執筆応援企画SS集

狂った百合

 人間というものは、どれだけ学ばない生き物なのだろうか。
「我を召喚したのは……貴様か?」
 我のような悪魔の存在は遥か昔から人々に認知され、高名な研究家や著名な作家によって幾多の発表がされているというのに。散々悪魔との契約には警鐘を鳴らされていたというのに。
 なぜ未だに悪魔との契約を望むものがいるのだろう。
 今回の愚か者は一体どんな顔をしているのかと辺りを見回したが人影はない。
「はい。あなたを召喚したのは私です」
 いつまで経っても召喚者の姿が見えないと思ったら想像より遥かに幼い人間がそこにいた。
「ほう……? 貴様のような者が我を呼んだのか?」
「はい。どうしても貴方様に叶えていただきたい望みがあったのです」
「ふ……ははははは!」
 我は気づいた時には笑いだしていた。
「なぜ、何がそんなにおかしいのです?」
「貴様のような世間どころか自分すらろくに知らない者が、どうしても叶えて欲しい望み? これが笑わずにいられるものか!」
 本当に自分で叶えられないほどのことかわからぬほど幼い存在が、自身の魂という決して安くはない代償を支払ってでも叶えたいと宣う。これが笑わずにはいられようか。
「……」
 笑い転げる我を始終神妙な眼差しで契約者は見つめていた。
 これはさぞかし深刻な望みなのだろう。魂を頂くのだ、せめて願いくらいは聞いてやろう。
「先に言っておくが、我は貴様の願いを叶えてやるがその対価は決して安くはないぞ? 死後の魂は我が好き勝手に弄ぶ。地獄逝きとやらが相当温く感じられるほどだ」
「かまいません」
 間髪入れず召喚者はきぱりと言った。
「覚悟の上か。さぞかし重大なことなのだろうな」
 唇を真一文字に結んだ召喚者は黙ったままだ。
「して、そこまでして貴様が叶えたいと望むことは一体なんだ?」
 

 まただ。
「……」
 わたしは黙ったまま机の中を探った。けれどやはり、次の授業で使う社会の教科書はどこにもなかった。
 ああ、やっぱりまたか。
 机の中に向けていた視線を上げると、いつものような悪意に満ちた笑い声が聞こえてくる。
「くすくす……」
「くすくすくす……」
 本当にこんな笑い方をしているのかは知らない。少なくともわたしにはこう聞こえるだけだ。どいつもこいつも同じ、一人くらい居なくなっても全く変わらないような没個性な笑い方。考えるまでもなく経緯は察した。
 バカバカしくなってこれ以上探すのをやめた。どうせ見つからないんだろうし。
「はーい、私語やめてね」
 丁度その時、社会の教科書を抱えた先生が教室に入ってくる。
「んー……じゃあ授業始めるから静かにしてね」
 先生はわたしの方を一瞥したが、すぐに何事もなかったかのように黒板に地図を描き始めた。
 やっぱりね。
「……」
 教科書がないわたしでもノートは机の中に残っていたのでそこに適当ならくがきを始める。先生が教科書に書かれていることの説明をしてもないからわからないし。
 最近ハマっているゲームのキャラを描いて、自分でも大変満足な感じの出来になった。見せる相手なんてひとりしかいないんだけど。
「あ、もうこんな時間? じゃあ今日はここまで。わからなかったところは気軽に聞きに来てね」
 そう言って先生は教室を出て行った。
 わたしもまた、悪意の充満した教室にいたくなかったし、隣のクラスに向かう。


「陽子!」
 隣の教室のドアを開けた途端、わたしは唯一の友達の名を叫ぶように呼んでいた。
 幸い陽子は教室にいた。ずっと変わらない優しい笑顔を浮かべて手を振ってくる。
「なずなちゃん!」
 入り口で大声で名を呼んだというのに、陽子は少しも迷惑そうなそぶりを見せることなくこちらに駆け寄る。その様子にホッとした。
「どうしたの? もしかして、また教科書がなくなったの? 私のでよかったら貸すよ?」
「いや……ただ会いたかっただけ」
 心配をかけたくなくて咄嗟に嘘をついてしまった。本当にただ会いに来ただけだから。
「なーんだ! てっきりまた何かあったのかと思っちゃった」
 陽子は不安げな顔でわたしを見た。
 今やこんな風に心配してくれるのは陽子だけだ。わたしからは何も返せていないのに、陽子はいつもわたしのことを心配して優しくしてくれる。クラスが分かれる去年までは特に親しくなかったのに今の状況になってからは何かと気にかけてくれる。
「何もないから大丈夫だよ」
 せめて余計な心配をかけたくなくて言葉を添える。
「もう! なずなちゃんは優しいんだから」
 まるでわたしの代わりに怒るかのように陽子は憤慨した。
「みんなひどいんだもん! 去年まではあんなに仲良しだったのに……休み時間のトイレはもちろん、休みの日にあちこち遊びに行って、月一でみんなでお泊りしてたのにさ。なんで急にみんなしてなずなちゃんをいじめるんだろ」
「……」
 わたしもわけがわからない。
 特に何かした覚えはない。決定的に仲違いするような出来事があったわけでもない。それまで通りに過ごしていただけ。
 なのに気が付いたらわたしはことあるごとにハブられて、何かにつけて難癖をつけられる。ノートや教科書を隠されるなんて日常茶飯事だ。
「わたし、何かしたのかな? 麻弥にもやづみにも、めちゃくちゃ優しかった亜子にもイヤな笑顔向けられるんだよね」
「何もしてないよ。なずなちゃんは何も悪くないじゃない」
 陽子がきっぱりと断言してくれたことで安心した。
 ずっと自分が悪いんじゃないかって。わたしにすべての原因があるんじゃないかって、ずっと不安だった。
 けど陽子から見てもそう見えるならきっと大丈夫だ。
 わたしのことを本気で心配してくれる陽子がいればそれでいいんだ。
「……あ、でも」
 思い出したように陽子が呟く。
「でも、何?」
「亜子って名門校を受験するって言ってたじゃない? すごく難しくてライバルが多いところだって」
「ああ、うん。そういえば言ってたね」
 亜子の志望校はわたしも検討しているところだ。亜子本人には言えないけれど滑り止めに。
「なずなちゃんが願書を取り下げれば、それでライバルが減るじゃない?」
「……うん。そう、だね……」
 まさか。
 陽子には悪いけどその可能性は限りなく低いんじゃないかと思った。
 あまり偏差値は高くないところだけど、志望者はそれなりに多いところだ。わたし一人受験をやめても大して影響はないだろう。
「必死に勉強のことだけを考えてると視野が狭くなるでしょ? 亜子もそれでなずなちゃんの妨害と当たり散らすことがごっちゃになったんじゃないかな?」
「……」
 陽子は心配そうにわたしを見つめる。今にも泣きだしそうなほどわたしのことを思って、辛そうな表情だ。
「それならまだいいかも」
「えっ?」
「受験でギスギスしてるなら受験が終わればわたしへの仕打ちも止まるだろうし」
 そうなって欲しいという願望も籠った言葉だった。
「こう見えてわたしもそろそろ限界かも、って……」
 教室にいる時はアイツらを喜ばせたくないからやせ我慢していたけど、本音を言うと限界だった。
「そのうちあっちの世界に旅立ったりしてね?」
 どうにか笑おうとした。
 でもできなかったらしい。
「なずなちゃん!」
「わっ!」
 陽子はわたしを強く抱きしめる。
「わたしはどんなことがあってもなずなちゃんの味方だからね」
「陽子……」
 暖かい。
 わたしを抱きしめる陽子は暖かかった。教室中のみんなが敵だとしても、こうしてわたしのことを思ってくれる人がいるのなら耐えられる。
「ありがとう。陽子は誰よりも大事なわたしの一番の友達だよ」
「……なずなちゃん」
 陽子は困ったように笑った。
 この子は地味なタイプだけど、誰よりも繊細で友達想いだから。だからかつて仲良しだったわたしたちがここまで険悪な雰囲気になっていることに心を痛めているのだろう。優しい子だから。
 わたしがそう思っていると、陽子は何かを迷っているような素振りを見せた。
「あの……あのね、私なずなちゃんに謝らなきゃならないことがあるの」
「謝らなきゃならないこと?」
 陽子に謝られることなんて何もない。むしろ感謝しかないのに。
 不審に思っているわたしの前で、陽子はしばらく目を泳がせていたが意を決したように口を開いた。
「あのね……なずなちゃんが今いじめられてるのはわたしのせいなの」
 一瞬言っている意味が解らなかった。
「は?」
「ぜんぶ私のせいなの。私が……悪魔にお願いしたの。召喚して悪魔にお願いしたの。みんなになずなちゃんをイジメてくださいって」
 一気にまくしたてるように陽子は言った。
「ちょ、ちょっと待って? なんで陽子がそんなことを……?」
「だって!」
 陽子は悲鳴のようにうめく。
「なずなちゃんってみんなの中心人物でしょ。皆の人気者でしょ。みんながなずなちゃんのこと好きでしょ。……だから。私なんかがどれだけなずなちゃんのことを好きでも、なずなちゃんは私のことなんか気にも留めないじゃない!」
「そんなこと――」
「だから!」
 陽子が乱暴に頭を振り乱す。
「みんながなずなちゃんのことイジメるようになれば私の方を見てくれるんじゃないかって! そう思ったの!」
「そんな……」
 じゃあ、わたしの現状は。
 全部陽子が原因だったの? 陽子が余計なことをしたからこうなったの?
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! でも私、陽子ちゃんが大好きで。他の誰にも渡したくないと思ったから。私だけで独占したくなったから……!」
 陽子がしゃくりあげる。
 その顔に伺えるのは後悔。心から自分のしたことを反省して嘆いている顔だ。
「ズルいなあ」
 そんな顔をされちゃ、責める気にもなれないじゃない。
「……」
 悲しそうに泣き続ける陽子の顔は綺麗だった。
「理由は何にしても。わたしはわたしを好きだと言ってくれる人を見放したりしないよ」
「……え?」」
「陽子ってば、しょうがないなあ。そんなにわたしのことが好きだったなんて」
 今度はわたしが陽子を抱きしめた。
 お日様のように暖かい身体。ずっと望んでいた体温だと今更ながら思った。
「なずなちゃん……わたしのこと怒ってないの?」
「怒ってないよ」
「許してくれるの?」
「もちろん許すよ」
「……なずなちゃん!」
 陽子もわたしの背に腕を回して力を込めた。嗚咽交じりにわたしにごめんなさいと連呼している。
 わたしへの好意と罪悪感。
 これで陽子はそう簡単にわたしから離れることはないだろう。
「なずなちゃん! なずなちゃん!」
 しゃくりあげる陽子の背中をさすりながら、わたしは突然あの時の記憶が蘇って来た。
 あの時、わたしは悪魔を呼んで――
『そう、契約を忘れてはいないようだな』
 脳裏にどこかで聞いた声が響いた。大事なことだが忘れていた。
 あの時契約した事実を忘れるように約束していたのだとついでのように思い出す。
『我は貴様の願いは叶えた。貴様の願いも、みんなに虐められたいだったな』
 一気にあの時のことが蘇る。
 わたしはあの時悪魔を召喚して自分の魂を対価に願った。仲良しグループのみんなに虐められたいと。
 そうすれば、それまで私のことなんて見てくれなかった陽子がこっちを向いてくれると思ったから。ずっと陽子が気になっていたけど、大人しかった陽子はわたしに話しかけてくることは少なかったし、わたしもわたしで事あるごとに他の子たちに話しかけられて陽子に関わることができなかった。はっきり言って陽子と接するためには他の友達は邪魔だった。
 陽子の方はわたしのことが気になっているようだったけれど、常に人に囲まれている状況を見て遠慮しているようだった。それでも、わたしを見る陽子の眼はわたしに関心があるのだと雄弁に語っていた。
 いつしかわたしは常に陽子のことを考えるようになってしまった。これまで積極的な子とばかり関わって来たわたしにとって、陽子のような控えめな子は新鮮だったし、飾り気のない陽子の言動は嘘も偽りもない純粋なもので、とても綺麗だと思ったから。
 それでも他の友達と一緒にいる限り陽子と深く関わることはできない。だからわたしは考えた。
 わたしがいじめられているとなれば優しい陽子は放っておくことは出来ず、わたしを最優先で考えてくれて、誰よりもわたしのことで意識がいっぱいになると思ったから。わたしのことだけ考えるようになると思ったから。
『人間の考えることは理解できん。再び言うが、どんなことであろうが望みを叶えたら貴様は我に魂を渡すことになる。死後も永遠の苦しみを味わうこととなるのだぞ?』
「もちろん知ってのことよ」
 すべて承知の上で契約したのだ。
 そして今、わたしは陽子の心を手に入れた。他の誰にも脇目を振らずわたしだけを見てくれる陽子。わたしだけを見て、わたしのためだけに悪魔と契約までしてしまった陽子。それほどまでに陽子はわたしを好いている。
 わたしはただの人の身でありながら人の心を手に入れたのだ。
 陽子の愛情、魂はわたしだけのものだ。
「これ以上何を望むというの?」
 身に余る降伏が手に入ったのだから、もう何も望むことはない。
『貴様は……貴様らは、狂っている。イカれている』
「そう?」
『ただ一人の心を手に入れるためだけにここまでのことをする。善良な友の魂を狂わせ、愛する者にすら真実のことを言わない』
「悪魔が『愛する者』とか言うの失笑ものなんだけど」
 わたしだけじゃない。陽子も既に悪魔と契約している。
 陽子もまた、わたしを手に入れるためならどんなことでもするのだろう。わたしはその歪んだ執着すら悦びでしかない。なりふり構わない程わたしが好きだという何よりの証だから。
「狂人同士わたしたちは似合いの恋人ということでしょ?」
 ならばわたしたちの行きつく先は同じ。共に悪魔の元に行くのだ。死後もずっと一緒ということだ。これほどまでの幸せはあるのだろうか。おまけにお互い同じを考えていたのだ。価値観も相性もこの上なく抜群にいい。
 私たちは互いに相手のことしか考えないし、わたしたち以外の誰も見てもいないのだ。
「最高」
 わたしは呟いて陽子を抱く腕に力を込めた。
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