執筆応援企画SS集

ミッドナイトパーティ

「出るんだって」
 ガチャン!
 そんな音を立てながらも、落ちた湯飲みは幸いにも割れずに済んだらしい。中身のお茶は盛大に零れたが、拭けば済むことだ。
 少女はこの一言を聞き終えた瞬間、全身から血の気が失せるのを感じた。
 動揺をすぐに察したらしい女性が素早く布巾を手に取った。
「あーあ、何やってるんだいずくちゃん。せっかくちょっとお高いお茶なのに……」
「……い、いや、あの……今の……でる? なにが?」
 少女――村里ずくは震える手を必死で押さえようとするが無理だった。一目見てわかるくらいガチガチに震えていた。
 零れたお茶を拭き取りながら、向かいに座る女性が軽く笑って茶化すように言った。
「何、って言ってもね。そりゃ、夜の学校といえば……決まってるじゃないか」
「定番だものねぇ。きっと不慮の事故で亡くなった生徒が成仏できずにここに留まってるんだろうね。可哀そうに」
 ずくの向かいに座っている女性とその隣の女性世間話の調子で話し出す。その様は全国各地に存在する噂好きのおばさんそのものだ。実際、皆がイメージするようなどこにでもいる外見をしている。気のよさそうな、ちょっとふっくらした体型で口元のしわが目立つようになってきたような年代だ。ずくの向かいに座っている方が佐々木、その隣にいるのが宮村。
 女性たちの話は続く。
「この学校に七不思議ってあったかね?」
「さぁ? あたしはここ出身じゃないし。ただのパートだし」
「私は給食作ってたのよ。大きな鍋で、大容量をこう、パーッとね」
「パートのおばさんがパーッと作るって?」
「何その親父ギャグ!」
 噂好きの悪い癖で、一度話が盛り上がるとしばらく止まらない。そこに身振り手振りのオーバーリアクションがついている。
 幸い話題がただの雑談にスライドしたようだし、ここでずくの苦手な怪談話は自然と終わったのだろう。
「まぁ、日本全国どこにでも、どんな学校にも七不思議っていうものはあるみたいだしねぇ。この学校だけじゃないってことだろ? それだけ成仏できていない子も多いんだろうねぇ」
「っつ!」
 上手い具合に話がそれたと思ったのに。ずくの手が再び震え始めた。
 せっかく終わった話を蒸し返すのやめてほしいな。
 ずくが本気で怖がっていることを察したらしい残りのひとりが助け舟を出した。
「まあまあ、お二人さん。この話はこの辺でやめとこうや。ずくちゃんがこんなに怖がってるじゃないか。……もう大丈夫だからね」
 この場にただ一人の男性、工藤が震えるずくを宥めにかかる。まるで孫に対して語り掛ける祖父のように。
 それを見ていた二人の女性はつまらない。
 嫉妬という理由ではない。
「というか、最初にこの話したのって工藤さんじゃなかった?」
「そうよねぇ。言い出しっぺが何いい人ぶってんのかしら」
 そもそも工藤さんが言い出さなきゃこんなことにはならなかったのよ。そうでも言いたげに二人そろって工藤を軽くにらんだ。
 気まずい視線に困惑した工藤は、話題を代えようと一つ咳払いをしてずくの方を向いた。ちなみに彼はずくの隣に座っている。
「で、調子はどうだい? 漫画の……ねーむ?は進んでいるのかい?」
「うん! 今日は小豆が集まったから、召喚の儀式を行うところまで進んだよ!」
 漫画の話となるとずくはころりと明るい表情になる。
 他の三人は漫画の話などよくわからないものの、ずくの話を聞くのは好きだ。しばらく顔を合わせていなかった親戚の子と話しているような気分になる。彼女が描いているという漫画のストーリーも正直よくわからないのだが、きっとわかる人にはわかる面白さなのだろう。
 何より若者と知り合う機会など滅多にあるものではない。三人は話し相手に飢えていたし、用意したささやかな茶菓子を心から美味そうに食べるこの子が気に入っていた。三人ともニコニコ微笑みながらずくの話を聞いている。
「ほうほう、俺は漫画のことは詳しくないけど面白そうだと思うよ」
 面白いかどうか以前に話の内容が理解できないが工藤が笑顔で言った。
「そうね。ちょっと前の若衆の会話が生々しくてよかったわね」
 同じく話の内容が理解できないが若衆の絵が好みだと佐々木は思った。
「私は姫様の禁断の恋が素敵だった。……あんな恋がしてみたいなって思ってたのよ」
 同様に話の内容が理解できないが少女たちの禁断の恋に思うところがあった宮村がしみじみ呟いた。
「ありがとう」
 ずくはにっこり笑う。
 口々に出てくる自作の感想を聞いていると、ついさっきまであんなに怖がっていたのが嘘のように思えてくる。きっとお化け自体が嘘なんだろう。いた方が話が盛り上がるから。きっとそう。
 そうだ、お化けなどいないのだ。
 幽霊などないのだ。きっと寝ぼけた人が枯れ尾花を魂的なアレだと勘違いしたのだ、そうに違いない。
 ずくが自分に言い聞かせていると、そろそろ三人は帰る時間らしい。そういえば先ほどから腕時計をちらちら眺めていた気がする。なぜ三人同時に帰宅する必要があるのかはわからないが。
「さて、と」
「私たちは帰るけど、ずくちゃんはまだ頑張るの?」
 一斉に席を立った三人はいつもと同じことを聞いた。
「うん。全体のネーム仕上げた後は作画進められるし。セリフもいいのが浮かんだから」
「そっか。頑張るねえ」
「好きなことはいくらでも頑張れるよ!」
 ずくの言葉に三人は満足げに目を細めた。
 一か月ほど前に知り合って、集まってこうして一緒にお茶するようになってから、三人とも新しい孫ができた気がしていた。
 もう二度と孫と関わることができない身としては嬉しい展開だった。若者と話すのはいい刺激だったし、漫画の話を聞くのも新鮮で楽しかった。
 帰ると言っても、戻る場所は自宅ではない。家には永遠に帰ることはできないから。
「じゃあ、また明日!」
 誰ともなくそう挨拶して、今日もずくと茶飲み仲間三人は別れた。
 
 空き教室を出てしばらく歩いていた。
「ずくちゃん、やっぱり気づいてないよな」
 工藤がポツリと呟いた。
 彼が向かっているのは旧用務員室。そこが今の彼の「帰る場所」である。今は使われていないので、人の気配などない。
「あの調子だからね。でも本人も気づかない方がいいかもしれないね」
 佐々木が向かう場所は給食調理室。
 だが、彼女が仕事で給食を作ることは二度とない。
「ヒントを出したつもりだけど、まさか苦手だったとはね……」
 宮村が向かう場所は事務室。
 現役のころは手書きで書類を処理していたはずなのに、いつしかその作業はパソコンが使われるようになっていた。もちろん、宮村はパソコンなど使えない。
「……ま、まだ若いんだから青春を謳歌する時間はあってもいいじゃない」
「そうね。きっと漫画を描きたいっていうのが悔いだったんだろうし」
 宮村も佐々木も、ずくの正体を察している。ほぼ間違いなく彼女も自分たちの同類だろう。
 だから仲間意識のようなものは最初から感じていた。
 けれども同時に、彼女の正体が予想と違っていて欲しいと強く願っている。まだまだ青春真っ盛りなのだから。
 ずくはいつも一人で「漫画部!(仮)」と描かれた部室で漫画のねーむ(?)とやらを描いているらしい。
「せめて漫画を描く仲間がいれば、ずくちゃんも寂しくないのにな」
 工藤がぽつりと言った。
 その意見に関しては他の二人も同感だった。
「漫画部部員とあの子が出会えたなら、もう悔いはないっていえる」
 誰ともなく言った。他の二人も同じ気持ちであるので、敢えて口に出す必要はない。
 自分たちは生前も死後も、もう十分に人生というものを味わってきた。もはや自分の悔いなんてない。
 だからせめて、最期の願いとして叶えてほしいと思った。


 三人がそんな会話をした数日後。
 ひょんなことから漫画部部員と出会ったずくに漫画を描く仲間ができた。
 同年代の漫画仲間と会えたずくは水を得た魚のように生き生きと漫画を描き続けている。
 だが、それからずくが茶飲み仲間と会うことは二度となかった。時間のある時に探しているが、誰も気配すらない。
 密かに真夜中に茶を淹れる水音とお菓子のパッケージを開ける音がかすかに聞こえるという噂が密かに囁かれているが、その詳細を知る者は誰もいない。
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