執筆応援企画SS集

そのインキュバスは仕事ができない。

「それでは――今月の業績一位は池君だ」
 上司の発表とほぼ同時に賑やかな拍手が鳴り響いた。
 渋いナイスミドルという形容がピタリと似合う中年の上司はたった今名指しした池の肩に手を置いて笑いかける。その笑みは別に老け専でなくともどきりとしてしまいそうな程キマっていた。
「部長、ありがとうございます!」
 入社以来うちの部署で最も業績を上げてきた池は誇らしげに笑う。こちらは勤続年数が浅いが、最近人気のある若手俳優にそっくりのみずみずしい青年だ。王子様系イケメンという言葉が良く似合う。
「これからも日々精進いたします」
「うむ。池には入社当初から期待していたんだ。やはり俺の眼に狂いはなかったというわけだな」
 来るぞ。
 俺は内心身構える。毎月行われる業績発表の場では池が褒めたたえられるのは毎月の恒例だが、もう一つ恒例の出来事があるのだ。
「それに比べて……」
 わざとらしい溜め息をつきながら、部長はこれまでとは打って変わって蔑む目つきをした。予定調和のように勢いよく俺の方を向く。
「阿寒! お前ときたら何をやっていたんだ!」
 今までの上機嫌が嘘のように部長は雷を落とした。当然のように雷が落ちるのは俺だけにである。
「……すんません」
「勤続何年だと思っているんだ! お前は池のように新人じゃないんだぞ! 新卒で入社して今年で何年目になる?」
「十と五か六年くらいですね」
「池より十年は先輩だ。皆それは知っている。じゃあなぜそのベテランが一件も成果を上げていないんだ?」
「仕事ができないからです」
 俺は正直に理由を言った。
 案の定この返答は部長の怒髪天を衝いたらしく、顔が一気に真っ赤になった。
「わかっているならなぜ改善しない!? うちはお前のような役立たずを置いておくほど余裕はないんだ!」
「……」
 ご尤もなので黙り込む。
「お前みたいな奴は年々増加していると聞く。まったく。先輩が不甲斐ないと若い連中にも伝染していく。お前は腐ったミカンだ!」
「……」
「とっとと次の仕事に行ってこい! この無能が!」
 こうして俺は仕事のできる新入りがチヤホヤされているのを尻目に、一人虚しく仕事に向かった。
 が、上司に叱咤されたからといっていきなり仕事ができるようにはならず、今日も一件も仕事を片付けることなく業務を終えたのだった。


 俺の名は阿寒、インキュバスだ。今の会社には中途採用で入った、それなりにベテランの社員である。長年勤めている分社内に知り合いも多く、ツテが必要な時にはこちらに回してくれる気のいい友人も数人はいる。年は……まあ中年に相当すると思ってくれれば間違ってはいない。おそらくどこの会社にもひとりふたりくらいはいるだろう、冴えない中年。それが俺だ。
 冴えない程度なら笑って済ませられるが、俺は全然仕事ができない。
 周囲の過小評価でも謙遜のし過ぎでもない。事実として仕事ができない。よって社内では滅多にお目にかかれないほどの無能と呼ばれている。ここ数か月、いや数年の業績は見事にゼロ。これで無能じゃないという方がおかしい。
 そんな無能な俺ではあるが、幸いにも俺は自分がどうしようもない無能だということだけはよく知っていた。無知の知というやつだ。学生時代から自覚していた、俺は他のインキュバスたちと同等の死頃はできないと。学生の時点で自覚のある無能である俺がスキルアップだのキャリアアップなどといったキラキラした言葉とは無縁であることを自覚しないはずがない。だからこそ、しょっちゅう怒鳴りつけてくる上司がいるこの会社にしがみついている。俺にとって好都合なことに、どれだけ無能だろうが年功序列がある限り若い奴に追い出されることはないだろう。
 主に制度に助けられて俺は今日も問題なく会社にしがみついていられるわけだが、事情は突然変わった。
「聞いたか? 来月からうちの会社は方針を変えるらしいぞ。経営改革だと」
 別の部署の友人に突然そんなことを告げられては、さしもの呑気者たる俺ですら昼食の菓子パン(見切り品58円)を床に落としてしまうのも無理もない。
「……は?」
「だから、簡単に言うとリストラってことだろ。今までの年功序列は廃止して使えないベテランは追い出すっていう」
 友人はなんということでもないとでも言いたげな顔で言った。
「それは困る!」
 そんなことになったら……俺みたいな典型的無能なベテランは真っ先にリストラされるだろう。現に上司の俺を見る眼の憎しみの籠りっぷりは誰の眼にも明らかなんだから。
「って言ってもなぁ。会社は慈善事業じゃないし。利益を出さない無能を優遇する理由なんてないじゃん?」
「そもそもうちって俺らヒラのインキュバスが人間のエネルギーを集めるだけの会社だろ? 利益ってなんだよ」
 俺らインキュバスの仕事なんて寝ている女性にR18な夢を見せてあれやこれや、っていうだけだぞ。仕事もなにもないだろ。
「なんか天界から追放された天使っていうのがいるらしくてさ。俺を追放した天界の元同僚に復讐したいって言ってるらしくて。そのために人間のエネルギーを集めて復讐してざまあみろってやりたいって言ってたそうだ。しらんけど」
「知ってるのか知らんのかどっちなんだよ」
 人間からエネルギーを奪って集めてそれでなんか相手が嫌がることをしてやりたい、みたいな感じだろうか。圧倒的陰キャみを感じずにいられない遠回しなやり方だが、そのおかげで俺らインキュバスも仕事があるというわけか。イケメン新入りはそんな仕事で稼いだ金でイケメンやってると思うとなんだかなあ。
 俺がこんなことを考えていると、目の前の友人は言った。
「そういうことだから、お前もそろそろちゃんと仕事しないとやばいぞ。ただでさえなぜか最近インキュバス人口ががくんと減ってるんだから。このままじゃ会社もいつまで持つかわからん」
「忠告は感謝するよ」
「じゃあな」
 短い挨拶をして俺たちは別れた。
「……」
 しばし俺は考え込む。たしかに給料をもらっている以上、相応の仕事をして会社に貢献しなければならない。それはわかっている。対価だけ貰って何もしないなど仕事じゃない。
 だが……だが俺は。
 俺にはどうしても仕事ができない事情がある。
「……女の子が好きなんだ」
 うっかり手に持っていた紙パックを握る手に力が籠った。
「純粋無垢で初恋もまだっていう、無邪気で幼い女の子が好きなんだ! スレた大人の女なんか嫌だ!」
 だから酒を飲んで煙草を吸う年頃の成人女性のエネルギーなんて頼まれても欲しくない。それが仕事だと言われてもイヤだ。できない。
「わかってる。俺みたいな奴のことを人間たちは何と呼んでいるのか。どんな厳しい目を向けられるのかは重々承知しているさ。だから、俺は紳士だから、YES!ロリータNO!タッチを厳守しているんだ。俺はインキュバスだけど最低限のモラルくらいちゃんとあるから……」
 だから俺は仕事ができない。 
 そしてこれは俺の邪推だが、最近のインキュバスに勢いがなく、人口も減少しているのは同類が増えているからではなかろうか。成人女性に魅力を感じる同業者が減っているからではなかろうか。もしそうならば仕事ができないのは俺だけじゃない。俺みたいな無能インキュバスが増えたのなら堂々としていていいのではないだろうか。俺の愛する女の子を狙うようなインモラルなインキュバスが減るならばその方がいいじゃないか。
 俺は仕事ができない。
 だが、YES!ロリータNO!タッチの信念を曲げてまで俺は仕事をしたいとは思わない。仕事の成果よりも守らねばならないものはあるのだ。
 インキュバスがいなくなったところできっと人間たちは困らないし、きっと平穏な日々になる。俺はこうして愛する女性たちを守っているのだ。
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