執筆応援企画SS集

悪い娘

『お前たちは悪だ』

 初めて聞く音だった。
 たったの一言だけなのに、逆らってはいけない相手だと直感した。
 わたしが初めて聞いた声というものはこの一言だった。
『お前たちは悪だ』
 繰り返し言われ、わたしは目の前にももう一人誰かがいることに気づいた。
「……」
「……」
 わたしたちはしばらく互いの眼を見つめ合った。
 目の前にはわたしではないもう一人の誰かがいる。
 わたしは相手をじっと見つめる。相手もわたしをじっと見つめる。ここで初めてわたしはこの世に存在するのがわたしだけではないのだと知った。
『お前たちは俺が作った。この世で最も邪悪な存在である俺が作った。お前たちは俺の娘たちだ』
 どうやらこの声の主はわたしの生みの親という者らしい。
 生き物は皆、自分を生んだ者を親と見なし、その親の元で育つものらしい。親と呼ばれる種類の存在に出会ったのはこれが初めてなので、どんな反応をしていいのかわからない。
 ピンとこないが、他に頼る相手もいないのだから素直に信じるしかない。もう一人もそう思ったらしい。
 親を名乗る声はわたしたちの反応などどうでもいいようだ。自分の言いたいことを喋り続ける。
『俺はこれまでにもずっと、悪の存在を作り出してきた。人に害をなす悪、他者を傷つける悪、環境を傷つける悪。思いつく限りの悪を俺は作り出してきた。なぜそんなことをするのか? 答えは簡単だ。俺が悪だからだ』
 どうやらこの声が言っていることは相当悪いことらしい。
 よくわからないがそういうことなのだろうとわかった。
『だが、俺がどれだけ力を尽くして作り出しても、結局善の側、正義と呼ばれるものの側に必ず負けてしまう。悪の化身である俺としてはこれ以上正義をのさばらせておくわけにはいかない。それが悪の美学というものだ』
『おまえたちは寸分たがわず同じく作ってある。どちらも等しく俺の娘。資質に変わりはない。しかし成長するうちに必ず悪としての完成度には差が出てくることだろう』
『肉体が成長しきった頃合いに、俺はお前たちを試す。俺の跡継ぎに相応しい絶対的な悪は二人もいらない。悪とは孤高のものだからだ』
『十六年後にお前たちはどちらが悪かを決めるために戦ってもらう』
『最終的に立っていた方が本当の俺の娘で、次世代の悪だ』
 声は一方的にそれだけ告げると、気配は完全に消え去った。
 わたしは先ほどよりも理解できる言葉が増えていると実感していた。小難しい言い回しも難なく理解できる。
 生まれたばかりでここまで早くに成長できるのはきっと、わたしが悪だからだ。目の前にいるもうひとりもわたしと変わらないのだろう。
 このままわたしたちは超速で成長し、あっという間に約束の十六年が過ぎた――


「あれから今日でちょうど十六年」
「十六年後に、って言ってたよね」
 わたしたちは外見は特に変わらないまま、中身だけ成長した気がする。生まれたときから十代半ばの外見をしていたから、目に見えて成長したとかそういうことはない。他の生き物とは生物としての仕組みが違うようだ。
 あれからわたしたちは『父』の言う通りに悪を目指した。
 親の言うことに素直に従うのがいい子であり、いい子というのは親に従順なものだから。
「じゃあ、わたしたちは戦うんだね」
「あたしたちは戦う、親の言いつけ」
 悪として作られたわたしたちは、親である父に言われるがままに戦い合わなければならない。
 父がそう言ったから。親の言いつけだから。悪であることがわたしたちの存在意義だから。
「でも」
「けど」
 わたしたちは同時に呟く。
「姉妹で戦うのは相当悪い」
「姉妹は助け合うものだよ」
 ふと浮かんだ疑問は、すぐにわたしたちの心に波紋を広げていく。
「でも父は戦えと言った」
「けど姉妹ケンカは悪い」
「わたしは戦いたくない」
「あたしも戦いたくない」
 わたしたちは本音がぼつぼつ零れてくる。
 特に仲睦まじい姉妹でもなかったはずが、なんだかんだでお互い愛着のようなものが湧いていたらしい。
 ここではたと気づいたことがある。
「父は戦えと言った」
「あたしは戦えない」
「親の言いつけに逆らうのは悪いこと」
「親の言う通りにできないのは悪い子」
「そもそも絶対的な悪い奴はひとりでいい」
「ここで姉妹を倒してもまだ父が残ってる」
「一番悪い奴を目指すなら父を倒すべき」
「父が残っているなら一番の悪ではない」
 わたしたちは思ったことを一気にしゃべった後、互いに目を見つめ合う。もう一人の眼は澄み切った色をしていた。
 同じ形で作られたのなら、わたしもきっとこんな目をしているのだろう。
「わたしたちは悪い子だから」
「あたしたちは親に反抗する」
「邪悪の化身の父を倒して一緒に一番の悪になる」
 わたしたちは同時に言った。


 わたしたちは父を倒した。
 本人が言っていた通り、父は世界の邪悪を集めた存在であった。人の世の中では魔王と呼ばれていたらしい。
 絶対的な悪だというのは誇張でもなんでもない。悪の王、魔王である父は一人でも十分強かった。
 ただし、その娘であるわたしたち二人がかりであれば、苦戦はしたものの倒すことはできた。
 邪悪そのものと言われた魔王は、その娘たちに倒された。
 平和が訪れた世界でわたしたち姉妹は穏やかな余生を送ったのだ。
 ひょっとしたら後の世では「魔王を倒した勇者」と呼ばれることになるかもしれないが、実際のところなどおそらく誰も知ることはないだろう。
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