執筆応援企画SS集
特別な存在
「お前は特別な子なんだよ」
俺は、自分のことを特別な存在だと思っている。
大自然以外なにもない村に生まれ、両親の顔もおぼろげにしか記憶にない。俺を育てたのはばあちゃんだった。
両親は貧しいこの村から都会に出稼ぎに行き、もう何年も会っていない。顔すら見ていないし、もちろん声も聞いていない。交通の便も悪いこの村では、近くの店に買い物に行くことすら困難なのだ。
日用雑貨は古いものを修繕して使っているのですでにボロボロになっているし、食糧も自分たちで畑を耕し、獣を狩りに行く。昔からこの村では自給自足で成り立っていた。
都市部では愉快な娯楽もあるかもしれないが、俺には想像することもできない。村にあるのはただ人としての平凡な営みのみ。起きて、食べて、働いて、眠る。ただその繰り返し。同じ毎日の繰り返し。
きっと都会の若者は毎日面白おかしく充実した日々を過ごしているのだろう。俺は毎日朝から晩までせっせと働き、疲れ果てて眠る生活だ。
それでも俺は、自分のことを特別な存在で、尊い生き物だと思っている。
俺を育ててくれたばあちゃんは昔から俺に言い聞かせてきた言葉を信じているから。
「お前は特別な子なんだよ。いいかい、よくお聞き。お前の祖先はこの村を興した偉い人なんだ。今この村があるのはお前のご先祖様のおかげ」
「うん」
「お前はそんな素晴らしい人の子孫なんだよ。……その血を誇りなさい。そして、ご先祖様に顔向けできないような人になるんじゃないよ?」
「うん!」
ほぼ毎日、寝物語にこんな話を聞かされて育ってきた。
おかげで俺は物心つく頃には既に、自分が特別な存在なのだという自覚を持っていた。
偉い先祖の名を汚すような恥ずかしい真似はしない。
偉大な先祖に恥じない行いを心がけ、住人のためになるようなことをしよう。
尊い血を継ぐ者として努力し、常に向上心を忘れてはならない。
俺は幼心に誓って、そのまま成長した。
どんなにつらいことがあったとしても、「一からこの村を切り開いたご先祖様に比べれば」大したことない、と俺は頑張ることができた。
なぜなら、俺は特別な存在だから。
普通の人にできることなら俺にできないはずがない。特別な存在というのはそういうものだ。
このように俺は順調に成長し、いよいよ婚姻の年ごろとなった。
「……さて」
ばあちゃんは神妙な顔をして顔を上げた。
見慣れた我が家で、俺はばあちゃんと二人正座で向かい合っている。しばらく少し下を向いて考え込んでいたらしいばあちゃんは決意したように俺をまっすぐに見つめる。
「あんなに小さかったお前も、もう婚姻の年ごろ……早いものだ」
「俺だっていつまでも小さな子供じゃない。もう立派に働いてるだろ?」
毎朝早起きして畑を耕し、時には他の村人と協力して獣を狩りに行っている。
もう俺は立派に一人前になったのだ。
「そう、だね」
少し寂しそうな表情になったばあちゃんは目を細める。
「ちょっと前まであたしの後ろをついてくるちびちゃんだったのにね」
「やめてくれよ……」
妻帯できる年ごろになったというのに、ばあちゃんはまだ俺を幼子扱いしようとする。
それが恥ずかしくもあり、同時にばあちゃんになら特別にこういう扱いをされても許せるという複雑な気持ちになる。一生頭が上がらなそうだ。
「この村は、年ごろになった男女を一堂に集める場所があるんだ。知ってるだろ?」
「聞いたことはあるよ。少し遠くの小さなお堂、だったよな?」
「そう、そこだよ」
そこからばあちゃんによって詳細な説明があった。
途中で話が逸れてばかりだったが、要するに、そこでお互い自己紹介をして双方納得の上で婚姻関係を結ぶということらしい。一言で説明するとそうなる。
てっきりしばらくの交際期間を経たうえで夫婦になるものだと思っていた俺は若干面食らった。
夫婦関係って、そんなに単純なものなのだろうか。もっと、こう……しっかり考える時間とか、お互いの相性とか、確かめるべきものは山ほどあると思うのだが。
不安になって考え込む俺にばあちゃんは微笑んだ。
「お前なら大丈夫だよ。お前は特別な子なんだから!」
特別な子。特別な存在。
この言葉は昔からずっと、俺に自信と勇気を与えてくれる。
「……ああ!」
自分の中からあふれ出してくる自信を感じ、俺は頷いた。
そうしてあっという間に数日が過ぎ、待ちに待ったその日がやってきた。
例のお堂は俺の家から一時間ほど歩いた先にある。
我が家からは最も遠い場所だといってもいい。いつもならば長時間歩き続けることにうんざりするのだが、今回ばかりは違った。
まだ見ぬ妻と出会う場所だと思うと自然と歩みも軽くなる。
そうして浮かれた気分で到着したお堂には、既に二十人ほどの男女が集まっていた。
「すごいな……」
村に住む若者はそもそも少ない。特に若い女は滅多に見たことがなかった。男は仕事で出くわすこともあるが、女は基本的に家の中だけで家庭の細々した仕事をこなしているからだ。
慣れない若い女たちに内心ではぎょっとしつつ、平常心を装う。
そんな俺に話しかけてきた少女がいた。なかなか小奇麗な身なりをして胸を張っている。
「ねぇ」
「えっ?」
「あなた、見かけない顔ね」
「ああ、まぁ、な」
初対面にも関わらず、この少女は物怖じせずに近づいてくる。
「ふぅ〜ん……?」
やけに堂々とした態度で俺を無遠慮に見まわしてきた。
「なっ、なんだ?」
気圧されそうになるも、俺はいつものあの言葉を思い出す。
俺は特別な存在なんだ。
……よし。これで大丈夫だ。
自分にそう言い聞かせ、俺は彼女に向き直った。
はっきり言ってやろう。俺が誰の血を継ぐ者か。
大きく息を吸い込んだ瞬間、予想だにしない言葉が彼女の口から飛び出した。
「あたし、この村の開拓者の子孫なのよ!」
「……」
えっ?
それは誰のセリフだ。俺のセリフだ。
「どお? すごいでしょ?」
「……いや、それは――」
俺が口をはさもうとした瞬間、予想だにしない展開が待っていた。
「それは私よ!」
それまで様子を見守っていた他の少女が叫ぶように言った。
「いや、俺だ!」
他の男も叫んだ。
「いやいやいや、俺だってば!」
「あたしだって!」
「俺だよ、俺」
「わたしよっ!」
皆一斉に、「自分が特別な存在」なのだと主張し始めた。
これまで黙っていた大人しそうな人物まで声を張り上げて主張している。「英雄」といったり、「偉人」といったり、「開祖」といったり、その種類は様々であったが、「すごい人」というのは共通していた。
静かだったのが嘘のように今や騒ぎになっている。
「やれやれ」
そこに聞きなれた女の声が聞こえてきた。
声のした方を見ると、そこには俺のばあちゃんをはじめとした村の大人たちが集合していた。
「若いっていうのはこれだから……」
大人たちはどこか優しいものを見る眼で俺たちを見つめている。
「ばあちゃん、これはどういう……?」
もしかして、みんな俺と同じように育ってきたのだろうか。
幼いころからずっと「お前は特別なんだ」と言い聞かされて育ったのだろうか。それでみんな「自分は特別な存在なのだ」と主張するようになったのだろうか。
ならばひょっとして、俺は「特別」でもなんでもなかったのだろうか?
「……」
嘘だと言ってくれ!
ばあちゃんは静かに言った。
「……この村を興した英雄は、五人いたんじゃ」
今やあれだけ騒がしかった若者たちは誰一人無駄口をたたくものはいなくなっていた。
「そしてその子孫は、この村の今の住人全員だよ」
「……」
「だからみんな英雄の子孫、みんな特別な存在なんだよ」
俺たち若者はハッとして互いに顔を見合わせる。
確かにそれなら筋は通っている。みんな英雄の子供だから、正直にそう言っているだけだ。誰も間違ってはいない。
けれど。
「てっきり特別なのは俺だけかと思ってたのに……」
がっかりする気持ちは抑えきれなかった。
子供のころから、俺は他とは違う特別な存在なのだと信じていたのに。何も特別なことはなかった。みんな同じなんだから。
「何を言う!」
そんな俺の頭にポンと手を置いてばあちゃんは言った。
眼を合わせて微笑む。
「お前はここにいるだけで特別な存在なんだよ! 私の大事な孫なんだから」
「……ばあちゃん」
ばあちゃんははっきりと言い切った。その眼には一点の曇りもない。心からの言葉。
「うん!」
「よし!」
俺と俺のばあちゃんだけでなく、周りでも同じような会話が繰り広げられていた。
きっとこの村では代々この言葉が繰り返し言われてきたのだろう。親から子へ、子から孫へ。
ずっとそうやって受け継がれてきたのだ。そうに違いない。
「俺は、特別な存在だ」
自分でこの言葉を言ってみる。
ああ、やっぱり特別っていうのはいいものだ。たとえ他にも特別な存在がいたとしても。
Copyright 2023 rizu_souya All rights reserved.