執筆応援企画SS集

羨望の葉て

 世の中は醜い感情でできている。
 誰もがきっと、誰かを羨み、妬み、憎み、僻み、不毛な感情をぶつけている。
 今日もある三人組が口には出さない嫉妬を持て余している。
 これはそんなどこかの誰かの「嫉妬」にまつわる顛末話。

 わたしは最近絶好調だ。
 長年の努力が報われての昇進、給料も増え、なによりこれまでより部下が増えた。
 誰もが知るような一流企業ではないけれど、そこそこ名の知れた中小企業に十年近く勤務。入社したばかりのころは先輩たちに舐められ、年かさのお局様には地味な嫌がらせを受け、みんなが嫌がる仕事ばかり押し付けられてきた。
 それでもわたしは弱音を吐かずに歯を食いしばって耐えてきた。わたしを舐めてきた奴全員を見返してやるという意志だけでここまで来た。
 ざまぁ見ろ!
 今回の昇進は完全にわたし自身だけの努力の結果だ! 結果が出せない奴はただの甘えなんだよ!
 もちろんこんな本音なんて表では言いづらい。
 だからSNSのアカウントで好き放題愚痴を吐き、のびのびと自慢話をする。この解放感、他の何にも代えがたい。
『使えない雑魚の甘ったれた話なんていらねぇよ!』
 誰もわたしのことを知らない場所で、思うままの本音を吐き出す。スマホをタップして書きこみボタンを押したわたしは、再び何食わぬ顔でデスクに戻った。
「先輩、お疲れ様です!」
 さっそく後輩が愛想よく駆け寄って来た。
 この子は入社一年目の新人。若くて可愛くて愛想もいい。オフではきっとキラキラした生活を送ってそうな、周りにチヤホヤされて育ったような、そんなキラキラふわふわした子。
 わたしはこの手の女が大嫌いだ。
 会社での様子を見ているだけでわかる。この手の女は昔から親兄弟にチヤホヤされ、学校でも男子にチヤホヤされ、しまいには同性にも異常に持ち上げられてるんだろうな。知らないけど絶対そうだ。甘ったれっていうのはそんな風に作られるんだ。そうに決まってる。
「せんぱい?」
 ほらまた。
 可愛らしく首をかしげるなんてあざとい仕草が自然にできる時点で、もう自分に自信があるって証拠じゃない。腹立つな。
「ううん、なんでもない。それより前に行ってた書類なんだけど、これで問題ないから処理しちゃって」
「了解しました」
 またにっこり笑って、軽く頭を下げて、小走りで去っていく。
「……」
 あっざとーい!
 わたしの胸がむかむかしてきた。これは吐き出さなきゃやってらんない。
 再びバッグの中のスマホを捜す。


「これで問題ないから処理しちゃって」
「了解しました」
 アタシはどうにか上手く笑えたはず。昔から人当たりのいい笑顔は得意だし。
 内心の「うるせえんだよババア!」という本音を隠して。きっと先輩はこちらの本音になど微塵も気づいていないことだろう。おめでたい女だな。
 一日の大半を過ごす会社でずっと猫をかぶっているのもぶっちゃけ疲れる。ほんの少しのきっかけですぐ「うるせぇ!」という言葉を相手にぶつけたくなる。あー、疲れる。
 まあ、この先輩は単純で扱いやすいから助かる。仕事はできるみたいだけど、人付き合い下手なんだよね。アタシより十は年上のはずなのになんでこんなに幼稚なんだろ、なんて思うこともしばしばある。子供はいくら年食っても子供のままなんだよね。
 子供と言えば……。
 気づいたら抱えていた書類が音を立ててぐちゃぐちゃになっていた。
「あっ……」
 ハッとして、慌てて書類を見る。
 案の定、それまで折り目一つなかったはずの紙は全体にしわが寄っている。また印刷しなきゃ。
 自分で「子供」という単語を出したくせに。アタシってば。
 むしゃくしゃして、つい視線がアイツの方を向いてしまう。
「……」
 出社してもほとんど誰とも口を利かず、ただ黙々と単純な書類仕事をしているだけの女。主婦。おばさん。
 アタシや先輩みたいにバリバリ仕事をこなすわけでもなく、仲のいい同僚がいるわけでもない。本当に地味で冴えないっていう言葉がよく似合うパッとしない人。
 なのに、そんな奴が既婚者で子持ちの母親なのだ。
「ちっ!」
 ただそれだけの事実なのに、それだけの事実そのものがアタシを不快にさせる。
 どれだけ仕事ができなくて、冴えなくて、親しい相手がいなくても、あの人には旦那と子供がいる。アタシや先輩は逆に仕事ができようが、出世しようが、家に帰ったら一人きりで話し相手すらいないのに。
 ムカつく。
 既婚者の子持ちってだけで十分ムカつく。
 仕事もできないし、若くもないし、美人でもないのに。なんでああいうのに限ってアタシが欲しいもん全部持ってるわけ? ムカつく。
 アタシなんか旦那と子供どころか、人並みに常識のある親すらいないってのに。ああムカつく。ムカつく。
 育休取られたりしても絶対かばってやらない。
 誰にも気づかれないようにあの女に憎しみの視線を向けた。


 カリカリカリ……ペンを持つ手を動かしながら、こっそりと周りの様子をうかがってみる。
 私って、やっぱりお荷物なんでしょうね。
 だって仕事ができないどころじゃないですもん。パソコンの電源すら入れられないですもん。仕事とかそういう次元のものじゃないですよね。もう十分ン自覚してるんですよね。みんな厄介者を見る眼で私を見てますもん。これで自覚なかったら相当ですよ。すんませんね、ほんとに。
 とはいえ、私も「お邪魔ですよね、じゃあ私辞めますんで」とはいかないんですよね。こっちも生活かかってますからね。
 なんといっても子供三人ですもん。夫婦と子供三人ですもん。しかも夫は働くの嫌いなんですもん。私が稼ぐしかないじゃないですか。仕事して帰宅して食事の支度して子供の面倒見て洗濯して掃除してたまった家事を片付けて……想像しただけでもう目が回るんですよね。一家の大黒柱兼妻兼母兼家政婦なんですよ。気楽な若い独身女性には想像できませんよね。若いってあまり考えなくちゃいけないことがなくていいですよね(笑)。
 洗濯も数日溜めて時間ができたときにまとめてしているから、流行どころか清潔感もあまりないけど、そういうこと言ってられないんですよね。お母さんなんだから仕方がないじゃないですか。このご時世に三人も産んでるんだから多少都合つけてくれていいじゃないですか。周りを頼ってももっと気持ちよく助けてくださいよ。産んだのは自分なんだから自己責任なんて陰口もよく聞きますけど、だって出来ちゃったんだから仕方がないでしょ。避妊なんてお金なくて無理だし。だったら社会貢献だと思って産もうってなるじゃないですか。
「……」
 私だって本当は、他の人みたいにバリバリ仕事に打ち込んで、順調に昇進して、大勢の部下を従える有能な上司っていうのになりたかったんですよね。仕事ができて、高級なブランド品買いあさって、毎日高級ディナー食べに行って。それで優しくて妻想いのイクメンなイケメンと結婚して、優秀で母親想いの息子に優しくされて、みたいな人生。夢だったんですよね。いいじゃないですか、そういうキラキラした勝ち組人生。憧れます。
 現実の私はパソコン使えないので未だにアナログで作業してる冴えない人ですけどね。子供がいたらパソコン覚えたりスキルアップなんて無理ですもん。出来る人がいるならその人にやってもらえばいいじゃないですか。こっちは母親なんですから。
「またこんなミスしたの!」
 急に怒声が聞こえてきた。
 ちらりと声のした方を向くと、そこでは最近昇進したキャリア女性が部下を怒鳴っていた。
 私にはよくわからないカタカナ言葉をたくさん使ってはきはきしかりつけている。なんかカッコいいですよね。いかにもデキる女って感じで。プライベートでも高収入のイケメンとお付き合いでもしてるんでしょうね。旅行も家族旅行のようなしみったれたものじゃなく、派手に海外行ってるんでしょうね。いいなあ。
 なんで私はああじゃなかったんでしょうね。夫も子供もいなくて身軽で自分のことだけ考えていられる生活って羨ましいですよね。
 あーあ、なんで私はああじゃないんでしょう。


 バリキャリ女性、ゆるふわガール、賑やかな家庭の肝っ玉母さん。
 第三者から見れば羨む要素は多い。だが誰も相手に「羨ましい」とは口に出さない。それは相手を羨んだ瞬間に自分が「負けた」気分になるから。
 一見何不自由なく恵まれた人生を送っているようであっても、その実情など他人にはわからない。
 なのに自分から見た相手の一面だけを見て、自分の思いたい方に解釈してしまう。それはただ、自分がそう思いたいだけなのに。
 そんな誰にとっても不毛な感情に変化が訪れたのは間もなくのことだった。


「俺と結婚してほしい」
「えっ?」
 残業で一緒になることが多かった先輩に、突然そんなことを言われた。
 アタシは自分の分の仕事を終えたら他の人が残っていようがお構いなしに帰宅する。他の担当者の分までこっちがフォローする義理なんてない。アタシは自分のプライベートを削ってまで仕事はしたくない性分。残業するのはよほどのことがない限りしなかった。
 そのため、前々からアタシに気が合ったという先輩もなかなか話しかけられずにいたらしい。アタシの方も、特にイケメンでもないし、とびぬけて仕事ができるわけでもない先輩に興味はなかった。
 しかし。
 いきなり告白ではあったものの、よく見るとこの先輩はそこまで悪くないルックスに、先輩なだけあってそれなりの稼ぎもあるらしい。スーツも地味ではあるけど品物はいいし。
「……」
「あっ、ごめんなさい! じろじろ見ちゃって……」
 アタシの目線は相当無遠慮だったのだろう。先輩はどこか居心地が悪そうに襟元を直している。
 この先輩に興味はなかったけど、いざ好意を寄せられて見るとそんなに悪くもない。第一、今までアタシにここまで真っ直ぐに好意を向けてきた人なんていなかったし。結婚願望は人並み以上にある。安定した経済力のある相手と結婚してゆっくり生きるのって悪くないよね。
「わたしでよかったら」
「本当に!? よかった!」
 この機を逃すつもりはない。
 なんといっても結婚のチャンス。この会社でどれだけ頑張っても出世の見込みなんてたかが知れている。ならば早々に結婚して一抜けするのも十分ありな選択だろう。
 アタシは先輩ににっこり笑みを向けた。


「……はぁ」
 ムシャクシャする。
 わたしは今日も面倒くさい事務処理に追われている。
 使えない部下がまた凡ミスを連発し、上司のわたしは常にしりぬぐいに追われているのだ。自分の失敗は自分で挽回するという意識すらない。どいつもこいつも。
 少し前までなら、存在自体が気に食わないゆるふわ後輩にこの鬱屈をぶつけられたのに。あの女はさっさと寿退社なんてしやがった。彼女が使っていたデスクに座っているのは中途入社してきたおばさんだ。子供が熱を出したとかで頻繁に抜けるせいでわたしの負担も増える。
 ずっとSNSに愚痴を書いてきたのにネタ元がいなくなるとなかなか吐き出す機会そのものもない。現在会社にいない元同僚にイライラをぶつけるわけにもいかない。
 けど。
 腹を立てていた対象がいざいなくなってしまうと、SNSを開くことすら少なくなっていった。以前は書き込みをすることで、わたしも文章を作り出している気分になれたし、どこかで満たされていたのだ。
 悪意がきっかけだったにしても、それはわたしが書いたもの、生み出したものに他ならない。
 一種の創作にも似たその行動ができなくなると、わたしの中から何かが無くなった気がするのだ。生きがいとか張り合いと言ったら大げさかもしれないが。
 わたしに残ったのは、つまらないケアレスミスの後始末をするだけの「上司」としてだけの日常。
「なーんか……つまらないな」
 ネガティブな感情だろうがあの頃はちゃんと人間らしく生きていた気がするのに。
 抜け殻になったような気分で、わたしはただの管理職としての機械的な日々をすごすのだろう。ただキーボードに手を動かすだけの日常。
 わたしはずっとこのままなんだ。
 そう考えると、終わっていると思う。わたしだけこんな虚無の中にいる。そう思うと、いっそのことすべて壊れてしまえばいいのにとすら思う。変化のない日常なんてうんざりだ。今この場で暴れだしたらどれだけスッキリするだろうか。誰かに当たり散らしたらきっとこのモヤモヤした不快な気持ちも吹き飛ぶだろう。
 誰かに軽くでも背中を押されたら、きっとわたしは爆発してしまうのだろう。爆発して歯止めが利かなくなるほど暴れまわって、そして……きっと。
「どうしたんですか?」
 わたしの中の理性が、ぷっつりと音を立てて切れた。


 近頃張り合いがないんですよね。
 なんというか生き甲斐がなくなったというか、不満のぶつけ先がなくなったというか。嫌なことがないのはいいことなんだけど、なんかつまらないんですよね。なんでしょうこれ。ムカムカで苦しんできたはずなのに、いざその原因がなくなるとつまらないというか。平和が物足りないというか。
 家庭の方も子供も生意気盛りになりましてね。何か気に食わないことがあるとすぐに「ババア」だの罵ってくるし。夫は働かないくせに「飯がまずい」なんて言いますし。なんで私ばかりこんなに我慢しなきゃならないんでしょ。やってられないじゃないですか。元はと言えば夫がこの調子なのが原因なののにね。私なんて被害者ですよ。結婚さえしなければ私だってバリバリキャリア積んで仕事して、リッチなシングル生活してたはずなんですよね。
 このどこにもあたれない鬱憤を上司に向けてスッキリしてたはずなのに、肝心のその上司は元気がないというか、覇気が消えたというか。大っぴらに不満をぶつけられる空気じゃないんですよね。
 なんかすっかり弱弱しくなったといったら言い過ぎですかね。でもそんな感じなんですよね。一日中ぼんやりしてる感じで。しっかりした有能な人なのに、こんな弱ったところを見せられるとね。なんか……愛おしさ、みたいなものを感じるんですよね。きゅんとします。弱いものは助けたくなるあの感じ。私が母親だからなおさらそう思うのかもしれませんね。
 ちょうど夫も他の女のところにいってるし、じゃあ私もいいや、って。なんかふとそう思っちゃったんですよね。変ですかね。でも守ってあげたいって思うのって母親独特なんでしょうかね。包み込みたいって思っちゃうんですよね。理屈はよくわからないんですが。余計なお世話を焼いてしまうのも私の中の溢れる母性というか。きっとそう。
「どうしたんですか?」
 つい、そんな風に声を賭けちゃうんですよね。
 何か辛いことがあったならお母さんに言ってごらん?
 そんな心境で私はいつも頼れるバリキャリ上司に微笑みかけました。
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