執筆応援企画SS集
涙腺が崩壊する話
「出た! 奴だ!」
突然聞こえてくる重厚な足音、乱暴に木々の間を駆け抜ける音、一瞬で張り詰めた空気が漂う。
「来るぞ、みんな構えろ!」
使い込まれた大剣を構えたケネスの号令が響き渡る。俺もまた自分の得物を握り締めた。
突然だが、俺は転生したらしい。最近たまに耳にする異世界転生とかいうやつらしい。んなバカな。
俺はいつものように出勤して、仕事を終えて電車に揺られて帰宅して、白飯に味噌汁に納豆という夕食を終えて、風呂に入って動画見て、そのまま寝ただけだ。ずっと繰り返してきた日常をいつも通りに終えて就寝しただけだ。
なのに気づいたらゲームっぽい世界の中にいた。もちろん世界のごく一部しか見ていないから断言はできないが、徒歩で行ける範囲を見る分にはゲームでよく見る風景に酷似していた。コンビニもスーパーも書店もない。あるのは中世ヨーロッパっぽいけど似てるだけで全くの別物な建物ばかり。なぜか読めた看板には、「宿屋」「武器屋」「防具屋」「道具屋」などと書かれている。武器と防具をそろえたいときもいちいち別の店に行かなきゃならない上に夜には店は閉まるので買い物は出来ない。日本のコンビニって本当にありがたいものなんだなあ。
他には「合成屋」「鍛冶屋」「占い屋」なんてものもあった。ゲームでは占い関連はヒントをくれるありがたい場所だったけど、いざ自分がゲームの世界に来るとなると占いでどうやって生計を立てているのか気になって仕方がない。目的もなくそこにいる旅人Aにヒントは別に必要ないし。
一通り周囲を見て回ったところで俺は途方に暮れた。
「どうしよう」
本当にどうしよう。
歩き回って情報収集をした結果、この世界には既に勇者と呼ばれる者は多数存在していて、むしろ誰が魔王を倒しに行くかで揉めているらしい。魔王を倒す勇者を決めるための戦いが各地で繰り広げられていて、もはやバトルロワイヤル状態のようだ。勇者が多すぎて蟲毒になっているなら、俺は勇者じゃなくてよかったと心から思う。大体魔王を倒す冒険自体命がけな上に、報酬も苦労に見合わないしょぼい物だったら目も当てられない大損だ。なら最初から大役など目指さずに生活に困らないだけの給料がもらえる仕事を地味にこなすほうが得策だ。
そもそもこの世界はそのあたりのシステムはどうなっているんだろう。通貨は存在しているようだが、業務内容に対して妥当な報酬なのか、待遇はどうなのか、昇進やボーナスなんてものはあるのか、正社員や派遣やアルバイトみたいな違いはあるのか、保険や社会保障やいざという時の福祉や助成制度なんてものは存在するのだろうか。起きたらここにいた俺にはそのあたりの常識が全くないから悪徳業者にとってはいいカモでしかない。
ああ、本当にどうしよう。
「なんだ、困ってんのか兄ちゃん?」
突然ポンと肩を叩かれて振り返ると、そこにはいかつい男とメガネをかけた女がいた。男の方はいかにも歴戦の戦士といった風貌で、眼光が鋭く、使い込まれた身の丈程の大きな剣を持っている。女の方はゲームなんかでよく見る魔法使いそのもの。地味な紫色で統一されたワンピースとファンタジーでよく見かけるあの魔女っぽい帽子を被っている。腰のベルトにに武器らしき杖と試験管のようなものを数本を挟んでいるのがどことなく賢そうに見える。
「あ、えっと……」
俺はどう答えたものか逡巡する。
本当に困っているが、この男を信用していいものなのだろうか。もし俺のような右も左もわからない情報弱者を狙っていたとしたら、ここで正直に「はい困ってます」などと答える方が命取りだ。更に困ったことになるだろう。
「ひょっとしてお上りさん? とんでもない田舎から上京してきたとか?」
「ああ! それか!」
女の方がそう言うと、男の方も合点がいったとばかりに頷いた。
「はい、そうなんですよ! とんでもない田舎から来たもんだから、気づいたら迷ってて……」
これ幸い。
俺はとんでもない田舎から上京してきたばかりの田舎者ということにした。この世界の常識がわからない以上、田舎出身者だから当たり前のことがわからないんですテヘペロ☆という態度でいる方が無難だ。常識のない俺ひとりでは情報収集にも難儀しそうだし。
「やっぱりな。この辺は比較的弱いモンスターが多いとはいえ、ひとりで戦闘なんて難しいだろ」
「そうよね。私らだって2人で冒険してるけど、いつもヒヤヒヤしてるもの……よかったらあなたもうちのパーティに入らない?」
「丁度ちょっと難易度が高い依頼を引き受けたばっかでな。お前も入ってくれると助かるんだが」
俺の返答を待たずに話は勝手に進んでいく。
正直、危険ばかりのモンスター討伐なんて嫌だ。ゲームの世界なら瀕死になろうが回復アイテムを使えば即座に復活するので大したことはないが、俺が現実にここに居る以上はかすり傷でも負ったら痛いだろう。なのにモンスター討伐とかイヤすぎる。いつも回復アイテム使いまくりでゴリ押ししててすまんかった、俺のゲーム使用キャラよ。
「あの……モンスターと戦う仕事しかないんですか? 他の事務とか店の売り子とか、そういう仕事ってないんですか?」
日常生活を送るのが目的ならわざわざ危険を冒す必要はない。声をかけてくれたのはありがたいが、俺は早死には御免だ。
すると男の方がキョトンとした顔で言った。
「そんなものはツテがある奴が紹介されて就くもんだ。お前はそんな地味な仕事がイヤだからわざわざ上京してきたんだろ?」
「……え?」
「信用のないよそ者が就ける職なんて冒険者だけだぞ?」
こうして俺は二人に誘われるまま冒険者となった。
男の方はケネスという名の戦士、女の方はルーンという名の魔法使いだった。
2人は同郷出身の幼馴染で、最初こそ勇者を目指していたそうだが勇者を決めるための勇者同士の争いに嫌気がさしてただの冒険者になったらしい。勇者は魔王を倒せた場合のみ成功報酬が手に入るらしいが、当然討伐に失敗すれば一銭も入らず、経費も一切支払われない。命がけの冒険をしてもその扱い、何たるブラック職業だろうか。
魔王を倒す気がない戦闘を生業とする者は等しく冒険者という扱いらしい。ゲームではそれなりに華やかな印象があったものだが、実情はただのフリーター。正規雇用どころか非正規でもなく、気ままに依頼を受けて気に喰わなければやめられるが報酬は安く、保険もない。よって冒険者はたまに入る依頼をこなして臨時収入にする程度で、普段は他の仕事をして生活を安定させているらしい。現に2人はケネスは体力を活かして現実で言う土木系の仕事を短期で受け、ルーンは冒険先で入手した珍しい素材や調合した薬を問屋に卸して稼いでいるらしい。ゲームっぽいい世界観のくせに妙なところで生々しい。
そんなわけで今回俺が誘われた理由も、少し難しい依頼をギルドで受けたために戦力が欲しかったかららしい。
「……っていっても、俺は剣なんて持ったこともないし、魔法もたぶん使えないですよ?」
「それでもいいんだって」
「そうそう。こう見えて私もケネスも腕っぷしはそこそこ強いのよ。ただ、2人きりでしょ? 人手が足りないのよね」
失礼だが弱いんだと思っていた。
「直接モンスターと戦うのは俺の役目だ。ルーンは中距離から魔法で攻撃したり補助魔法をかけるのが仕事。だからお前は戦闘中にルーンの手伝いをしたり道具を使って援護したり、他の魔物が乱入しないように見張ったり、余裕があれば弓で牽制したり……こういうのをやって欲しいんだ」
なるほど人手が欲しいというのはそういうことか。たしかに2人だと実力があったとしても厳しいものがあるな。
「でも、俺に弓なんて使えませんよ? 持ったことなんてないし」
「別に敵に当てろなんて言ってない。当てなくていいからこっちに敵がいるんだってモンスターに思わせて追っ払ったりするだけでいい」
「それならなんとか……」
まさかそんなこともできないなんてことはないだろう俺。
「今度のモンスターは涙腺破壊すれば希少な涙という素材が手に入る。これは高価で売れるし、貴重な薬品の原材料でもある。報酬は3人で分けよう」
危険が伴う仕事だが、3人がかりである程度の腕はあるだろう2人の補佐をすればいいだけ。他に手立てもないし、俺の答えは決まった。
「わかった。その話に乗るよ。よろしくお願いします!」
こうして俺は冒険者として仕事を始めた。
「やった!」
俺はようやくワイバーンの額に片手剣を叩きこむことに成功した。
当然敵も俺の攻撃を素直に受けるわけじゃない。剣を持った俺を叩き落そうと半狂乱になって激しく抵抗する。
「グ……っ!」
額に刺さった剣だけが俺と敵を繋ぐ唯一の物である以上、敵は俺さえここから叩き落せば逃げ切れるとでも考えているのだろう。だがそうはさせない。
長い苦労の末にやっとのことでたたき込んだこの一撃。ずっとコイツのことだけを調べ上げ、入念な事前準備と仲間との連携を経て、やっとのことでここまで来れたんだ。
ケネス達と出会って3年が過ぎ、へっぴり腰で矢を放つことが精いっぱいだった俺も今では片手剣を扱う剣士になった。未だにあの時世話になったケネスとルーンのパーティにいる。現在は不景気で困窮しているので高難度のワイバーン討伐の仕事を受け、こうして討伐にきているわけだ。仕事の報酬が入ってくれば久しぶりに宿屋のベッドで眠れるし、栄養のあるものも食べられる。
簡単に振り落とされてたまるか!!
「ぎゃあぁぁぁあ!」
至近距離で聞こえる、耳を塞ぎたくなるような獣の咆哮。鼓膜が破れそうだ。それでも俺は必死に柄を握り締めて敵にまとわりつく。
「く…っ!」
どれほどの時間が経っただろうか。実際には数分程度だったのかもしれない。けれど俺には数時間にも感じられた。
いい加減に剣を握る手も限界だと脂汗が噴出した頃、腕に生暖かい感触があった。
「涙だ!」
ケネスの声が聞こえてきた。
「本当か!?」
「ああ間違いない。奴は涙を流している、涙腺崩壊したんだ!」
ああ、やっと、ようやく……。
「っと」
無事目的を果たした俺はゆっくりと剣を引き抜く。どうりでさっきからワイバーンの動きがのろくなっていたわけだ。
「俺たちはやったんだ!」
それは俺たち三人が心から望んでいた勝利の瞬間だった。
剣を抜いた後、ワイバーンの身体をつたって地面に降りると大粒の涙を流すワイバーンの姿がそこにあった。倒れ込んだコイツの目元から涙を採集する。量が少なかったらまた戦わなければならないと思っていたが、涙は一粒だけでも薬缶に一杯分程度の量があったのでその心配は杞憂だった。
「これで極貧生活とはおさらばだ!」
俺は気づいた時には喜びの涙を流していた。
「頑張った甲斐があった……」
これで俺たちはしばらく生活に困らないだけの収入を得られる。ちゃんとした食事をし、ちゃんと風呂に入って洗濯もして清潔な服を着て、それなりに柔らかいちゃんとした寝床で眠れるんだ。人間らしい生活ができるんだ。
「本当に、よかった」
ここまでの苦労を振り返り、気づいたら俺は涙腺が崩壊したかのように涙がひとりでに溢れていた。この涙は歓喜の涙、何も恥じることはない。
「よかったよォ!」
俺は両手で拳を作って天に掲げる。暗くなった空に瞬く星々は俺たちを祝福しているように思えた。
そして次の瞬間、俺は朝日に瞬きをした。
「……あれ?」
俺はいつの間にかベッドに横たわっていた。
視界に入るのは見慣れた自分の部屋。今まで生きるか死ぬかの戦いをしていたのは夢のようだった。本当に夢だった。
「……」
しかし、あの生死がかかった戦いの記憶は紛れもなく俺の中にある。俺の夢という心の中に。
「だよな。ゲームの世界にとか、そんなん夢に決まってるよな」
いい年して俺は何を考えているのだろう。もしかして疲れているのだろうか。
「せっかく一番盛り上がるところでリセットボタン押された気分だ」
今までの苦労が水の泡、どころか最初から泡沫の夢だったのだ。俺は気づいた時には涙腺崩壊したかのように涙があふれだしていた。
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