執筆応援企画SS集
相棒以上、恋愛未満。
「智也のバカっ!」
「さくらの方がバカだろ」
八月十八日。
若者に人気のカフェで、一組の男女が低レベルな罵り合いを繰り広げていた。成人まで手が届く年齢で「バカ」連呼はないだろう。
安藤智也、十八歳、大学生、新米探偵。
三ツ星さくら、十八歳、自称高校生、???。
二人とも年齢は同じ十八歳なのだが、智也は十一月生まれであり、さくらは四月生まれのため同じ年齢でも学年が違うのだ。
ひょんな……でもない出会いをちょうど三か月前に済ませたばかりの、コンビとしては新米である。
ではあるものの、知識と地頭(加えて顔と運動神経とスタイルと身長)に優れた智也と、頭脳面は絶望的だが天性の勘に優れたさくらは非常に相性がよく、これまでに数件の事件を解決済み。付き合いの短さから考えると、優秀な探偵といっても間違いではない。
その優秀な探偵たちは、今この場ではとてもではないがそうは見えないやり取りをしている。とてもではないが「優秀な探偵」どころか、「年相応の学生」にすら見えないのだ。
どこがどう低レベルかといえば、この年になって「バカ」という罵倒ばかり繰り返しているのだ。
まだまだ続く、二人の「バカ」という言葉の応酬は、残念ながらまだ続いている。
「だから! もうすぐ記念日でしょ! あたしたちが出会って三か月の!」
「だから! たった三か月、そんな短い間一緒に仕事しただけで、なんで記念日なんだよ! おまえ大事なことを忘れてないか?」
「はぁ? 若い女の子にとって記念日より大事なものっていったら、誕生日かクリスマスくらいしかないわよ!」
「それしかねぇのかよ! どんだけバカなんだ!」
「またバカって言ったわね! この女好きのナルシストバカイケメン! イケメンで頭がよくて身長高いからって調子に乗らないで!」
「褒めてくれてありがとな!」
また「バカ」という言葉が飛び出してきた。
ちなみに先ほどからずっとこの調子でやり取りは続いている。大音量で若い男女の口論となると、周囲の者たちは迷惑である。ただし、言っている内容がどこか間が抜けているので、実はこれはこれで愉快だと皆内心では思っている。この二人、普段は大抵こんな調子なのだ。
「つーか、さくら、お前さ、何か勘違いしてねぇ?」
「勘違いって何よ? 言っとくけどね、あたしこれでも日記はちゃんとつけてるから。日付間違ってないからね? 毎日三行だけどちゃんと続けてるんだから」
「ちげぇよ。そうじゃない、そもそも俺らは恋人でも彼氏彼女でも、もちろん兄妹でも従兄妹でも親子でも夫婦でもないからな?」
「うん。知ってるわ」
「だから、俺はさっきから「なぜ記念日を祝わなければならない」という話になるのか、って言ってるんだ。わかるか?」
「わかるわよ。あたしがバカだからってバカにしないでよね」
また微妙に突っ込みどころがあるようなないようなコメントをさくらは言った。
智也の方は、これで本当に理解できているのか疑問に思いつつ、要点を言った。
「俺は記念日というのは、そういう特別親しい間柄の奴らが祝うものだと思うんだ」
「そうね。そりゃそうよ」
「で、1,記念日は恋人が祝うものである。2,俺とさくらは恋人でも家族でもない。3,よって、俺とさくらが記念日を祝う理由がない。と、こうなると思うんだ」
「よくわからないわ!」
途中までは順調にわかっていたらしいさくらは、いっそすがすがしいほどきっぱりと言い切った。
智也はわかりやすいように説明したのだが、やはりさくらには通じなかった。勘が非常に優れたさくらだが、本当に日常生活が送れるのか心配になるほど、頭を使うことが苦手だった。
がっくりと脱力しつつ、智也はコーヒーカップに手を伸ばす。
「……ま、お前に理屈が通じるとは最初から思ってねえけどな」
「なによそれ。失礼しちゃうわ!」
智也がコーヒーカップに口をつけたのにつられたように、さくらも自分のカップを持ち上げる。その動作はこれまでの発言とはかけ離れた洗練された動きだ。
「そんなこと言っていいの? あたしがいないと仕事で困るくせに。……その腕時計、あのブランドの新作でしょ?」
「相変わらずこの手のことは無茶苦茶詳しいよな。通りがかりで一目ぼれして、つい」
「貧乏学生には分不相応よね。他にもそのジャケットとか、パンツとか、シャツもあのメゾンのでしょ? 何百万かかったわけ?」
最後のさくらの一言で、聞き耳を立てていた周囲の者が思わず視線を向けた。
一般的な大学生でもファッションにそこまで金はかけないだろう。服に数百万かける大学生などほんの一部しかいない。それに、貧乏学生といわなかったか。
周囲の視線など気づかない智也は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「貧乏学生とか言うなよな。学費はいつも俺が自分で払ってるし、家賃から生活費から何からなにまで自分で稼いでるし。少しくらいお洒落に金かけてもいいだろ。貧乏とか言うなよな。ついでに、最初に「い」がつく言葉を言ったら俺だって怒るからな?」
「智也って、組織に声かけられてラッキーだよね。あ、それよりなにより、あたしに出会えたのが一番幸運だったんじゃない?」
さくらが得意げに言った。
確かにそれも一理あるので間違ってはいない。さくらの勘がなければ解決できなかったであろう事件も多い。
この時点ではお互い知らないことだが、智也が探偵に興味を抱いたのはある事件がきっかけだし、その事件があったからこそさくらが接触してきたのだ。ちなみにその当時、智也は手持ちの金をほぼ全額使い果たして困り果てていた。何に使ったかといえば、流行最先端の服や靴や小物である。
「……もういい」
「智也?」
さくらに出会いの話を出され、智也は当時のカツカツだった頃を思い出した。一時的とはいえ、ホームレスの仲間入りをしたこともあった。その苦い思い出が脳裏をよぎった。もうあんな目に遭うのは御免だ。
智也はさくらをじっと見つめる。
「なに?」
彼女にはたしかに不思議な魅力がある。
なにしろスタイル抜群の美少女だし、性格も合う。話していて楽しいし、智也の好きな流行の話題も豊富だし。何よりさくらの言う「女の勘」には助けられてばかりいる。パートナーには最適だ。
ではあるのだが、さくらは恋人ではない。
「記念日なんて、俺らは関係ないからな」
コーヒー代の千円札を置いて、智也は立ち上がった。
「智也?」
「俺は帰る。いい加減レポートやらねえと。期限に間に合わねえし」
「ちょっと!」
「じゃあな」
「智也っ!」
引き留めたとしても無駄だ。
智也は心の中でそう吐き捨てる。
「お金足りないんだけど!」
がくっ。
カッコよく立ち去ろうとした智也はカッコ悪くずっこけ、赤面しながらすごすごと引き返した。
こんな調子の智也とさくらというコンビだが、仲が悪いわけでもない。かといって無二の相棒というものでもないが。
さくらはわかりやすく智也に好意を抱いている。智也の方はさくらの得体の知れなさもあり、はっきりどう思っているのかは言い表せない。しかしそれでも、インテリであるがゆえに気づかないほんのわずかな違和感に気づくのは常にさくらの方だった。智也だけではこれまでの事件の大半は解決できていなかっただろう。
二人は特定の名探偵に師事しているわけでも、自分の事務所を開いているわけでもなかった。
上司にあたる美千代という女性が仕事を持ってきて、それをただ解決するだけだった。美千代は自分の所属先のことを、ただ「組織」と呼んでいる。具体的なことは教えられていないし、彼女のさらに上の者はどのような人物なのかも知らなかった。
怪しすぎる組織ではあるものの、犯罪に加担するようなことはないし、大掛かりな陰謀の匂いも皆無だ。社会的地位のある者による犯罪や些細な事件を解決するだけ。それで一軒につき札束をいくつか、ポンと与えられる。金策に困る学生にはこの仕事を断る理由もない。能力次第で数時間で事件を解決するだけで高額の報酬なのだから。
そのような事情もあり、智也は未だに組織の依頼は断らずにいた。
上京したての若者にとって大変ありがたい仕事である。同時に、仕事を斡旋する美千代にも弱かった。年齢不詳の美女というのはいつの時代も不思議な魅力がある。おまけに智也の好み「赤が似合う大人の女」でもある。惹かれないわけがない。
その美千代は、今回も依頼を持ってきた。
八月の半ばの最も暑い時期に。
「元気だったかしら?」
美千代は珍しく、白いノースリーブを着ていた。タイトスカートに涼しげなミュールを合わせている。さすがに真夏に真っ赤な服は暑苦しいと思ったのらしい。
「元気ですとも! 俺は美千代さんに会えるならどこへでも行きますよ。あ、久しぶりだし、高級フレンチでもどうです? 奢りますから!」
今にも揉み手をしそうなほど、智也は全力で下手に出た。
信じられないだろうが、さくらとバカの応酬をしていた、あの智也と同一人物である。
「いいわね。けど、さすがに子供に奢られるのはちょっと、ね?」
「そうですか……」
美千代が少し困ったように言うと、智也は本気でガッカリした。大げさに下を向いてしまう。
それを見た美千代は、いつものことながら困った子だと複雑な気分になる。
智也は確かに同年代の若者の中では優秀だし、実績もある。学業優秀な子はコミュニケーションに難ありだと思われがちだが、智也の場合はそれは当てはまらない。むしろ飛びぬけてその能力は高い。だからこそ、探偵としてもよい仕事ができる。
ただ、あくまでそれは同年代の中で、の話だ。大人として社会人と混ざって、報酬をもらうとなると話は違ってくる。大人の間では暗黙の了解となっていることもまだ理解できていないし、子供じみた振る舞いをすることもある。おまけに、智也はナルシストで唯我独尊で俺様でもある。美千代の前ではそんな素振りは見せないが、さくらに対しては地が出ている。
まあ、そんなところもかわいげがあっていいか。年上として思うことはそのようなものだ。もちろん、恋愛感情の類は一切ない。相手は子供だ。
「と、そんなことはいいのよ。いつもの通り仕事を頼みたいの」
「はいっ!」
らしくもなく智也について考え込んでしまったものの、今回の用件はただの世間話ではない。
これまでは比較的簡単な仕事ばかりを頼んでいたが、この件は段違いに難しい案件なのだ。簡単なものから実績を積んだ今の智也だから頼めるものだ。
「さくらさんは今日は欠席なの?」
「えっ? なんでさくら?」
「今回はあなたの力だけじゃ難しいと思うのよね。むしろ、さくらさんの能力が必要な案件なの」
愛しの美千代から自分よりさくらの方が必要だと言われ、智也はわかりやすくショックを受けた。
そんな智也にかまわず、美千代は話をつづけた。
「この件は論理だけじゃ難しいのよ。さくらさんの勘は不可欠よ」
「俺じゃダメだって言うんですか?」
まるで別れ話でも切り出されたかのような言葉を智也は言う。本人としてはごく真剣だ。
美千代の方も真面目に話をしているはずなのに、なぜかいつもペースを崩されてばかりいる。現に今も。
調子の狂う展開ではあるが、美千代の方も仕事である。今回は難易度が段違いの、危険な仕事。
「どんな仕事なんです?」
智也はきりっとした真面目なイケメン顔で尋ねた。
「爆弾の解除よ」
犯人はわかっている。
昔、知人の妻子の死の原因となった事件の犯人であり、見知った少女に縁が深い男。大々的なニュースになることはないが、ある界隈では名の通った犯罪者。
「あなたも聞いたことくらいはあるでしょ? あの爆弾魔の作品が使われたの」
美千代の言葉を最後に、しばらく二人は黙り込んだ。
「……もしかして、あの連続爆弾魔の?」
智也はようやく本気でシリアスな顔をする。
世間のニュースなどろくに入ってこないような、時代に取り残された場所にすら聞こえてくる凶悪事件。数々の事件を起こしながら、犯人だと確信されていながらも捜査の手を逃れたり、かと思えばやけに素直につかまったり、常人には理解しがたい行動ばかりとるというその人物のことは智也も当然知っていた。
「お察しの通りの人物よ。……うちも最重要危険人物として監視しているわ。でもね、だからといって完全に奴の動きをマークできているわけじゃないの」
「ですよね。危険人物の気持ちがわかる方がどうかしてる」
自分の所属している組織が予想以上に大きなものだと智也は実感した。
少ない労力で多大な報酬が手に入る割のいいバイト、程度に考えていたのだ。
「今回は犯人が彼だと判明している。捕らえるのはとりあえず置いておくわ。まずは爆弾の解除が最重要なの。放っておいたら甚大な被害が出るわ」
「たしかに」
「そういうわけで、急ぎの依頼なの。すぐに出られるかしら?」
「ええ、俺は美千代さんの前では常に準備万端ですよ」
言葉の通り、智也は美千代と会う際は必ず完璧に身支度を整えている。
シンプルながら最高級の素材を使い、デザインも小技が光るシャツ。一見その辺のものと大差ないものの、近くで見れば違いが一目瞭然な有名ブランドのジャケット。クリーニングから返って来たばかりのノリの利いたパンツ。そこにアクセントの腕時計とアクセサリー。
自活能力は皆無だが、ファッションに関する情熱は異常にある。
ちなみにこの智也の部屋、美千代と会話しているこの部屋は家具しか置いていないモデルルームのようにぴかぴかだが、他の部屋はごちゃごちゃとモノが詰め込んである。ゴミも最後に捨てたのはいつなのか覚えていない。食事は外食かカップラーメンである。
「そう。じゃあ行先を教えるから。今回も受けてくれるんでしょ?」
「勿論ですよ!」
智也はびしっとポーズまで決めて言い切った。
美千代はそれを見て苦笑いをしたのだが、智也の方は満面の笑みだと勘違いしたのだった。
「っと、ここか……」
美千代に教えられたショッピングモールに到着すると、そこはすでに人払いがされていた。
人波が途切れない都会からはやや外れた場所にある。幸い、今日は客も少なかったらしく、避難誘導もスムーズに進んだようだ。普段は人であふれかえっているであろう場所はガランとして不気味な雰囲気が漂う。それも仕方がないことではある。
もし解除に失敗した場合、どの程度の規模の爆発が起こるかわからないのだ、万が一のために封鎖するのはごく当たり前のことだろう。
智也は辺りに人がいないか確認したのち、ロープをくぐった。
毎度のことながら、こんなことも造作もなくこなせてしまう「組織」とやらはどんな集団なのだろうと不思議に思う。どれだけ権力があるのか、バックにはどんな人物が控えているのか、想像もつかない。
しばらく進んでいくと、そこには名物となっているオブジェがあった。そこに男性が数人集まっていた。
「美千代さんから紹介を受けてきたんだけど……爆弾は?」
極力礼儀正しくしようとしたが、ついいつもの調子で砕けた口調になってしまう。バイトしようにも仕事先がなかった智也は目上への礼儀に疎かった。
案の定、そこにいた一人が眉間にしわを寄せた。
「……長月コーディネーターの紹介、と。まったく。彼女にも困ったものだ。こんな坊やをよこすとは」
「坊や、だと?」
智也の方もムッとした。
大人の女性ならともかく、男に坊やと呼ばれる筋合いはない。
「公の場に見合った振る舞いができないのは坊やです。実年齢など関係ありません」
「なんだって? 俺はちゃんと依頼を受けてだな――」
「一人前の大人として扱って欲しければ、それに相応しい振る舞いをすべきです。違いますか?」
「……」
神経質そうな男だが、言っていることはたしかに間違っていない。
ここは自分が大人げなかった。
智也はそう思おうとしたのだが、顔に出ていたらしい。男は何かを言いかけたが、他の声でそれは発せられることはなかった。
「大変です! これを見てください、御神さん!」
「どうしました?」
モニュメントと向き合って何かの作業をしていたらしい男性は慌てた様子だ。智也もおそらくこれが爆弾なのだろうと見当をつけた。
果たしてそれは本当に爆弾だった。
ミステリ作品でお馴染みの赤か青の線を切れば止まる、ごく単純な作りの爆弾……ではなかった。
「どうにか解体作業は進めていたんです。けど、さすが慣れているだけある。ベースは奴のこれまでの爆弾と大差ないんですが、ふざけているのか舐めているのか……」
「どういうことです?」
ここで自分が口をはさんでも話が進まないので、智也は作業員と男の会話を黙って聞いている。ちなみに絡んできた男の名が御神だということも理解した。
作業員は爆弾のある一点を指さした。
「……穴?」
「おそらく、鍵穴だと思われます。奴のこれまでの犯行からして、またしても我々をおちょくっているんでしょう」
「相変わらずわからない男だ。何が目的なのか全くわからない。それで、解除するには具体的にどうすればよいのです?」
「おそらく間違いないと思われますが、この鍵穴に一致する鍵を差し込めばそれで止まるかと」
なんだ、簡単じゃないか。運任せにどちらかを切ればいいだけよりはよっぽど。
智也はすぐにそう思った。
だが、もちろんこれはそんなに簡単な話ではなかった。
「困りましたね。鍵というのはこちらでしょうが」
御神は鍵穴とは別の方向に視線を向けた。
智也もつられてそちらを見る。
「……は? なにこれ?」
「ですから、鍵ですよ」
話を聞いていなかったのかとでも言いたげに、御神は冷たく智也を見やる。
爆弾を解除する鍵はここにある。じゃあすぐに止められるじゃないか。
鍵がひとつだけならば。
「これ、いくつあんの?」
「ざっと十八といったところですね」
すぐに御神は答える。表情一つ変えることなく。
「いやいやいや、多くね? 爆弾界隈じゃこれが普通なのか?」
「そんなわけがないでしょう。というより、爆弾界隈とは何です?」
「……」
智也の発言にいちいち律儀に突っ込んでくる御神に何か言いたくなったものの、この会話を続けていても仕方がないので黙り込む。
近くにある鍵を二つ、手に持ってみた。どちらも同じデザインで、鍵の部分も違いが見られない。細かいところでは違うのかもしれないが、智也が見た限りではそれは全く同一のものに見える。
「これ、違いなんてあんの?」
「あるんでしょうね。でなければ、これだけ多くの鍵をわざわざ用意する理由などないですし」
「それもそーだな」
ここでようやく、美千代が今回の仕事にさくらが必要だと言っていたわけを理解した。きっと美千代はこのような展開になることを見越していたのだろう。
智也では一寸たりとも違いなど見いだせないが、さくらならば一目で見抜くことができるのだから。
さくらは論理的に物事を考える事は大の苦手であるが、その分、本能的な直感には大変優れている。人の顔を見ただけで嘘を見抜き、ともすればその人物の感情を読み取ったりもする。
モノのほんのわずかな違いもさくらにとっては大きな違和感になる。実際、それで助けられたことも多い。
「単純に考えて十八分の一……この中からひとつなど」
御神が呻いた。
それはこの場の全員の胸中の代弁でもある。運任せにするにはあまりにもリスクが高い。
「あっ! 御神さん、もう一つ手段があるようです!」
「何っつ?」
全員が一斉に作業員の方を向いた。
運に任せるよりはずっといい手段なのだろう。みなそう信じて疑わない。だが――
「パスワードを入力すれば解除可能なようです」
「……」
一瞬の希望は、刹那の幻だったようだ。
「あのさ、それってパスワードがわかんなきゃどうしようもねぇってことだよな?」
「そうですね」
「……」
運任せと大差ないじゃないか。
青髭危機一髪のような運ゲーか、無限ともいえる組み合わせの中からただ一つの正解を推測する、ゲームとすらいえないパズルか。
「この爆弾作ったやつってさ、相当のドSだよな……」
「むしろ我々が困り果てているところを見るのが目的なのでしょう。いつものことです」
爆弾という非常事態を「いつものこと」と言っていられる時点で普通じゃない。
智也はそう思ったが、言っても特に意味はないので黙っていた。今更ながらもさくらがここにいたらと思わずにはいられない。
「あ、そうだ」
さくらのことを考えたと同時に、解決方法を思いついた。
「携帯があるじゃん!」
なぜこんな簡単なことが思いつかなかったのだ。
智也は途方に暮れる大人たちを尻目に、アドレス帳からさくらのアドレスを呼び出す。緊急時なので電話だ。
『はい?』
「おう俺だ! 突然だが、これから見せる鍵の中から一つこれだってものを選んでくれ!」
『はぁ?』
さくらが着信してすぐに電話に出るタイプでよかった。
これで今回の件もすぐに解決だ。
頭がいいのに根が単純な智也はすぐにそう結論付けたのだが、もちろんそうは問屋が卸さない。
『なんで?』
「はぁ?」
今度は智也が「はぁ?」と間抜けた返事を返す番だった。
『なんであたしがそんなことしなきゃいけないワケ?』
「なんでって……お前は俺のパートナーだろ? 相棒だろ?」
こっちは爆弾解体の緊急事態なんだぞ。音声だけだとなにも異常がないように聞こえるかもしれないけど、爆弾だぞ、爆弾。
智也は苛立っているが、電話の向こうのさくらはいつもと変わらない。さくらの音声に混ざって若い女性の声が聞こえる。どうやら呑気にショッピングでもしているらしい。
『どうやらそう思ってたのはあたしだけみたいだったしぃ? 智也の方はあたしのことなんてどうでもいいんでしょ。美千代さんもいるし』
電話の向こうのさくらは、どうやら相当怒っているらしい。拗ねた口調で吐き捨てた。
「今はそんなこと言ってる場合じゃねぇんだよ!」
『あたし、智也のことは割と本気で好きなんだけど』
「だから、そんなこと話してる暇はねぇんだよ。何そんなに怒ってるんだ?」
そっちは平穏な日常の中にいるかもしれないが、こっちは困ってるんだよ。
苛立ちは更に増していく。
そこにさくらが真剣な声で言った。
『ねぇ。あたしたちの関係って、何?』
「あん?」
『仕事ではいつもあたしのことを頼ってるくせに、出会って三か月の記念日はどうでもいいって? 俺らは恋人でもなんでもないから? だから記念日何て祝ったりしないけど、お前には協力してくれ? すごく都合のいい言い分じゃない? 言っとくけどね、あたしだって忙しいし、あたしなりの事情だってあるのよ? 貴重な女子高生の時間を智也の手伝いのために使ってるのよ? なのに、記念日とか関係ないとかなんなの?』
さくらにしては珍しい、長い不満が飛び出してきた。
言われてみればそうかもしれないと頷ける部分もないわけではない。ないわけでもないが、このままでは延々と愚痴を聞かされる羽目になる。
けれど、そんな時間はないのだ。
「わかった! お前の愚痴は後でゆっくり聞いてやる! だから今は俺の言うことを聞いてくれ!」
『それだけじゃ嫌。一緒に記念日のお祝いをするって約束して。言質として、この会話はボイスレコーダーで録音しとくから』
「なんでそんなもん持ってんだよ!」
『約束して』
さくらの迫力のある声には本気の怒りがこもっていた。
ここまで怒っているとは思いもよらなかった。やっぱりまだまだ自分は修行が足りなかったらしい。記念日とかいうイベントが女性にとってはここまで重大なこととは。
一人前の色男を名乗るなら、このくらいは覚えておかなくてはと肝に銘じる。
しっかり覚えてから、智也は短く言った。
「約束する」
電話の向こうで短い電子音が聞こえた。本当に録音していたらしい。
『しょうがないイケメンよね。あたしがいなかったら終わってたわよ?』
ここでようやくいつものさくらに戻ったらしい。
安堵した智也は鍵の写真を撮影してさくらに送った。予想した通り、さくらはあっさりと正解の鍵を見抜いた。
『これが正解よ』
さくらの選んだ鍵はやはり正解の鍵で、爆弾のカウントはあっさりストップした。
「助かった……」
智也はほっと胸をなでおろす。他の面々も同様だ。
事件は無事解決し、智也は御神と顔見知りになったのだった。
「やっぱり智也には、あたしがいなきゃダメなのよね!」
夏の激しい陽光が降り注ぐ中、カフェの窓際でさくらが言った。
彼女の目の前にはなかなか豪勢なケーキが並んでいる。いずれも有名菓子メーカーとブランドがコラボした贅沢なものだ。繊細なデコレーションにつやつや輝くフルーツがまぶしい。
「へいへい、よくわかりました」
「素直でよろしい!」
満面の笑みでケーキにフォークを落とすさくらの仕草は、やはりどこかの令嬢のごとく上品だ。ただし喋るとすぐにボロが出る。
切ったばかりのケーキを口に運ぶさくらは、ようやく出会って三か月の記念日のお祝いができて満ち足りた顔をしている。
「あたしがいなかったら、智也は絶体絶命だったわよね。やっぱり世の中、顔と頭とスタイルと運動神経がいいだけじゃ渡っていけないのよ」
「褒めてくださって光栄にございます」
らしくもなく真面目な口調で智也は軽く頭を下げる。
「なにそれ?」
さくらもつい吹き出す。
礼儀正しい智也など、智也ではないではないか。
「今回知り合った仕事上の相手に窘められた。公の場では見合った振る舞いをしろ、だとさ」
「今って公なの?」
「お前の接待なんだから公だろ?」
「……智也さぁ、真剣にあたしのことをどう思ってるわけ?」
「相棒だよ」
智也は即答した。
これは嘘でもごまかしでもおべっかでも、言い訳でもない。本心から言ったこと。
今回の件で智也は自覚したのだ。自分には足りないところを補ってくれる相棒がいないと安心して仕事ができないことを。自分一人ではうまくできないとということを。
もし、さくらとこの関係を解消することになったとしても、また新たな相棒が必要になるであろうことを。
「ほんとにぃ?」
だが今は、目の前にいるこの相棒を大事にしよう。
なんだかんだで最も頼りになる相手なのだから。恋愛感情があるかないかはともかく、好きか嫌いかでいったら間違いなく好きな部類なのだから。
「ほんとに」
智也はそう返事をして、自分のブレンドコーヒーに口をつけた。
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