執筆応援企画SS集
この世界は嘘だらけ
この世界は嘘で満ちている。
「本当の○○」などというフレーズが溢れているのがその証拠だ。「本当の愛」「本当の友」「本当の親子」……この言い方だと必然的に普段世に溢れている万事が「嘘の○○」ということになるではないか。これを嘘に満ちていると言わずしてなんというのだろう。
そして皆、嘘しかない世の中でどう生きているのだろうか。逆に「本当の何か」は実在するのだろうか。
「来亜さん、もう帰るの?」
親友の……名前を覚えていない彼女がきょとんと首を傾げた。
ママ友のお茶会、行きつけのカフェのテーブルには洒落た軽食が並んでおり、ティーポットからはいい香りが漂う。ここの紅茶は美味しいと評判だ。
「ごめんなさいね。今日は先生が病欠で。子どもの帰りが早いのよ」
いつもならこどもプログラミング教室で勉強している時間なのだが、ゆっくりしたい日に限って講師の急な病欠の知らせが入る。
「もっと大手のところにすればいいのに」
「そういうところって講師も余裕を持って確保してるしね」
私だって本当はそうしたかった。毎日習い事をさせているのは子どもを見てもらえるからという理由の方が大きい。私だってゆっくり一人の時間が欲しい。
けれどそんな本音は自分自身で墓まで持ってく。
「人気の教室はすぐ満員になってしまうから……」
間違っても本音なんて誰にも言えやしない。
これはきっと私だけじゃない。
「誰か人気のある講師と懇意にしている方はいらっしゃらないの?」
「得体のしれない教室に入れるなんて……お子さんが可哀想だわ」
いかにもうちの子に同情するように言っているけれど、これは当てこすりだ。遠回しに我が家をディスっている。無理して金持ち過程と付き合っていることはバレバレなのだろう。私も自分の家計に余裕があると嘘をついているが、こいつらも実情を知った上で知らない振りをしている。実情を知っているくせに知らんぷりして煽っているのだ。
ああ腹が立つ腹が立つ……こいつらのどこが友達だよ。
「その気持ちだけで嬉しいわ。ありがとう。貴方たちとお友達になれてよかった」
私は微笑んでその場を後にした。
きっとこの後は私への陰口大会になることだろう。みんな嘘ばっかりだ。
自分の家庭に問題がないなんて嘘。我が子を世界一愛しているなんて嘘。充実した満たされた生活をしているなんて嘘。幸せなんて大嘘。
嘘嘘嘘……どこへ行っても嘘ばっかり。この世は嘘でまみれている。
しかし最も嘘だらけなのは我が家だ。
帰宅してスマホに目をやると、そこには夫からの連絡があった。
『今日も遅くなる。仕事が忙しくてさ。うちの会社最近SNSでバスったせいで注文爆増して』
だから今日も遅いし、夕食も済ませてくるから先に寝ていてくれ。要約するとそんな内容が三十行くらいびっしり書かれていた。
「ウソばっかり。大体アンタの会社にSNS使える人なんかいないでしょ」
夫は工場勤務だ。プラスチックをよくわからない部品に加工している。夫の給料なんて他所と比べたら雲泥の差。足りない分は私の投資で得た利益でどうにか補っている状況である。夫が工場勤務なんて口が裂けても言えやしない。
苛立つ私の神経を逆なでする能天気な声が聞こえてきた。
「ママただいまー!」
ドアを開ける音は聞き逃していたらしい。服を泥まみれにした息子がニコニコして立っていた。ああ、この服高かったのに……。
「なにしてるの!」
我に返ったのは息子の怯えた表情を見てからのことだった。
……しまった。またやってしまった。
「ごめんなさい……」
教室が休みのせいで夜までの自由時間がすべて台無しになった哀しみと高かった服を汚して帰った息子への怒りでついカッとなってしまった。
私は慌てて我が子の目に滲んだ涙をそっと拭く。
「ごめんねぇ……ママも疲れてて。本気で怒っているわけじゃないからねぇ?」
「……うん」
怒らない怒らない。今どき叱りつける子育てなど時代遅れなんだ。怒鳴ってばかりでは子どもの教育にも悪い。
そう思って極力怒らない子育てを心がけているものの、必死でやりくりして通わせている習い事がことごとく身につかない息子を見ているとさすがに切れたくもなってくる。
さっきの夫の連絡もまた私の怒りを増幅させる。
「ママ、僕部屋でプログラムの練習してるから」
「あら? そう? 頑張ってね!」
息子が自習すると言ってくれてホッとした。どうやら私の自由時間は確保できるらしい。我が息子ながら気が利いているじゃない。
「あとでお菓子と飲み物持っていくからね」
「いいよ。集中したいもん」
ますます好都合だ。部屋に籠ってくれれば私の負担だって減るし、けち臭いがお菓子代も節約になる。
私は胸を撫でおろし、雑誌を読んだりSNSに長文で愚痴を吐き出して過ごした。あのブランドの新作いいなぁ……子どもの教育費がもっと安かったらなぁ。
「――オイ! オイ起きろ!」
夫の怒号に目を覚ました。……ああ、寝落ちしたんだ。
「何やってんだよお前。もう夕食の時間とっくに過ぎてるだろ、息子に飯は食わせたのか!?」
あ、やべ。ママ友づきあい疲れてんだから大目に見ろよ。
「ごめんなさい……」
舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、詫びを口にする。もちろんごめんなさいなんてしおらしい気持ちは微塵もない。元はと言えばアンタの稼ぎが悪いんだろ。
私の気持ちを慮ることのない夫はわざとらしくため息をつきながら乱暴にソファに座る。
「俺がこんなに頑張って疲れ切ってるってのに……専業主婦はいいよな。気楽で」
「……はァ?」
さすがにカチンときた。
「俺の会社は順調なのに」
「たかが下請けが順調でもねぇ……」
「はァ?」
今度は夫がカチンときたらしい。
「会社は順調だよ、SNSでバズって――」
「じゃあそのアカウント見せてよ! 本当にアカウントが存在するならね!」
「……」
夫は言葉に詰まった。
当たり前だ。そんなもの存在しないんだから。誰一人としてパソコンどころかスマホすらろくに使えない奴ばかりじゃないの。
「でも、専業主婦なら家事くらい完璧にして、子どものことも完璧に……」
「たしかに私は専業だけどね。あんたの稼ぎでもやっていけるのは私の配当があるからでしょ? ぶっちゃけアンタより私の方が稼いでるんだけど?」
どう考えても私の方が立場が上だ。
「その気になればあんたなんて今すぐ捨てられるし。この家だって私の名義なんだからね」
「……はッ。上? ほんの少しばかり俺より稼ぎが多いからって……どうせお前なんかモテないだろ。俺を捨てたら後悔するぞ!」
「……」
あーあ……こいつ本当にわかってない。思わず失笑した。
確かに私は一般的に言う「美人」とは程遠い。はっきり言えば「ブス」と評される部類だろう。
「お前ドブスだからなぁ! 俺みたいなイケメンと付き合いたかったんだろ?」
こいつドブス言いやがった……。
若い頃の私はバカだった。顔が超好みの超イケメンだからって食いついてしまった自分を殴りたい。でもね、若い頃の私もそこまで馬鹿ではなかった。
「そういうアンタは馬鹿でしょ。アンタの稼ぎも使って育ててるうちの一人息子、あの子の父親はあんたじゃない」
「なんだって!?」
夫と結婚する前につい出来心で……それでできた子だ。あの子の実父が逃げたから仕方なくこの男の子ということにしておいた。
「アンタはずーっと、自分の稼いだ金で赤の他人の子を育ててたんだよ。ホント馬鹿だねぇ……」
「なんてことしてんだこの詐欺師!」
息子はどうあがいてもこの男には似ても似つかないというのに。
「気づかないなんて相当間抜けね」
「……気づかないのが間抜けというならお前だって相当な間抜けだよ」
「なんですって?」
ショックという顔をしていたくせに、今度は嘲笑している。感情的な男だ。
「俺の稼ぎが少ないっていつもぼやいてたよな? 言っとくけど、俺は会社で一番手取り多いんだぞ」
「ふん……そんなこといっても所詮工場の給与なんて高が知れてるじゃない」
「工場は工場でもコンサルタントとして勤めてるんだよ。給与はそこそこだ」
なんですって?
「うそ……じゃあなんでいつもあんなに給料少ないのよ……?」
夫は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「そりゃ、せっかく稼いだ金をお前みたいなブスとクソガキに使いたくないからな。カワイイ愛人たちと面白おかしく遊んでたんだよ」
「はァ? てめぇふざけんじゃねぇぞ!?」
「ふざけてんのはお前の方だろブスババア!
感情のタガが外れていく。
普段は理性で無理やり押さえつけていた感情はあふれ出したら止まらない。
壁を強く打ち付けるような打音が響いた。
「もう付き合いきれない! 離婚だ離婚!」
「上等よ! 金輪際私の前に現れないで!」
言ってしまったら取り返しがつかない。
わかっている。
わかっているのだけれど口火を切ってしまっては止まらない。今にもつかみかかりたい気持ちだ。それは夫も同じだろう。
一触即発の空気の中、すすり泣くような声が聞こえた。
「パパもママもやめて!」
私たちがほぼ同時に声の方を向くと、そこにいたのは涙目の息子だった。
『――なに? 今凄い音聞こえなかった?』
「あー、いいのいいの。いつものババアのヒスだから」
『ああ、例のクソババア?』
「そう、毒親」
俺は気の置けない仲間と雑談していた。動画サイトの配信を初めてからは似たような境遇の仲間と愚痴を吐き合ったり相談し合ったり、時には趣味の話をしている。
「ほんと親ってウザいよな」
特に母親。あのクソババア。
周りのレベルに合わせることができない無能のくせに、無理して俺を小学校で受験させた。周りが乳児から金をかけた教育を受けている中、粉ミルクか母乳かどちらがいいかと迷っているような親だ。頭がいいはずがない。当然俺は不合格となり、中学受験のために塾通いをしている。小学受験の失敗を繰り返すまいと毎日習い事がきっちり予定に組み込まれた。おかげで俺は放課後自由に遊ぶ自由がない。ストレスが溜まる。限界に達してわざとババアが奮発して買った服を泥まみれにしてやった。少しだけすっきりした。
『これでいいもん食いな』
この話をしたら同情した視聴者がまとまった額のお小遣いをくれた。
だから毒親設定はやめられない。
「ありがとう! 毒親から逃げる資金にします』
『えらいなあ。俺も応援するよ』
『私も同じだったから。少しだけど支援するね』
最初のコメントが呼び水となって続々と投げられるお小遣い。本当にこれだから配信はやめられない。本当はそこまで困ってないし、ここにいればなんだかんだでババアに生活をどうにかしてもらえるし、実際に出ていく気はない。
けど、このくらいの嘘なんて誰でも盛ってるだろ。
「もう付き合いきれない! 離婚だ離婚!」
「上等よ! 金輪際私の前に現れないで!」
あ、これ割とガチでヤバいやつかも。
「ちょっと非難するね!」
一言断って配信を切る。
いつまでも家族と暮らす気はないが、少なくとも今環境が変わるのは避けたい。
「パパもママもやめて!」
俺はスポドリを目につけて自室のドアを開けた。
どいつもこいつも当然のように嘘をつく。子どもが純粋などどこの脳内お花畑のたわごとだろうか。
「この世界もダメだな」
私は、人が言うところの神だ。この世界は私が作った。
いつか人間が一切嘘をつかない世界を作ろうと遥か昔から試行錯誤している。誰もが隠し事をせず、騙したり陥れたりしない世界。それはきっと平和で優しい世界なのだろうと信じて。
「……まあ、これも嘘なんだけどな」
ため息をひとつ。
「『本当』ってオワコンじゃね?」
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