまりもなかった。それに、七月に入院した神父の治療費もばかにならない。
 そんなわけで、今現在茜がいるのは、逆三角形に見えるモチーフが印象的な、ガラス張りの建物というわけだった。しかし、予想以上に暑いのは決してその建物がガラス張りなせいではない。ここにいる人口が多すぎるのが原因だった。……一種の人種には『聖地』であるこの場所は、新作ゲームの発表や学会などで知られる鳥の名のついた交通網のある場所なのだ。


「……見つからないなぁ」
 そう茜がぼやきたくなるのも無理はない。彼女はミステリの読書は趣味だが、それ以外の本は漫画を含めてほとんど読まない。
この場所――通称『コミケ』で売られているのは同人誌であり、二次創作と呼ばれるジャンルだ。そんな元ネタがあってこその話など、元ネタを知らない茜からしてみれば興味がなかった。しかし、それをそのまま口にするほど、彼女は無神経ではない。理解はできないが、そのような楽しみなのだろうと思う。


 今回の依頼は、連続強盗犯を捕まえてほしいとの事だった。
 一口に『連続強盗犯』と言っても手口は様々だし、茜が事の詳細を教えて欲しいと美千代に尋ねると、彼女は満足そうに微笑んだ。
『そこまで目がいくようになったのは成長の証ね』
 そう言われると照れくさいが、素直に嬉しかったし誇らしかった。美千代が言うには、『連続して盗難する上に、全く盗まれたと被害者に悟られない』という事だった。……いかにも智也向けの案件だ。それを茜に回すという事は、やはり“K”昇進の日は近いのだと自信が持てる。
『それでは、そこまでの交通費は?』
 財布が心もとない茜からしてみれば、交通のアクセスはいいものの、そこまで行く交通費の捻出にも苦労する。美千代がやれやれと首を振ると、茜にとっては残酷な事実を告げた。
『御免なさいね? 昇進するかもしれないし、今回は出ないのよ』
 ……これを聞いた時には血の気が失せる気がした。

 
 そして結局自腹でここまでやってきたわけだが、一向に事件の起こる気配はない。それ自体はいい事なのだが、探偵としては事件があってこそ生活が成り立つのだ。
「……どうしよう」
 その次に「困ったな」と続けようとしたところで、テレビで数回観た事のあるアニメのキャラクターが描かれた表紙――同人誌を片手に相手に食って掛かる女性がいた。その声はヒステリックで、ただ事ではないらしい。
 慌てて駆け寄ると、彼女はもう一人の女性に指を突きさしているところだった。
「そうしたんですか?」
 茜がどうにか人ごみから顔を出すと、女性二人は同時に茜を見た。そのただ事ではない目つきには思わず萎縮する。
「どうしたもこうしたもないわ! この女が売り上げを盗んだのよ!」
 派手な化粧をした女が金切声で叫ぶ。しかし、もう一方の地味な女も負けてはいない。
「だから何度も言ってるじゃない! あたしじゃないわよ!」
「じゃあわたしの本の売り上げは? それで毎月食べてるのよ?」
「知らないわよそんなこと!」
 このままではらちが明かない。そう判断した茜は双方の言い分を聴くことにした。まずはサークルの主で被害者と見える化粧の濃い女から。
「わたしの本はよく売れるのよ? それだけで一年生活できるレベルにね! それで壁サークル同士だし、顔なじみだから、交代で売り子を使用って話になったの。……なのにあの女、わたしに嫉妬したんだわ!」
「……え? 同人誌を売るだけで一年生活できるんですか?」
 茜が素早く反応すると、彼女は無言で頷いた。確かに同人誌の出来栄えはとてもいい。
 ――僕も探偵よりも同人誌描こうかな……。
 そんな事を考えてしまうのも貧乏育ちにしてみれば当然の感覚だ。……もちろん、そう上手くはいかないのが現実だが。
 そしてもう一方の地味を絵に描いた女の話を聴いてみる。
「だから、なんであたしがそんな事をする必要があるの? あたしだって彼女ほどには売れないけど、十分売れてる方よ? それなのに、なんであの女の売り上げを盗むことなんか考えると思うの?」
「確かに、貴女のスペースも人がたくさん並んでましたね」
「でしょ? 『動機』がないのよ。ツイッターでもいつも彼女と萌え話してるくらいだし。……証拠として見せてもいいのよ、スマホ」
 そう言いながら彼女はスマートフォンを操作し、簡単な会話を見せてくれたのだが、そこに書かれている内容は、とてもではないが茜の理解の範疇を超えていた。
「……もういいです」
 茜は自らギブアップを宣言。それほどまでに『腐っている』会話を見せつけられ、精神的にズタボロだ。さて、犯人はどちらだろうか? ……そこで茜はハッとした。
 ――成程。そういうことか。
「……お二人とも、仰っている事は本当ですし、どちらも悪くはありません」
「え?」
「はぁ?」
 茜はこの場所にいる目的を危うく忘れるところだった。
「……犯人は、あなたでしょう?」
 そう言って茜が指差したのは、スペースの予備の椅子に座る若い女性だった。いかにもか弱そうで、この夏の暑さには耐えられそうもない白い肌をしている。どう見ても人畜無害なその無垢な瞳が、一瞬憎悪に燃えたのを茜は見逃さなかった。
「……え?」
 相手はしらばっくれるつもりらしく、目をぱちくりさせる。しかし、その目線は泳いでいる。……これまで見てきた犯人たちと同じ目の動きだ。
「僕が聞いた情報によれば、席には別料金で椅子を追加できるそうですね? あなたはそれを利用したんだ。そして、信頼されているサークルさんの善意を、厚意を踏みにじったんだ。……それは決して許されることではないのではないでしょうか?」
 『連続強盗犯』、この響きだけで茜は誤解していたのだが、なにもそれが男性だけとは限らない。現に今、相手は罪を認めている。
「……それでは、僕は事件が片付きましたので――」
「待って!」
 いきなり呼び止められ、もしやチップのようなモノがもらえるのかと茜は期待したのだが、この場らしいコメントが後に続いた。
「なんであなたは女の子なのに男装してるの?」
「リアル男装女子!」
「もっと男装精神について詳しく!」
 ……果てしないオタクの質問責めに、茜も引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。

__________________
2015年 8月7日 莊野りず


BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2023 rizu_souya all rights reserved.

-Powered by 小説HTMLの小人さん-