執筆応援企画SS集

コンフィ・ド・フラグ〜ムスリムソースと季節の野菜を添えて〜をめぐる物語

「本日のオークションも、ついに最後の品となります。皆様ともこれにてお別れとは誠に残念な限りですが……」
 いかにも名残惜しいといった風のオークションマスターの芝居がかった悲し気な顔など誰も見ていない。皆彼のことよりも本日の目玉である最後の品のことしか頭にない。
 だが彼がマイクに向かって述べた言葉によって、活気のなかった会場は沸き立った。
「本日の目玉、死亡フラグの登場でございます!」
 声を張り上げた瞬間、会場から大歓声が巻き起こる。防音設備の整ったホールのはずであるが、会場の外にまで漏れるほどの熱狂。それもそもはず、大勢の客が今日この場に集まったのはこのためなのだから。
 歓喜に沸く会場に運ばれてきたそれに観客の視線は集中する。
 数人のガードマンが周囲を警戒しつつ、最高の強度を誇る保護ケースに厳重に保管された死亡フラグ。ケースは客が満面なく眺められるようにステージの中心に置かれた。
 係員は焦らすように、慎重に、ゆっくりと、ケースが開けていく。ケースが完全に開くと同時に観衆はぎらついた視線を露わにする。
 集中するその視線に満足げなオークションマスターは満面の笑みで声を張り上げた。
「さて、入札開始価格は日本円一千万円より、ドルは――」


 フラグ。
 それはこの時代の人々の生活の一部である。
 フラグとは何か。簡潔に説明すると、「特定の出来事が起こる前触れ」といえばわかりやすいだろうか。例えば、悲願を達成した人物が「我が人生に一片の悔いなし」などとうっかり口走った場合、高確率で彼は死亡する。例えば、最終決戦に向かう主人公にヒロインが「万一のために持っていって」などとお守りを渡した場合、絶体絶命の大ピンチに陥いるが渡されたお守りが万事休すの主人公を助け、最終的に逆転勝利を迎える。
 ジンクスと似たような何かだが、ジンクスとは明確に異なる特徴がある。
 生えるのだ。
 特定の何かが起こる予兆として、頭ににょきっと生えるのだ。
 形状はきのこに似ているとかアイスの当たり棒に似ているとか、人によって意見は異なる。フラグを頭から引き抜くことは子供の力でも可能だが、フラグが立ってしまった以上その出来事は高確率で実現する。
 そのフラグ、もちろん一種類ではない。専門の研究家でも正確な実数を把握できていないのが現状である。
 何かの予兆がフラグの立つ条件である以上、平凡に生きている者もしょっちゅう立つ。ほとんどの者は普段から片手で数えられる程度の数のフラグを生やして生活を送っていた。
 現代ではフラグは人々の生活に当たり前に存在し、縁起の悪いフラグを立てないよう人々はフラグの研究書を読み漁り、どうにかして悪いフラグを立てないようにと気を遣うようになっていた。最も忌避されるのは当然死亡フラグであった。立ったら死ぬ。
 順調にフラグの研究が進むと、研究者の中にも風変わりな研究をしたいと思う者が出てくる。最低限必要な分野は既に実証されている。となると、目新しい観点からのアプローチも求められるものである。
 ある研究者はフラグを立てないようにするのではなく、立ったフラグを活用するという発想で研究を始めた。
 フラグが日常的に生える世の中だ。何もしなくとも勝手に生えるフラグが溢れている。
 そこで研究者が考え出したのは食用にできないか、ということであった。
 食糧危機、フードロス、自然資源枯渇。そのような社会問題、SDGsに対する問題意識が提唱される昨今において、いくらでも生えてくるフラグを食用にすることができれば有益ではないか。コストを支払うことなく調達できる食糧など夢のようではないか。飢餓や貧困も軽減されるのではないか。特定の条件がそろえばいくらでも生えてくるのだから。
 ローコストのフラグ、もし食用として活用できるのならば大発見である。
 そのような経緯でフラグを調理してみることとなった。
 当然調理の専門家の監修の上、安全性も確保。これまでの研究でフラグに人体への有害物質は含まれていないことは判明していたが、万が一に備え医師も待機してのことである。
 調理方法は日本食、フレンチ、イタリアン、中華、などなど。世界初のフラグ実食の模様は国内だけではなくネット配信によって世界中に中継されていた。
 世界中の観衆が見守る中、人類初のフラグ実食者は恐る恐るといった様子でフォークを口元に運ぶ。
 果たしてその味は――大変な美味だった。
「うっ、美味い……美味すぎるっ!」
 口を突いて出たのはどこかのCMのような感想であった。
 しばらく彼は「美味い」と連呼しながら狂ったようにフォークを口に運んでいた。日頃の威厳のある紳士然とした表情は見る影もなく、眼前のフラグしか目に入っていない血走った眼は理性が消えていた。
 世界初のフラグ実食の模様は瞬く間に拡散され、世界中に駆け巡った。ネットだけでなく口コミや情報誌なども大絶賛である。
 しかもこの時に実食したのは美食家として世界的に名を馳せた人物であり、そんな彼があられもないアヘ顔をさらしての「美味い」の絶叫をするほどの味であった。食に非常にうるさい者によるお墨付き。おまけに材料費は無料である。世界中にフラグを食する慣習が広まるのに時間はかからなかった。
 こうしてフラグ食が広まってしばしの時が流れ、わかったことはもうひとつあった。
 それは負のフラグほど美味いということだ。
 逆に勝利フラグや恋愛フラグといったポジティブなフラグは信じられないほど不味かった。犬のエサと形容するのがもっとも相応しいほどに。
 故にそれまで徹底的に忌避されていた死亡フラグは美食家にとって喉から手が出るほど求められるものとなった。
 食を人生最大の楽しみとする彼ら彼女らは、どれだけの大金を積んでも死亡フラグを食べてみたい。死亡フラグを食せるなら破産しても悔いはない。
 だが死亡フラグは日常生活を送る上では滅多に立つことはない。需要は非常に高いのに供給は非常に低い。そのアンバランスさゆえに高値で取引されるようになった。
 高価で売買されるとなると、フラグで一攫千金を狙う者が出現するのも自然な流れである。
 他人の頭上に生えた希少価値のあるフラグを狙うフラグハンター、それを商品とするフラグブローカーも続々と誕生していった。
 

 ぴょこん。
 山田太郎の頭にまたフラグが立った。
 生まれたときからフラグに慣れているフラグネイティブの太郎は平均的な男子高校生だ。何をやっても平均、突出した特技もなければ特に問題を起こすわけでもない。生まれた家庭もごく一般的で、都会でも田舎でもない場所に住んでいる。
 そんな平凡な彼は立つフラグもごく平凡だった。
 今この瞬間までは。
「今度は何フラグなんだ?」
 高値が付くフラグならフラグ買取店に売ってゲームでも買おっかな〜。
 そんなことを考えながら彼は手鏡で頭部を検める。ちなみに、フラグが一般化した現代では誰でも確認のために手鏡を持ち歩いている。
 太郎もいつもと変わらない調子で頭部のフラグを確認した。見慣れた頭部にはこれまで見たことのないフラグが立っていた。
「おっ?」
 自身にも立ったことはなく、周囲にもこんなフラグが立った者を見たことはなかった。ひょっとしてレアなフラグなのだろうか。ならばなかなかいいお小遣い稼ぎになるのではないか。
 そんな期待を込めてスマホで検索してみた。フラグの情報を集めたデータベースに全く同じ画像を確認した途端、太郎の表情は凍り付いた。
「死亡フラグ……?」
 お宝かと期待したそれは果たして、本人も予想だにしなかった超レアフラグだった。
 あまりにも予想外の事態に呆然とする太郎だったが、反応する間もなく背後から複数の気配を感じた。ぎらついた視線を向けられていると振り返らなくとも察せられた。
「ふっ、フラグだ! 死亡フラグだ!」
「お宝だ! 絶対逃がすんじゃねえぞ!」
 興奮を抑えられないと言ったその悲鳴に、即座に太郎は走り出す。
「待てっ! 逃げるんじゃねぇ!」
「何もしないからっ! かすり傷一つ付けないからっ!」
「そのフラグをくれればいいだけだからっ!」
 逃げなければ。
 彼本人に危害を加えられることはない。が、オークションに出せばこの世の何よりも高値が付く希少な死亡フラグをみすみす手放す気はない。売った金があれば一生生活に困らないだけの金が手に入る。一生楽して遊んで暮らせるんだ! 
 がむしゃらに太郎は全力疾走する。何が何でもこのフラグは守り通さなければ。その一心で走り続ける。お宝フラグを絶対に渡してはならない。これは俺のものだ。
 降って湧いた一獲千金のチャンスに太郎の正気は吹き飛んでいた。
 死亡フラグは高確率で死ぬ。
 そんな当たり前のことすら頭から吹っ飛ぶほどに太郎は興奮し、焦っていた。
 心臓が悲鳴を上げるほど激しく。息もできなくなるほどに必死で。太郎は走り続ける。


「お待たせいたしました」
 美しく着飾った貴婦人の元に本日のメインディッシュが運ばれた。
 それまでもずっと満面の笑みを浮かべていた彼女ではあるが、その料理を目にした途端にギラギラと瞳が輝く。
「コンフィ・ド・フラグでございます」
「まぁ!」
「当店のシェフが全身全霊、持てるすべての技術と知識を結集して全工程を仕上げております。食の総合芸術をお楽しみくださいませ」
 貴婦人は名の知れた美食家であり、食が人生最大の関心ごとであった。
 美食のためなら家も売るし家族も泣かす。そんなすべてを賭けて美食を極めてきた彼女でも死亡フラグを食べたことはなかった。今日が人生初の死亡フラグを食す日であり、長年の悲願が叶った日であった。
 かつて一度だけ死亡フラグを取り扱うオークションに参加したことはあった。しかし、当時の彼女はまだまだ若輩。どれだけ資産を売却しても財力が足りなかった。ようやく念願の死亡フラグと出会えたのに己の力不足で手に入らなかった。その無念は一度たりとも忘れたことはない。
 長年恋焦がれた想い人にようやく再会した乙女のように頬を紅潮させ、彼女はカトラリーを握る。
「楽しみだわ。本当に楽しみ」
 ナイフの切っ先を当てただけでじわりと汁が溢れてきた。
 そのままそっと沈めていくと、ほんのり桜色の身が姿を現す。同時に食欲をそそる芳醇な香りが一面に広がって、貴婦人を包み込むように漂う。
 こんなことは今までになかった。味わう前からこれまで食べてきた凡百の食材とは一線を画している。香りだけで格が違う。
 予想以上である。満足した貴婦人は満面の笑みでフォークを口元に運ぶ。
 唇に触れた温度も、鼻腔をくすぐる香りも、触れただけで口の中でとろける触感も、何もかも恋焦がれた死亡フラグのもの。舌に触れただけで多幸感が体中を駆け巡るのを感じる。たったの一口でこれほどの満足感を与えた食材はこれまでになかった。
 ようやく長年の悲願が叶った貴婦人はほぐれるような死亡フラグの感触を全身全霊で味わう。
「……」
 眼、耳、鼻、口、触覚。五感のすべてが幸せだと言っている。
 まるで世界のすべては自分の想いのままにできる。今の私ならばどんな非現実的なことでもできる。そんな万能感が体中を巡る。
 なんという充実感。なんという幸福感。
 世界はこれほどまでに豊かなのだ。眼に映る世界のすべてが華やかな色彩に満ちている。こんなにも美味なるものがこの世に存在するという事実そのものが奇跡である。
 私は世界に祝福されている。世界はこんなにも美しい。
 満たされた気分でゆっくりと彼女は死亡フラグのフルコースを堪能する。言うまでもなく、彼女がこれまで生きてきた中で最も充実した時間である。
 そんな幸福な時間にも終わりは近づいてくる。
「タルト・オ・フラグでございます」
 食後にデザートが運ばれてきた。至福の時間もこの一品で最後だ。名残り惜しくてたまらない。
 この時間との別れを心底惜しみつつも、パティシエ渾身のデザートにそっとフォークを入れる。
「……はぁ」
 一口だけでその味は究極だと確信した。
 死亡フラグはデザートにしてもやはり最高であった。あまりにも規格外で的確な言葉が出てこない。
 控えめな令嬢を思わせるような、そんな上品な甘さの中に混ざる微かな苦み。清楚な彼女がたまに見せるわずかないたずら心のような突然の酸味。かと思えば、今度は強引な美男子が少しだけむくれるようなピリリとした刺激。「機嫌を直して?」そう謝ると「俺も悪かったよ……」などとバツの悪そうな困った表情になるような極上の甘さ。
 そんな初恋のほろ苦い風景が彼女の脳裏を巡った。
 芳醇な香り、弾力がありながらも舌で転がしただけでそっと解れる優しい口当たり。それはまるですべてを赦し、包み込んでくれる理想の恋人のようである。
 舌そのものまでとろけるような絶妙な甘さに貴婦人は激しく身悶えした。
 口内にはまだ甘さが残っている。それはやはり、地球上のどこに行っても決して味わうことができない幻の蜜のような優しい後味だった。刺激的な味わいを経験した舌をそっと労わり、癒すような。
「他人の不幸って蜜の味なのねぇ……」
 ほぅ。
 吐息を交えて彼女は夢心地でつぶやく。
 恋焦がれた死亡フラグを食すという夢が叶い、大満足である。
「死亡フラグほど美味しいものはないわ。私をここまで幸せな気持ちにしてくれるのだから」
 間違いなく、彼女にとって自身の人生の中で最も幸福な時間だった。
 わずかに舌に残った至高の死亡フラグの甘味の余韻に酔いしれながら彼女は呟く。
「今すぐ死んでもいいくらい幸せ。死亡フラグを食べたのだから悔いはないわ」
 彼女は自身の頭部の感触にまだ気づいていなかった。
 他人の不幸の上に成り立つ彼女の幸せな時間。
 そんな彼女の頭部に新たに立ったフラグは果たして何フラグなのだろうか。もしかしたら、今度は彼女が他人に死亡フラグを提供する側になるのかもしれない。
Copyright 2023 rizu_souya All rights reserved.

-Powered by 小説HTMLの小人さん-