執筆応援企画SS集
今際の詫び言
「ごめん……なさい」
遠ざかる意識の中、俺の脳裏にあったのは妻のことでも幼い我が子のことでもなかった。
「もうっ、し……わけな、い……悪、か、った、」
自分の死を確信したときに、最大の未練が脳裏をよぎった。これを成し遂げて逝けたらどれだけ幸せだっただろうか。胸を張って満足だと言い切れる人生になったことは間違いないのに。
なのに、俺はもう死ぬのだろう。
ゆえに、俺は最悪の裏切り者。
「最終回……届けられなくて……すまなかった…………」
俺は流星賭。漫画を描いて生計を立てている。まあ、漫画家だ。
子供の頃から漫画一本で描いてきたわけではない。ただ漫画という表現方法にこだわらないというだけで、物語を描くことは子供の頃から大好きだった。俺の考えた最高の話をみんなが見られる形にできるならば、漫画だろうが小説だろうが詩だろうがポスターだろうがなんでもよかった。数ある表現方法の中で漫画を選んだのは純粋に漫画という表現方法が一番俺の考えた話に合っていたからだった。
俺が子供の頃は、漫画や小説を描いたとしても身近な人に回覧板のような形で魅せるのが関の山だった。趣味の同人誌として印刷所に頼んで形にしてもらうという手もあるにはあるが高額であり、週刊誌のコミックスのように全国の書店に流通させることなど個人では到底不可能。そのため商業誌に投稿して掲載してもらって初めて、漫画家は漫画を描けるという時代だった。もちろん漫画を描くための画材も原稿用紙にペン先にスクリーントーン、すべて自費だ。嫌なことを言うが、漫画一本描くだけでも大変金と労力と手間暇のかかる趣味だったのだ。
何が悲しくて必死に働いて細々節約して貯めた金を、たかが漫画につぎ込まなきゃならんのか。
頭では理解していても身体が勝手に描きたい気持ちに突き動かされてしまったのだから仕方がない。描きたいものがある奴というのは目先の利益不利益など目に入らない。描かずにはいられないからヒマがあれば紙とペンを取り出してがりがり描くのだから。
自分だけの物語を夢想し始めたのは十歳前に始めていたし、具体的に漫画や試しに小説で書いていたのは十五前、漫画に絞って描き始めたのが二十前。
このまま順当にいけば二十五になる頃にはプロの漫画家としてデビューしているだろうと思われるかもしれないが、生憎俺が報酬をもらって漫画を描くプロになったのは四十を過ぎていた。ひたすら漫画を描いて描いて描き続けていたが、だからといって若くしてプロの道が開かれるということはなかった。別に事故や病気に巻き込まれたわけでもない。純粋に俺の実力不足と読者の求めるものより自分の描きたいものを最優先にしてきた結果だ。硬派といえば聞こえはいいが、ただの頑固者だ。
順当にいけば俺はプロデビューなど夢のまた夢だったはずだ。顧客の求めるものを突っぱねて誰も求めていない俺の理想の物語ばかり描いているのだから、これで報酬を貰おうなんぞ舐めているにもほどがある。
だがしかし、突然俺はプロデビューした。
要因は様々だろうが、最も大きな要因は世相の変化だろう。それまでは決められたテンプレートに沿った内容が良しとされていたが、人の価値観を尊重しようという雰囲気になり、俺の作品のようなものすごく人を選ぶ濃い漫画が脚光を浴びるようになった。需要に従ってそのものすごく人を選ぶ濃い漫画は大衆紙で堂々と連載し、読者の口コミのおかげで話題になり、ありがたいことに堂々とコミックスを出すことができた。
さっきから散々濃いと言っているが、俺の作品を要約すると「男でも女でもない第三の性別を持つ新人類が崩壊寸前の地球の代わりに居住場所として別の惑星を探索していたが、そこには自分たちと同じ姿の人類とは別種の生き物が住んでおり、新天地を勝ち取るための戦いが勃発するも苦戦した上に新人類は勝ったとしても男でも女でもないために次世代の繁殖は難しいため原住民と共生していくか、別の道を探すか決断しなくてはならなくなる。さらにその新人類は生殖に難がある代わりに非常に寿命が長いため増えすぎた人口はどうなるのか、世代交代はどうなるのか、食糧はどうするのか、資源が著しく減っている中どうやって生存するのか。そんな課題が山盛りの現状をどう打開するのか」という感じだ。端的にまとめようにも長文になる濃さ。おまけにこれは第一部で、全部で第五部まである。
そんな大長編を大量の伏線を散りばめながら長年描き進めていた。この漫画一作だけに集中し、かれこれ二十年は描いていたと思う。実際にはもっと長いだろう。時には伏線を素早く回収してしまおうか、描写をあっさり済ませて描きたい部分を前倒しして描いてしまおうか、そんな悪魔の誘惑に襲われることも多々あった。だが俺は誘惑に屈することなくひたすらペンを動かし漫画を描き続けてきた。
そして残すところラスト一話だったんだ。最終話でこれまでの伏線がすべて回収され、各キャラクターの結末も世界の行く末もすべて明らかにできて、活躍し通しだったキャラたちもゆっくり休めるはずだったんだ。大どんでん返しも物語の最高潮のタイミングで用意してあった。発案から数十年越しにようやく日の目を見るはずだったんだ。この話を描くことだけが俺のすべてだったんだ。なのに。
俺は最終話の原稿を描くことなく死ぬのだ。これが未練でなくてなんとする。何より読者に申し訳ないじゃないか。数十年単位で作品を読んでくれた大事な読者に結末を届けたかった。
「ごめんなさい」
本当はこんな言葉を言いたかったんじゃない。俺が言いたかったのは最後まで俺の漫画を読んでくれた読者に向けた「ありがとう」なんだよ――
『それでは本日のニュースです。昨夜未明、漫画家の流星賭さんが乗用車と接触するという事故が起こりました。近くの病院に救急搬送されましたが今朝未明死亡が確認されました。流星さんは人気漫画「賭」の作者として知られており、現在最終話の執筆にとりかかっている最中でした。うわごとのように「ごめんなさい」などと謝罪の言葉を口にしていたそうです』
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