「――犯行が行われた時刻、貴方はどこにいましたか?」
そう智也が問い詰めると、老紳士は明らかに狼狽した。追い打ちをかけるように茜が証拠となるある『物体』を彼に見せる。それはその時間にはあの場所になかったはずのモノだ。そして和也がトドメの一言を放つ。
「……オレの検死に間違いはない。なにせ独学でも“K”に認められるレベルだからね。……『組織』を知る貴方ならば、この意味は理解できるはずだ。余程の馬鹿ではない限り」
こうして、この三人が組めばあっという間に事件は解決するのが常だ。いつしか、和也はこの二人の『探偵』――相棒の安藤智也と姉妹機関“Q”所属の小娘である宮下茜――と行動を共にする『楽しさ』を知ってしまっていた。……その和也ももう三十路だ。彼の検死が正確なように、事実も事実以外の何物でもない。
「まったく! ちょっとはどうにかすればいいのに!」
掃除人の明が一週間ぶりにやってきた。彼はこの春に大学を無事卒業し、更には無難な会社に就職も決定。現在は下っ端として働いている、らしい。『らしい』というのは智也から聞いた話だからだ。いかにも彼らしい『普通』の生活だ。下っ端扱いも、掃除人扱いもほとんど変わらない。
「……何を笑っているんですか!?」
明はようやく床が見えるまでにモノを処分し終え、後は捨てるだけの状態で仁王立ちになった。一般的には迫力があるであろうそのポーズも、彼ではイマイチ決まらないし、似合わない。第一に背景にゴミ袋の山があるのが致命的だ。
「……いや、ただなんとなく」
「和也さんって、案外智也に似てるんじゃないですか?」
それは和也的には『言いがかり』という言葉がしっくりくるほどの侮辱だ。
「……誰があのナルシストの俺様の、自己中に似てるって?」
「……すみません。言い過ぎました」
目で軽く凄んだだけで、明はあっさり謝る。こういうところが智也を助長させているというのに、本人は無自覚だからたちが悪い。……見ている分には退屈しない、いい『娯楽』だが。
明がゴミ出しに下界に降りている間に、和也は『例の封筒』を開けてみる。幸い、今日は智也も逆ナンされた女性に誘われ、デートだ。ここのところは彼に予定がなかったため、見る機会がなかったのだ。そういうわけで、今マンションにいるのは和也と明の男二人のみ。智也ならば相手が悪いが、明程度ならば別に問題はない。適当に刃物を探してみるが、いざ探すとなると一向に見つからない。
やっと見つけた『刃物』は包丁だった。「キッチンは綺麗にすべき!」という明の主張通り、本人はまずそこを先に掃除したらしい。一週間分のカップラーメンの山――しかも和也はよく食べるため、最低でも一度に五個は食べる――は見る影もない。
――こういうところは素直に、『流石明!』だよね。
しかし、せっかく見つけた包丁も和也にとってはまさしく『豚に真珠』もしくは『猫に小判』。厳密な意味的には違うが、大体そんなようなものだ。……つまり、和也にとっては包丁はある意味『役に立たない』モノ。なぜかと言えば、それは必ず料理をしようとすると指を深く切るからだ、それも返り血で内装にシミが出来るほどに。
「……」
なんとか包丁なしで開ける手立てはないモノかと考えるが、封筒は開け口がセロファンテープで厳重に閉じられている。下手に封筒を真っ二つにすれば、肝心の手紙を傷つける。
――どうしよう?
……三十路前の男が、こんな事で悩むなど馬鹿けた話である。だが、本人は真剣だ。どうするべきか、たっぷり十分は考えた。その時ちょうどゴミ出しを終えた明が戻って来た。
「戻りましたよ。……ホンットにだらしのない人たちなんだから! 智也もよく太らないなぁ」
「……助かった!」
これぞ天の助けだ。明は大学生の頃から、というか、上京してすぐに自活を始めた、『らしい』。ならば包丁で指を切るなんてありえないだろう。当の本人は困惑しきりだが、あまり言葉を交わさない和也が積極的に話しかけるのを喜んでいるようだった。
「何のことでしょう?」
「この封筒を開けて欲しいんだ!」
「え? 包丁で? 鋏を使えばいいでしょう?」
そう言って明はあっさり和也の座っていた場所付近から鋏を取り出した。ごく当たり前のように。
「……明って、エスパー?」
「はぁ?」
「いや、なんでもない」
和也は明から鋏を受け取り、慎重に開封していく。リターンアドレスから、差出人は解っている。正直に言えば、見ること自体が嫌だが、そうもいっていられるような状況ではない。和也自身もそろそろこの『居心地のいい』状態も限界だと感じていた。
封筒の中身を取り出す和也を、明は黙って見つめていたのだが、彼のリアクションに明はその二倍の大げさなリアクションをした。なんて書いてあるのかが非常に気になるところだ。せっかくの智也のいない日。この機会に彼とも親しくなっておけば、食べこぼしもやめてくれるかもしれないし。そう思い口にする。
「なんて書いてあるんですか?」
和也はどこか諦めきったような、悟りきったような、そんな顔をした。明が知る限りでは、彼がこんな顔をするところなど見た事もなかった。それも関係上は当然だが。そして答えを口にした。……その声も、沈み切ったような泥水のような声だった。
「……いよいよオレも、『自由の身』ではいられなくなった。結婚するんだよ」
「……」
「……」
和也も智也も、互いに無言で見つめ合ったままだ。いつもならここで、智也が「なんでこの俺が野郎の顔なんか見なきゃいけねーんだよ!」とでも言うところだが、一向にその兆しはない。むしろ互いに意思疎通しているようだった。
「……あのー? 二人とも、僕がいるのを忘れてませんか?」
無言の空間に耐えきれなくなった明が言葉を発した。しかし続くのは無言に加えて無視。ちなみに現在は夜の十時を回っており、部屋もピカピカに掃除済みだし、別に明がいる必要はない。それどころか明日の仕事に差し障るので、早急に帰宅すべきところだ。そうしないのは、あの時の和也の表情と言葉が引っ掛かっているからだった。
――『自由の身』ではなくなるって、どういう意味?
「……」
「……」
「……」
先ほどから無言だった男二人に加え、明も黙り込むと、これぞ無音とでもいうべき空間になった。
――二人が何か言い出すまで、静かにしていればいいんだよね?
そう判断した明だったが、毎度毎回予想の斜め上をゆく反応をするのが俺様な幼馴染だった。
「……明、お前なぁ、なんでそこで黙っちまうんだよ?! 俺が和也に訊こうとしてんのを助けんのがお前の存在意義だろうが!」
「えっ?」
「でなきゃなんて、お前みたいな『一緒にいるだけでこっちのモテ運も下がる』系の野郎を掃除人にしてると思ってんだ? 言っとくがな、どうせ掃除させんならまだあの小娘の方がマシだぞ? あれでも一応女だし!」
――この自己中も、もう『見られない』のか。
和也がそうやって感傷に浸っている間に、幼馴染二人の喧嘩は続く。あくまでも口喧嘩だが、とてもではないが女性の前でだけは言えないような、年上である智也だからこそ知る明の秘密が次々に暴露されている。
――明って、中学生までおねしょしてたのか……。
この程度はまだ可愛いモノだ。二人の、というか智也の一方的な明弄りは止まるところを知らない。もはや喧嘩ですらなく、ただの昔話と称した『悪口』だ。明ももう涙目だ。
「……その辺にしてやれば? 『一応』は世話になったんだし」
「『なった』、という事はまさか例の婚約者と?」
午後八時過ぎに戻って来た智也は、手紙の内容だけは知っていた。そして明には思い当たらない『婚約者』という単語に思わず食いつく。……今までは涙目だったし、実際に数滴の涙がこぼれたのだが、そんな事は今はどうでもいい。
「『婚約者』って?」
「……解りやすく言うと、和也には資産家の六人の婚約者がいて、今年事件があったんだ」
「えぇー? それって凄いことじゃないですか! こんなだらしなくて不摂生もいいころのおデブさんに六人も?!」
「……明、お前は俺らの中で一番失礼なこと言ったぞ? 俺も小娘もそこまでは言ってねーし!」
――こんなやり取りも、もうなくなるんだ……。
「それで、相手はあの六人――二人はもうこの世にいないが、の誰と結婚するんだ?」
和也はついに覚悟を決めた。この相棒――智也は口も態度も悪いが、いい所もたくさんある。きっと自分がいなくても一人でやっていけるだろう。明だって、自分がスナック菓子を零さなくなれば、掃除もしやすくなるはず、喜ぶはずだ。……茜にはどう思われているのかは詳しくは知らないが、少なくとも智也よりはマシだと思われているだろう。
「オイ、和也?」
「あぁ、ゴメン。つい感傷的になっちゃって。相手は……クィーンだよ」
「クィーン?」
事情を知らない明が首を傾げるが、それは智也が黙って目で制した。後で詳しく説明してやるつもりなのだろう。……なんだかんだ言いつつも、『組織』関連の人間の中でも明は部外者で、だが智也が最も何気に気を使う相手が明だった。それだけの仲の『友』のいる智也が、純粋に羨ましかった。自分には『ライバル』として蹴落とすべき相手はいても、『友達』は実は一人もいなかったから。その点だけは自分と茜は似ていると勝手にシンパシーを感じている。
「……それで、いつ挙式だ?」
「……それが、明々後日なんだ」
今まで封を開けなかった自分も悪いが、これだけ急に、これだけ重要な話を電話ではなく手紙という道長家伝統の手段で知らせてくる母親が憎らしくもあった。しかも相手はクィーン。この響きを聞くと、嫌でも宮下茜を思い出す。彼女も『クィーン』だから。
「本当に急だな! お前も、なんで文句の一つも言わねーんだよ!? 反抗期もないチキン野郎だったのか、お前は!?」
「……智也、和也さんに失礼――」
「何よりも気に食わねーのは、『相棒』のこの俺を全く当てにしないところが気に食わねーよ! ちょっとは頼れ!」
男相手には基本的に冷たい彼がこんな事を言ったのには馴染みの二人も驚いた。相変わらずの『自己中』。
――本当に、お前には敵わないよ『相棒』。
和也は、更に彼と明との別れが寂しくなってきた。最初に智也に出会ったのは、彼が大学を卒業し“K”に昇格した直後のことだった。その時は和也は『探偵』ではなく、ただの『優秀なサポーター』としては『組織』の中では有名だった。だから、二人の出会いもある意味では必然――運命とか、予定調和、とかいうモノだったのかもしれなかった。
「で、俺はお前の式を『祝福』すればいいのか? 『破壊』すればいいのか?」
和也の本音を見抜いた上での発言に、二人の詳しい関係を知らない明は困惑しきりだ。なにせ彼は、和也とこうして面と向かって話したのも長い付き合いとはいえ初めてと言ってもよかった。智也という共通の『仲間』がいるからこその『絆』だった。
「……」
――本当に、オレはこれで後悔しないのか?
和也がしばらく黙っているが、智也も黙っている。こういう時の彼はいつもなら「俺を待たすんじゃねぇ!」とキレるのだが、今回は様子が違う。まだ新社会人の明には、和也の悩みである『結婚』について具体的な事は何も考えてはいない。ただ、もし自分が結婚するとしたら相手は『彼女』に決まっている。……色々な意味での『初めて』の相手である、彼女は。
和也は腹に手をやった。それで二人にはピンときた。これは彼の考え事をする時の癖で、よく検死の際にもする仕草だ。ちなみに智也には考え事の際の癖などは特にない。
「……オレの結婚式を――」
「この時期にはピッタリじゃない? 北海道!」
「空港ではしゃぐな小娘。今回は大事な用件があってきたんだ。お前は精々自分の身の安全の事でも考えてろ!」
「……僕まで招待してもらっちゃって、本当に良かったんですか?」
地元の近場の空港で、和也の連れの三人――智也・明・茜はそれぞれらしい反応をした。完全に無関係の茜を誘ったのは、最近の彼女の様子がおかしいと神父に相談されていたためだ。「好きな事件解決に精を出せば、元通りになるだろう」と彼は言っていたのだが、和也の見た限りでは彼女はいつも通りだ。一体どこがおかしいというのだろう。
「それで、事件の舞台はあの屋敷?」
「いや、今回は事件ではありませんって! 何度言えば解るんですか!?」
完全にやる気の茜に素早く明がツッコミを入れる。彼女には予め今回の概要は説明してある。実は男三人では心もとないモノがあるとも感じていたため、女子である茜も誘った。それも彼女が今この場所にいる理由の一つだ。
実家からの車が空港に着くと、連れの三人は驚いていた。
「……お前んちって、こんな金あったのか?」
「前の事件の時に……臨時収入」
「……いいなぁ」
智也、和也、茜がそう呟くのを、部外者代表の明は違和感を抱いた。特に茜の様子が微妙に違う気がした。普段の彼女ならば見られないような仕草をし、らしくない事を言う。……他の二人は気づかないのだろうか?
車は港の見える小さな田舎町へと到着した。高台から見えるのは、主に廃船だ。人々が棲んでいるであろう家も、寒冷地独特のトタン屋根や茅葺屋根しかない。
「……のどかなところですね」
「はっきり『田舎』って言ってもいいのに」
明らしい反応だが、一度来た事のある探偵二人のコメントは特になかった。二人は和也を置いて実家への道を歩く。相変わらずの田舎道。ここを一生離れられなくなるのかと考えると、気分は落ち込む一方だ。
屋敷、つまり実家に着くと、『婚約者』――クィーンが美しく着飾って待っていた。彼女はこの日を待ちきれなかったのだろう、らしくもなく落ち着きがない。
「カズ様ぁー! 私、待ちきれなくって!」
そう言って和也の脂肪でぶよぶよの腕に自身の細くて白いモノを絡めてくる。元がつく婚約者は当事者である彼女の他には、彼女の妹のアリスしかいなかった。
「ホンットに羨ましいわ、お姉さま! わたしもカズ様と結婚して、子供を産みたかったのにぃー!」
そう言って頬を膨らます彼女は、まさしく王道ロリータファッションに身を包み、実年齢は茜よりも年上なのに彼女よりも遥かに幼く見える。その様子を慣れた調子で見ていた探偵二人は「相変わらずだ」と言いたげで、明だけは「えぇー?」とリアクションに出ている。彼にしてみれば驚く要素しかない事は自覚している。
「……久しぶり、クィーン。『我が家』に嫁ぐ覚悟はできている、と見ていいんだよね?」
「もちろんですことよ? 『道長』の家に嫁ぐこと、それは私の十年前からの夢でした。カズ様、もう一生話はしませんわよ?」
この会話の意味を正確に理解していたのは連れ三人の中でも智也だけだった。他の二人は若すぎて、当事者二人の言っている意味をはき違えていた。
「式は明日決行。私はどこでも構わなかったのですが、義母様がどうしてもと仰るので、教会で挙げることになりましたの。正式な神父様はいらっしゃらないのですが、代理を立てて」
「……『神父』か。一応知り合いにはいるけど、彼は正式には『牧師』だし……」
「流石はカズ様! 人望があるのですわね! ……あら、そちらの素敵な男性とお嬢ちゃんは存じておりますが、そちらの冴えない彼は?」
「山瀬明。仕事の仲間だよ。茜と同じく」
「そうですか。……申し上げておきますが、明さん、式の邪魔をすればいくら客人かて容赦は致しませんわよ?」
そう真顔で凄んでみせる年上の美貌の女性を明は複雑な心地で見つめていたのだが、隣に立つ茜が神妙な顔で忠告する。「女舐めたら痛い目見るよ?」と。妹がいるとはいえ、年下女性に対しても免疫のない明にはその意味する正確なところは解らない。
「カズ様もお姉さまも、お食事の支度は整ってますの! 結婚前夜のお食事をご一緒しましょうよ!」
アリスが無邪気にそう提案するので、一同は道長家の広いリビングダイニングへと移動した。そこに用意されていたのは、赤貧の明と茜には縁のない豪華な食事だった。これだけは「来てよかった!」と二人は同時に思った。
「相変わらず、いいもの食べてるよねー!」
「……えっと、ナイフとフォークはどう使えばいいんですか?」
「明、お前はその程度の事も知らねーのかよ! 俺が恥ずかしいぞ? 外側から使っていけば基本は大丈夫だ!」
連れの三人は彼らだけで豪勢な食事に舌鼓を打っている。それは三人なりの気遣いでもあるだろうし、その方が楽だという理由があってのこととも思えた。しかし、今は彼らと話したい気分だ。……なにせ、和也は智也とは逆に基本的に女性が苦手なのだ。
「カズ様、あーんしてくださいませ」
「ずるいわ、お姉さま! 今日はまだカズ様は独身ですのよ!?」
「それがどうしたというの? 明日からは私が正式な『妻』よ!」
女という字を三つ書いて、『姦しい』。だが、この二人だけでも十分に『姦しい』。ここにいるのが彼女たち二人だけで本当に良かった。
「……いや、オレは自分で好きなように食べたいから」
「そういう冷たいところもまたステキ! やはり私の伴侶はカズ様だけですわ!」
そう言って満面の笑みを浮かべるクィーンを、和也は苦笑いで見つめていた。後に妹の日奈子も大好きな兄の結婚式という事で帰省し、結果的に賑やかな食事の時間となった。
教会というのは、地元ではちょっとした『迷所』だった。つまり、この田舎町には似合わない、瀟洒な造りの佇まいはいかにも敬遠な信者しか受け入れないような厳かさがあった。東京のような都会では十分に『あり』だが、この田舎では『なし』なのだ。
その教会には、花婿の道長智也と花嫁のクィーン――佐上小百合がいた。他の席には新郎の友人ということで、智也と明、そして茜がいた。男性二人は社会人らしくフォーマルなスーツ姿だが、あの茜が普通にフォーマルな女物のドレスを着ているのには驚いた。……確かに神父が言っていた通り、彼女はどこかおかしいのかもしれない。だがそんな事など、これから道長の家を継ぐ自分には『関係のない』ことだ。……和也は自分をそう誤魔化す。
「――誓いますか?」
神父がそう、新たな夫婦になる二人に問う。恋愛感情などない、ただの『家を継ぐため』だけの結婚。無性にラプンツェルのことが思い出された。……彼女とならば、まだ自分もまともな反応が出来ただろうか?
「はい、誓います」
「……誓います」
新たな夫婦がそう誓いの文句を口にする。その瞬間を狙ったかのように、教会のベルが鳴り、招待客からの拍手も巻き起こる。和也の連れの三人は複雑な表情を浮かべながらも拍手していた。そこには『祝福』の意志など感じられなかったが、正確に自分の気持ちを読み取ってくれているモノだったので、むしろ嬉しかった。
「では、神の御前で――」
その時、少女のモノらしき短く、小さな悲鳴が聞こえた。高い声ゆえに、それは逆に狭い教会に響き渡る。
「なんだ?!」
和也と智也は同時に声を発し、茜は既に声の発信源を突き止めていた。
「アリスさんだよ。……和也、悪いけど検死お願い。多分即死」
「なんだって?!」
「なんですって?!」
新郎新婦は同時にそう反応した。二人の共通の『妹』に当たる彼女が……よりにもよって『死んだ』だと。にわかには信じがたいが、事件の際に嫌と言うほど死体を見てきた茜がそう見るのだから、素人判断と決めてかかるわけにもいかない。
「……アリスちゃん」
明は呆然と立ちすくんでいるが、その横を和也が通る。すぐに智也が和也愛用の鞄を手渡した後だった。せっかくの挙式が台無しになった瞬間だ。和也にはそんな事を気にする余裕などなかったのだが、招待客の前でクィーンは突然の妹の身に起こった出来事に泣き崩れていた。
「……どう?」
そう茜が問いかける。当然式は中断し、招待客もガヤガヤと騒いでいる。その中には聞くに堪えない悪口の類もあった。そんな彼らを智也は一瞥する。
「お前ら、ちょっとは空気読め! 一番悲しいのは誰だと思ってんだ!? 田舎者には人の気持ちを考える余裕すらねーのかよ!?」
いつもは「お前が言うな」としか言えないが、この時ばかりは彼も『空気を読んだ』。イケメンの彼がそう発言する事で、場はしんと静まる。
「……毒だ。しかもこの毒は蛇のモノで間違いない」
『組織』が用意した各種薬品であらゆる可能性を検討した結果がこうだった。寒冷地にはいないであろう生態の蛇だった。神父は「へっ、蛇ですと!?」と怯えを見せたのだが、和也にはその理由が解らない。茜が補足する。
「聖書で、イブを誑かしたのが蛇だから」
「あぁ、成程」
おそらく彼女が『神父』と呼ぶ人物の教えだろう。茜自身は別にキリスト教徒ではない。ただ教会に『棲んでいる』だけで。そのいないはずの蛇がここに自然と入り込むわけがない以上は、これは明らかに『殺人』だ。……そして、皮肉な事に『その関係』だからこそ、逆にその人物でしかありえない『犯人』が和也には自然に解ってしまった。本当に、これほど皮肉な事はない。
首を傾げる智也と茜、二人の『探偵』を差し置いて自分がでしゃばるのも何だと思ったが、これは彼らとの『最後の』事件だ。そのくらいの花を持たせてくれても文句を言うような二人ではない。それも、彼らとの長年の付き合いがあるからこそのことだ。
「……日奈子、お前がやったんだ」
招待客の中には、もちろん新郎の親族である母親と妹――日奈子も含まれている。彼女はひねくれたブラコンである事は前の事件で智也と茜は知っていた。ならば動機は簡単、『嫉妬』だ。
「……突然なにを言い出すのよ、お兄ちゃん?」
「お前の勤め先は、大学の専攻を生かした爬虫類の研究所だ。蛇の生態にも詳しくて当然、その蛇自体の入手もお前なら難しくない。……その上、アリスの衣服からはこの蛇の好物に好むフェロモンもかけた物質も見つかった」
「……」
「……日奈子、なぜ?」
無言は肯定でしかなかった。日奈子は悔しそうに唇を噛み、俯いた。
「ある『男』に出会った……。彼に大好きなお兄ちゃんの結婚を阻止するにはどうすればいいかを相談した。『男』は言ったの。『相手を殺してしまえばいい』って。だから……」
茜にはその『男』の正体がはっきりと解った。『あの男』以外に、こんな事をする人間はいないだろう。まるで空気を吸うのと同じように『悪意の塊』、犯行を行うのが『あの男』だった。変わらない、いや、もっとたちが悪くなっている。『あの男』を止めるのは自分以外ありえない。彼女は拳を作る。
「日奈子、お前がどんなに妨害しようとも、オレはクィーンと結婚する」
「……それじゃ、あたしがしたことは……」
「全くの『無駄』だった」
和也にしては容赦のない、抑揚のない声。それを明は初めて聞いた。とはいえ、彼と関わるのはこれがもう『最後』だと解ってはいるのだが。……ただひたすらにやりきれない。
前の事件の時とは違い、初夏の今はパトカーもすぐに到着した。道長日奈子はすぐに身柄を拘束され、愛する兄との会話もなしに連行された。
連れの三人は敢えて和也の顔は覗きこまなかった。
『祝福して欲しい』
あの夜、和也はきっぱりと言った。そこには迷いも何もなかった。まさしく『腹をくくった』のだ。そんな『元』相棒は、クィーンと名乗っていた美女とは『それなりには』上手くやっているらしい。
「……」
新婚旅行のドイツからのエアメール、絵葉書を眺めながら、智也はらしくもなく、孤独を感じていた。ずっと男二人の不摂生生活を続けて、しばしば幼馴染を呼んで掃除させ、男三人でバカ騒ぎ。そんな『日常』は、これほど容易く崩れるようなモノだったのだろうか?
「……ちょっとは幸せそうにしろよ。俺が結婚に希望を持てなくなるじゃねーか!」
智也がモテるのに『結婚』には執着しないのには、いくつかの理由があった。常に女性に騒がれていたい、女性に囲まれる自身の姿を見せびらかしたい、そのようなモノが『表面上の』理由だ。
『本当の』理由、それは『大学生探偵』をしていた時に、同じ年の女子高生に迫られた時も相手にしなかった事と関係がある。いくら収入が多いとはいえ、『探偵』という職業は危険がつきものだ。そんな人間が愛する女性を幸せにするような資格など初めからない。……それを十分に自覚しているからこそ、智也は『結婚』の話題を口に出さないのだ。逆に女性からは『余裕のある男』として高ポイントらしいが。
「……久しぶりに、飲みにでも行くか!」
誰に言うまでもなく、智也は一人きりの掃除したばかりの綺麗な部屋でそう漏らした。
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2015年 6月17日 莊野りず
2015年 9月17日 修正
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