執筆応援企画SS集
ドミナント・ラブ
わたしはズキズキと痛む頬をそっと撫でる。
これまでに殴られたことは一度や二度じゃないけれど、今回のは歴代屈指の痛みだ。ひょっとして骨も折れているのかもしれない。何て奴。こんな男だとは思わなかった。自分の見る眼のなさに嫌気がさす。
思い返せば昔からこうだった。
わたしが好きだと思った男は最初こそ人当たりのいい笑みを浮かべ、愛想よく振舞ってくれて、甘い言葉を囁いてくれた。「好きだ」とか「かわいい」とか、「君だけだよ」とか。ただその一言だけでわたしは一瞬で幸せになれた。
なのに、どの男も一緒に暮らし始めると次第に化けの皮がはがれていく。わたしがどれだけ一生懸命に作った食事だろうが壁に投げつけ、気に喰わないことがあると散々暴言を浴びせ、わたしと出会ったことを呪う。わたしがどれだけ自分を犠牲にして献身的に尽くしても何もかもが嫌だと喚き散らし、最終的にはDV野郎となった。どんなに第一印象が爽やかな優しい人でも必ずだ。どの男もそうだった。
わたしは毎回諦めず、相手のことをどれだけ好きで愛しているのかという狂おしい愛の気持ちを切々説いて仲直りしてきた。どんな相手でも愛を持って接すればわかってくれる。話せばちゃんとわかってくれるのだ。わたしを殴ったどの彼も、最終的にわたしを愛していると言って泣いて謝ってくれた。
それでも、いつまでも殴られるような関係を続けていてはわたしの身が持たない。いい加減にわたしも誰よりもわたしを愛してくれてわたしのことを考えてくれて、すべてを捨ててでもわたしを愛してくれるような王子様に出会いたくなった。そう思っていたわたしに「君ってなんだかほっとけないよね」と言いながら告白してくれたのが今の彼だった。滅多に感情をあらわにすることはない、優しくて穏やかで笑顔が素敵な爽やかな彼。
今度の男だけは違うと思っていたのに。やっぱり他の男と同じ、それよりもっと悪い結果になった。
何が気に喰わなかったのか、彼は憎しみの籠った眼でわたしを睨みつけ、力づくで私を押さえつけ、力いっぱい殴りつけた。普段優しい分、暴力的な面を見るのが辛かった。わたしが痛みで動けずにいると彼は慌てて玄関を出て行ってしまった。衝動的とはいえわたしを殴ってしまったことでパニックになったのかもしれない。一度もわたしの方を振り返ることなく一目散に去っていってしまったのだ。
「……うっ、ぐすっ……」
どうにか起き上がったわたしはあふれ出す涙を必死で拭った。次から次へと流れてきて止まらない。
「どうしてこんなことになったんだろう」
私はこんなにも彼を愛しているのに。
ちゃんと毎日「愛してる」と言って、毎日彼の好きな料理をレシピを見ながら一生懸命心を込めて作って、くたくたに疲れながらも彼の欲しいものを買うためにボロボロになりながら働いているのに。わたしは彼しか見えない。
こんなに愛しているのに、なぜ彼はわたしのことをここまで嫌うのだろう。
「……でも、わたし。諦めたくない」
殴られても、暴言吐かれても、冷たくされても、それでもわたしは彼を愛してる。
まだ出て行ってそれほど時間は経っていない。頑張ればまだ追いつける、まだやり直せる。ダッシュして追いついて、ちゃんと話し合うんだ。そうすればいつものようにやり直せる。
「待ってて!」
わたしは痛む節々を叱咤して立ち上がった。勢いよくドアを開ける。
すると外には大勢の男の人が押し寄せていた。初めて見る顔ばかりだ。
「警察です」
揃いの制服を着た大勢の男たちの集団は圧巻だった。
「あなたは彼氏さんを監禁していた。間違いありませんね?」
一番手前にいた眉間に皺を寄せた男の人が手帳を掲げた。どこかで見たことがあるような気がする、黒っぽく見える何か。それがなんなのかはすぐには思い出せない。
「かん、きん……?」
なんのことだろう。
私はただ大好きな彼と一緒に暮らしていただけ。今のご時世珍しくもなんともない、ありふれた同棲だ。わたしたちはよくいる若い彼氏彼女なだけなのに。なぜプライバシーに土足で踏み入られなければならないんだろう。
「今回の件だけじゃない。あなたはこれまで何人の男性を監禁していたんです?」
「この部屋の匂い……うっ」
目の前の警官は鼻を覆って顔を背けた。まるでとてつもなく臭いものから身を護るかのように。部屋の中を振り返ってみるが、何もおかしなことはない。いつものわたしたちの部屋だ。ヘンな匂いなんてない。いつも通り。
「つい先ほど通報がありました。『この部屋に監禁されていたがようやく逃げられた。助けてくれ』と」
「なんの話?」
「ずっと悪臭立ち込める部屋に閉じ込められ、妙なものを無理やり食わされ、すぐに癇癪を起して殴る蹴るの暴行……ひどい有様でした。体中あざだらけで――」
「ヘンなこと言うのやめてください。なんですそれ」
なんで知らない人にそんな気味の悪い話を聞かされなきゃならないんだろう。想像すらしたくない。
「連勤明けとなるとさすがのあなたも相当疲弊していた。だから最後の力を振り絞ってあなたを気絶させるつもりで殴って逃げた。覚えていますか?」
わたしは彼に殴られた右頬の痛みを感じていた。彼がわたしに与えた痛み。わたしもこれまで幾人もの男たちに与えてきた愛情表現。他の誰にも奪われたくないから、他の誰も近寄らないようわたしのものだとつけた印。彼も同じことを考えたとしてもおかしくない。
ああ、そうか。
「彼もわたしと同じ気持ちだったのね! 彼もわたしのことを他の人に近づけたくなかったから殴ったのね! 大丈夫よヤヅミ君、わたしが好きなのはあなただけだから!」
警官たちは一斉に怪訝な目でわたしを見た。
「それで、ヤヅミ君はどこにいるの? わたし彼のためにご飯作らなきゃいけないの」
だからさっさと帰ってよ。わたし、彼のためにおいしいご飯を作ってあげて、寝る前にもイチャイチャしなきゃいけないの。
あなたたちみたいな暇人に構ってる時間なんてないんだから。
「夜摘さんがあなたを殴ったのは、そうでもしないとあなたから逃げられないからです。さっきから全然こっちの話聞きませんね……もういい。連行しろ」
眉間のしわの刑事の両隣にいた男たちが私の腕を強引に引っ張った。疲れていたわたしはなすがまま引きずられていく。
もしかして彼のところに連れて行ってくれるのかしら? ひょっとしてそういうプレイという奴なの? それなら先に言ってくれればいいのに。
「なーんだ!」
この頃ずっと一緒にいたからマンネリしていたものね。たまには別れの時間もいいメリハリになるわ。そしてお互い会いたくてたまらなくなった頃にドラマチックなシチュエーションで再会する。そういう楽しみ方なんでしょ?
「大人しくするんだ」
「はい」
不愛想な警察の人には腹も立つ。けど私は彼の精一杯の配慮に感激して、自然にうれし涙が零れた。今は敢えて悲しい別れをして幸せな二度目の出会いをしようってことなんでしょ? それならわたしも、ちゃんと笑ってさよならするね。
「やっぱりヤヅミ君だぁいすき♡」
わたしの腕を引く男たちは理解できないものを見る眼でわたしを見ていたけど、他の誰にもわたしたちの愛は理解してくれなくてもいい。狂おしいほど熱烈で一途な愛はわたしたちふたりだけのものだから。
「――これまでの行方不明者って……やっぱり」
「証拠ならすぐに出てきそうだがな。今は今回の件だけで」
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