執筆応援企画SS集

私だけは知っている

「えっ? ご主人様はどんな人物か、ですか?」
 私が質問すると目の前の女性は少し驚いた顔をした。どうやら私が既に知っていると思っていたかららしい。
「確かあなたは遠くからこちらにいらしたのですよね? それならばご存じないのも無理もないですね」
 彼女は私が説明する前に一人で納得した。実際その通りなので私はただ頷く。
「地元の者でないならご主人様のことはご存じないですよねぇ。では、不肖このメイドがご主人様のプロフィールをご説明いたしましょう」
 お願いします。
「ご主人様は幼少の頃よりこの地で育ちました。由緒正しい名門校に通い、地域の方々とも深い交流がありました。ボランティア活動にも熱心でしたので多くの人に慕われていました。素晴らしいお方でしょう?」
 そうですね。甘やかされたボンボンだと思い込んでいた自分が恥ずかしいです。
「そのようなことを思っていたなんて」
 ごめんなさい。
「私が相手だからいいものの、ご主人様に対して『ごめんなさい』ではいけませんよ。謝罪の際は『大変申し訳ございません』くらいは言わないと。よろしいですか?」
 はい、大変申し訳ございませんでした。
「よろしい。……では私はご主人様のお帰りまでにお掃除を終えなければならないので」
 お忙しいところありがとうございました。
「早くこの屋敷のお仕事に慣れるように。頑張ってくださいね」
 メイドはそう言って私の前から足早に立ち去った。


 私は今日からこの屋敷に勤めることになった使用人だ。
 学歴も目ぼしい資格もない私は雑用を受ける何でも屋を営んで日々小金を稼ぎ細々と生きてきたのだが、先日仕事中に大怪我をして退職することとなった。医者からは大人しく療養しているようにと言われたが、ずっとその日暮らしの自転車操業をしていたため貯金もなく、助けてくれるような人物は傍にいなかった。
 そんな八方塞がりの状況に救いの手を差し伸べてくれたのがこの屋敷の主人だった。私はありがたくその手を取った。
 仕事は屋敷に住み込みでの雑務。わかりやすい言い方をすると使用人といったところだろうか。住居を追い出された私に住み込みという待遇で給与ももらえるなんて大変ありがたい。
 しかしそれでも邸の主人について私は何も知らないので、以前から住んでいる住人に主人について聞き込みをしているというわけである。


「ご主人様の人となりについて?」
 はい。
「そうねぇ……」
 目の前の少々年嵩の女性はしばし考えこんだ。服装からしてメイドかと思ったが、他の女性たちとは少し違ったデザインの服を着ている。
「ああ、私はメイド長よ。他のメイドを束ねる上司ってところね」
 なるほど。というか、現代日本にもそういうのあったんですね。
「そうなのよ。ここのお屋敷は代々続く名家ってやつだから。それなりの人数を雇ってないと威厳ってものがないでしょ。体面も大事なのよ」
 へぇ。それはまた。
「私たちのご主人様、現当主の代になってから使用人の数は減ったんだけどね。でもほら、少人数だとカッコつかないし」
 見栄と体面って奴ですね。
「そうそう。これでも大分減って、職を失った子たちも多いのよ。現当主様――ご主人様もなかなか残酷なことをなさるわよね」
 残酷?
「雇っていた子の大半は一般就労が難しい子たちばかりでね。ここしか仕事がなかったわけ。先代までは大きなミスをする子でもここしかないんだから、って寛大に見逃してたんだけどね……今代はそのあたり容赦がないから。無能はいらないってスパって切り捨てたわけ」
 なかなか酷いですね……。
「まあね。でもそんなにひどいかしら? 使用人としてできて当たり前のことができていない相手にそこまで手厚い対応する必要ある? できないんだから馘首も仕方がないでしょ。お給料は仕事ぶりに支払うものなんだから」
 まあ、はい……正論ですね。
「むしろ仕事しないのにお給料をもらおうとするのが図々しいの。その点ご主人様は損切りできて有能だと思うわよ。あとは、事業を拡大したわね。それまで地元住民の声に寄り添っていたからできなかった再開発にも乗り出したし」
 ……再開発。
「ほらこのあたりって自然が残る場所でしょ。今どきここまで綺麗な森や林が残った豊かな自然なんてなかなかない。だから新しい工場なんかも住民の反発でできなかったわけよ」
 そういえば森ばかりですもんね。
「豊かな自然が残る場所といえば聞こえはいいけど、要は不便な田舎だからね。ただ手つかずの大きな森があったって収益にはならないし。自然豊かな分虫や害獣も頻繁に出てくるし」
 私、ここに来てから五か所も蚊に刺されましたよ。
「自然が多いと虫も多いし、どれだけ丁寧に掃除してもほぼ毎日お風呂に虫が浮かんでるし。よく森から狸も飛び出してきて運転も大変だし。そんな現状を少しでもよくしようと、多少強引にでも開発を進めたご主人様は立派だと思うわよ」
 はあ……なんだか前に聞いたのと印象が違いますね。先ほどのメイドの話からは慈悲深い人だという印象があったのですが。
「ま、そういう感じにすごいご主人様だから。失礼のないようにね」
 わかりました。
 話は終わりとばかりに踵を返すメイド長に私は礼を述べた。
 ぼんやりとわかってきたが、ご主人様の性格はどのようなものなのだろうか。雇用主のことはもっと知っておきたい。特に性格など。私は無意識のうちにポケットに手をやっていた。
 そんなことを考えていたら目の前に中年の男性が通りかかったので私は話しかけてみた。
「何の御用です?」
 あ、ええと……私、今日からここで働くことになった者です。
「ああ、話は伺っておりますよ。私は執事としてご主人様の生活を支えております」
 執事までいるんですか。
「ええ。ご主人様、メイド長、メイド十二人、運転手が二人、庭師が一人、雑用がかりが三人。そして執事の私」
 そんなに住人がいるんですねこの屋敷。
「当然です。ご主人様は大変ご立派な自慢のご主人様ですからね」
 皆さんそうおっしゃいますよね。
「事実ですから。誰が申しても同じ内容になるのは当然でしょう」
 でも、結構な人数をクビにしてるとか聞きますけど。
「仕方がないでしょう。使えない者に情けをかけては本人のためにならないんですから。むしろ現実を教えてやるだけ人格者ですよ」
 はぁ……。
「ご主人様は名門の血を引く者として恥ずかしくない、気高い心をお持ちです。私としてはあまり下々の者と触れ合って欲しくはないのが本音なのですが……ご主人様がお望みなら従うだけですね」
 ……。
「高貴なる者の義務として慈善活動に精を出されるのは結構ですが、あまりのめり込まないで欲しいものです。あなたも、あまりご主人様に馴れ馴れしい口を利くのはやめなさい。常に自身の分を弁えた言動を心がけること。よろしいですね?」
 はい。
「では、私はご主人様に声掛けをしなければならないので。失礼します」
 待ってください。私もついていってもよろしいでしょうか。きちんと顔を合わせたことがなかったのでご挨拶を。
「そのような理由ならば特別に許可いたしましょう」
 執事はそう言って私を主人の寝室へと導いた。


「失礼いたします。ご主人様、お目覚めでしょうか?」
 執事の声掛けに扉の向こうから小さくベルの音が聞こえた。
「はい、ええ、かしこまりました」
 どうやらベルの回数で主人は指示を出しているらしい。
「ご主人様はあなたと二人きりでお話してくださるようです。事情はわかりかねますが、くれぐれも失礼のないように。よろしいですね?」
 はい。
 私の返事を聞いた執事は踵を返して長廊下を歩きだした。部屋をノックしてから部屋に入る。
「よく来たな。具合はどうだ?」
「おかげさまで。例の怪我もだいぶ良くなりましたよ」
「それは幸いだ。こちらとしても一安心だ」
「あなたの無茶な再開発がなければ私もこんな大怪我を負わずに済んだんですがね」
 私は左腕を持ち上げた。ひじから先はもうない。
 それを見た主人は僅かに眉をひそめたが、すぐに微かな微笑を浮かべた。この微笑みだけを見ていれば寛大で心優しい地主に見えるが、私の中での彼のイメージは強引で冷血な権力者だ。漫画などで見かける悪い権力者そのもの。
「あれは残念だった……まさか地中に可燃性のガスが溜まっているとは思わなかったから。おかげで怪我人の治療費に慰謝料、その他諸々でかなり手痛い出費をした」
「感想はそれだけですか」
 屋敷の使用人の中であの事故の件に触れたのはメイド長だけだった。私はずっと再開発には反対していたものの、破格の日給に釣られてはその魅力に抗うことは出来なかった。結果、得たものと言えば雀の涙の慰謝料と治療費、そして取り返しのつかない腕の怪我だ。馬鹿だった。
 この屋敷の使用人たちは主人を人格者のように思っているが、私から見た彼は弱者を虐げる強者だ。同じ人物についても見る者によって違った顔を見せるものなのだろう。
「お前たち庶民にどれだけ憎まれようが私には忠実な僕たちがいる。君も見ただろう? 屋敷の使用人たちは皆私を慕っている」
「ロボットを侍らせて何がそんなに楽しいのか。理解に苦しみますよ」
 この屋敷にいる人間はおそらく私と目の前の人物の二人だけだろう。
「ただのロボットではない。最先端の人工知能を搭載したヒトと変わらない者たちだ。昔のSF作家でもここまで人間に近いロボットが誕生するとは思わなかったのではないか。ヒトと違ってどんな危険も恐れず、非常事態にも決して感情的になることはない。下僕にはうってつけの人材だよ彼らは」
「たしかに一目見ただけでは人間そのものですもんね。主人の耳に痛いことは絶対に言わない。完璧なイエスマンだ」
「よくわかっているじゃないか」
 私は、目の前にいる彼の無茶な再開発計画の真相を暴くためにこの屋敷にやって来た。こうして二人きりで話していればきっとボロを出す。週刊誌にリークできればせめて一矢報いることくらいはできるだろう。私のような取るに足らない者にだって意地があるのだと思い知らせてやるのだ。
 一言でも決定的な言葉を胸ポケットのレコーダーに録ることができればそれで――
「だがそこまで知ってしまった君が果たしてこの屋敷から出られるとでも思ったのかな?」
「!」
 主人の不穏な一言と同時に背後で複数の足音が聞こえてきた。ガチャン、などという到底人間の足音とは思えない音。それが複数、二十人分ほど。
 背中を冷たい汗が伝った。
「せめてもの罪滅ぼしにせっかく雇ってやったのに……」
 私の身体を冷え切った金属製の何かが固定した。身動きが取れない。
 一気に身体が冷えていく。
「何も知らないままでいればこうはならなかったのに」
 右腕に激痛が走る。声を上げることすらできない。痛い、痛い痛い痛い……!
「知らぬが仏だよ」
 私が最期に聞いたのは心底残念そうな穏やかな男の一言だった。
 どれだけ多くのモノに慕われようが、その内面はどす黒く染まっていることを私だけは知っている。知ったところでどうにもならないことであるが。
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