執筆応援企画SS集

引力少女

「田舎ってさ、空が大きいよね」
 耀子は上を向いてそう言った。
 しみじみと、ではなく、淡々と。あくまで事実を述べているだけという言い方で。ニュースキャスターが文章を読み上げるように。
 ここは屋上なので、当然上にあるのは空だ。
 まだ四時なのに、自然が多く残っているような田舎だからか陽が落ちるのも早い。昼間は青く澄み渡っていた空も、今は紫がかかった赤だ。燃えるような鮮烈な赤。見慣れた大きな灰色の雲は今日は少ない。
「そうだね」
 わたしはつい、吐き捨てるように言ってしまう。
 耀子の言葉を受けてからの返事としては遅かった。
 だってしょうがないじゃない。ちょっと考え事をしてたんだからさ。
「月音、今日はなんか不機嫌じゃない? 何かイヤなことでもあった?」
「イヤなことはあったんじゃない。これからあるんじゃない」
「……そうだね」
 今度は耀子がわたしと同じことを言った。
 そう、イヤなことなんてなかった。
 こんな平和な田舎の村でなんでもかんでもイヤなことだと思っていたら、到底生活なんてしていられない。なんと言っても、遠出しないとお店すらないのだ。大抵の人はきっとこの時点でイヤだろう。
「私も月音とお別れか」
 またしても淡々と耀子は言った。
 これから起こることがわかっているイヤなことなんて、耀子とのお別れくらいしかない。
「長いようで短かったよね。十六年か。長いようで短かった」
 相変わらず淡々と耀子は言った。
 わたしたちは今日でお別れなのだ。別に引っ越すわけじゃない。そういうものを超越した別れなのだ。
 別れたくない、行かないで。
 そう言えたらどんなにいいか。言ってその通りになればどんなにいいか。
 けど、世の中にはそんなに都合よく物事は進んだりしないから。
 だからわたしたちは、十六歳という若さで諦めというものを知っているのだ。
 どうしようもないのに、いや、だからこそ。わたしはぶちぶち文句を言ってしまう。
「またそんな風に。ちょっとはこう、しみじみとっていうか、感情を込めてというか、そんな雰囲気のある言い方ができないの? わたしたちお別れなんだよ? ドラマチックな展開じゃない」
「ドラマチック、か。ま、展開自体はたしかに物語みたいな話だけどね」
 わたしたちの境遇は小説やドラマにしたら、きっと盛り上がるだろう。
 この村で生まれ育った少女はみんな、十六歳になったら引かれていく。月に引かれていく。引力でも働いているかのように。
 少女は誰もが十六歳の誕生日を迎えた瞬間、そのまま月に、空に引かれて村から去る。もちろん例外はない。
 突然消えるわけじゃない。何か掛け声を言ったら飛んでいくわけでもない。文字通り、何かに引っ張られるかのように月に引っ張られていくのだ。ゆえに、この現象を「引かれる」と呼んでいる。
 なぜそのようなことが起こるのかなんて、原因なんて未だに解明されていない。科学なんてものと古式ゆかしき村は相性が悪いから、解明しようと思ったこともないのだろう。ゆえにみんな、原理はわからないけどそういうものだと受け入れている。
 ちなみに引かれるのは女子だけ。男子が引かれた例なんてない。
 一説によると、この村の開祖はかぐや姫の子孫だと言われている。
 けれども、月に還ったというかぐや姫に子供がいたという話なんて聞いたことがない。それ以前にかぐや姫はあくまでフィクションだろう。この時点で胡散臭さしかない。
「かぐや姫の末裔が暮らす村なんてさ。この村の人以外は誰も信じないって」
「夢物語だしね。仮に信じたとしても、その信じた人の方がどうかしてるよ」
 本当にどうかしている。
 かぐや姫なんて物語じゃないか。誰かの描いたストーリーじゃないか。モデルはいるかもしれないが、実在していたなんて、信じない方が正しい。
 そんな、信じる方がおかしい言い伝えをこの村の大の大人たちは心から信じている。この村の人の頭がおかしいんじゃない。実際に引かれる少女を見てしまえば信じるしかないからだ。
 耀子は、初めて情緒のこもった声で言った。
「ね、私、抜け出そうと思うの」
「えっ?」
「明日が誕生日だし。ここにいられるのも今日が最後だから。せめて最後に一緒にいる相手は月音がいいな。……ダメ?」
 最後に言ったダメ?は、ちょっと甘えたような可愛らしい言い方だった。
 言われなくとも。わたしの答えなど決まっているのに。
「なんで最後の最後でそんな言い方するかなぁ……」
「最後の最後だからだよ」
「わたしも、同じことを考えてた」
「じゃあ、夜にここに来てね」
「うん」
 耀子にとっては今日が最後の地球での夜だ。
 仕度を整えてくるという耀子と一度別れて、わたしは家に帰った。
 夜中に家から抜け出すのはわたしにとってはかなり勇気のいることだけど、明日になってからお別れしに行ったと伝えれば親だってわかってくれるだろう。
 わたしは空をにらんだ。月は今日も金色に輝いている。
「……あの月がわたしから耀子を奪っていくんだ」
 あんなもの、なければいいのに。
 もちろんなければいいわけじゃない。困る。
 けどそんなこと、知ったことじゃない。
 わたしから親友を奪っていくようなものなんかいらないじゃない。


 制服を着て腕時計を着けたわたしは、どうやら一足早くに屋上に到着したらしい。耀子はまだ来ていない。
 すっかり藍色に染まった空を明るく照らす月。今日ばかりはその輝きすら憎たらしくなる。
「ごめん、待った?」
「遅い!」
「だから謝ってるじゃない。ごめんね?」
「……」
 なんとか面白くない自分の心を宥めて、わたしは耀子に隣に座るように目で合図した。
 耀子は頷いて隣に腰を下ろす。
「そんな怖い顔しないでよ。最後なんだから笑って」
「耀子は誰かとお別れするときも笑ってるの? 悲しい場面で笑ってるのってどうなの?」
「そう言われてもね。別れがあるから出会いがあるっていうフレーズもあることだし」
 最後までわたしは耀子のペースに飲まれるのだろうか。
 考えてみたら、出会ったころからこの調子だった気がする。いつでもぼんやりした空気でわたしを振り回してきた。
 耀子にとっては引かれることすら、ただの旅行みたいなものなのかも。そう考えたらなんかバカバカしくなってきた。
「心配して損した気分」
「心配って、損とか得のためにするものなのかな?」
「すぐそうやって屁理屈ばっかり」
「今日の月音は怒ってるの? さっきからカリカリしてるね」
 そりゃそうだよ。
 誰が親しい相手との別れの時ににこにこしてるもんですか。
「わたしは悲しいんだもの。ずっと一緒にだったのに。友達や親友、家族以上の関係だと思ってたのに」
 具体的にこのくらい親しい相手を何と呼ぶかなんて知らない。
 友達や家族よりももっと大事な相手だ。お互い異性なら恋人とかいうのかもしれないけど、それもなんだか違う気がする。
 小さい村の中だけだけど、どこに行くのも一緒で、お互いの家で食事をしたりお泊りしたりも、特に家族に言わなくても自然として。一緒に寝たことだってしょっちゅうで。
 そんな相手と別れるなんて悲しいじゃない。
 わたしの複雑な気持ちを察したように、耀子は微笑んでみせた。
「私ね、そんなに悲しくないんだもの。ずっと一緒だったから。だから今のところ満足なんだよ」
 わたしは耀子とまだまだ一緒にいたい。たかだか十六年なんて短すぎる。
 耀子はわたしと十分一緒にいたと思っているのだろうか。十六年も一緒だったから満足だというのか。
「そんなの――」
「それにさ、」
 わたしたちは同時に言葉を発した。
 お互いの声が重なったので、わたしは耀子に先を促す。
「どうぞ」
 最後だもの。このくらいは気を遣おう。
 わたしの気遣いを察したのか、耀子は小さくお礼を言って続けた。
「私は引かれていくけど、月音だってあと一か月したら引かれるわけじゃない。行先は同じなんだからきっとまた会えるよ」
「……はっ!」
「ね? 私たちみんなかぐや姫の末裔なら、月に引かれていくのは私だけじゃない。月音もでしょ?」
「月で再会できるかも?」
「そう。私はまた会えるって信じてるから、悲しくないんだよ」
 その可能性は考えたことはなかった。けど、十分ありえるんじゃないか。
 月に引かれていくこと自体が荒唐無稽なことなのに、実際にあるんだから。かぐや姫の末裔という言い伝えも本当かもしれない。
 かぐや姫の子孫だということが一番胡散臭い話なんだから、それよりは再会の可能性の方が高いんじゃないか。
 そこまで考えていた瞬間、アラームが鳴った。
 この村ではスマホなんて持ってる人はいないから、アラームをセットしておいたのだ。
 別れの瞬間はそれなりの舞台で、と思ったから。
「おっとっと……」
 なのに、そんなわたしたちの都合など知ったことじゃないとばかりに、耀子はいきなり宙に浮いた。これが引かれるという現象だろう。
 わたしは慌てて耀子の手を握った。
「会いに行くから。わたしも一か月後にそっちに行くから」
「うん」
「待ってて。離れたところに飛んだとしても、必ず見つけるから」
「うん。月で待ってるから」
「また会おうね」
 伝えたいことを急いで言っているうちに、耀子の身体は引かれていく。すっかり宙に浮いている。
 ここでは最後なのだからと、私はつないだ手を握りしめた。
「またね」
 いつものように別れの挨拶を言って、わたしと耀子は互いに笑い合って、そして手を離した。
 耀子は一気に空へと消えていった。
 そして、この場にはわたしだけが残された。
「……」
 わたしは思う。
 今までも耀子みたいに考えた人はいたのだろう。
 いたのだけど、その証拠が残っていないから、向こうで再会できるとは思わずに暗い顔をしていたのだろう。
 月には地球にはないようなご馳走があって、未知の生物が棲んでいて、時間が経つのを忘れるような楽しい娯楽が溢れていたりするのかもしれない。悪くないどころか、天国のような場所なのかもしれない。
 案外向こうに引かれていった少女たちは快適に過ごしているのかもしれない。
 なんだ、耀子の言う通り悲しむことなど何もないんじゃないか。
 一気に気分が明るくなったわたしは、月に向かって笑ってみる。
「すぐに追いかけるから!」
 向こうに耀子がいるんだから。
 むしろ待ち遠しくなってきたほどだ。再会したら何を話そう。何かお土産でも持っていこうか。
 まるで遠足のような気分になってきて、またおかしくなってきた。
 かぐや姫は月に還るのを嫌がったそうだけど、悲観的になりすぎていたからだろう。向こうには誰も知り合いがいないからというのも大きいのだろう。
「かぐや姫も一緒に月に行く相手がいればよかったのにね」
 誰に言うまでもなく、わたしは思ったことを呟いた。
 そしてお土産に何を持っていこうかとウキウキした気分になった。
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