執筆応援企画SS集
冬のごちそう
冬が大好きだ。
だって、冬はおいしい。
山に住むわたしにとっては、冬と他の季節はあまり変わらない。ここは寒くて、冬はもちろん夏も寒くて、だけどお店なんて一軒もない山奥だから。
わたしくらいの子供が好きなお菓子はもちろん、野菜も自分で育てるしかない。川もないから、魚はほんのたまーに山を下りたときにしか食べられない。なんとも寂しいことに。
代わりにお肉はお父さんがどこかから獲ってきてくれるから、たくさん食べられるけど。嫌というほどお肉は食べられるけど。
毎日のようにお肉ばっかり食べてると、もうお肉は見たくなくなる。
小さいころからお肉を飽きるほど食べてきたせいか、お肉はもう食べ飽きている。
そのまま焼いて、鍋に入れて煮込んで、燻して保存食にしたり。調味料も手を変え品を変え。他の食材と組み合わせて工夫すればまだ違ったんだろうけど、手に入る食材は限られているから、どうしても似たような料理ばかりになる。
肉をメインに、朝昼晩、一週間一か月一年間数年間。
物心ついてからずっとこう。飽きるのも無理はないと思う。
日頃は肉ばかり食べているためか、わたしは甘ーいお菓子に目がないのだ。
たぶん、肉ばかり食べているからその反動なのだと思う。なんでもいいから甘いものが食べたくてたまらない。
別にわたしは、都市で年ごろの少女たちが食べているようなおしゃれなお菓子が食べたいとか、有名職人の手作りが食べたいとか、そんな無茶を言っているわけじゃない。
わたしはただ、幸せな甘い味を口の中で堪能したいだけだ。
甘味であれば質は問わない。自然な甘さだろうが人工的な甘さだろうが、どんなことは問題じゃない。甘ければそれでいいのだ。甘さこそ正義だから。
そんなわたしにとって、冬は一年の中で最も待ち遠しい季節なのだ。
なぜって?
食べても食べてもなくならない、甘味が山一面に広がっているではないか。
近くに甘味処なんてない。ケーキやチョコレートなんて雲の上の存在。本音を言えば憧れるけど、極限まで甘味に飢えている身としては贅沢はいわない。
お菓子に飢えているわたしは、当然のようにかき氷など食べたことがなかった。
そんなわたしに父がお土産として買ってきてくれたのが、かき氷シロップだった。
贅沢にも、イチゴとブルーハワイ、そしてメロン。この三種類。
鮮やかなピンクとブルーとグリーンの液体はキラキラ輝いていて、まるで極上の宝石のようで、わたしはすぐに虜になった。毒々しい艶が逆に麻薬のようにわたしを魅了した。
真っ白な雪につやつやしたシロップを贅沢にたっぷりかけて食べたときのわたしの歓びと言ったら!
言葉では言い表せない。もう死んでもいいとすら思った。
甘味処に行くことはできないけれど、代わりに冬の間は近所の雪はすべてわたしのもの。山に広がる天の恵みはいくら食べても誰も咎めない。
それからというもの、冬になるとわたしは三本のシロップを抱えて毎日外に飛び出すようになった。
輝くシロップをかけて口の中に運ぶと、一気に甘さが広がっていく。
この極上の味があるのならばずっと冬でも構わない。
ああ、冬最高。
冬はあまり好きじゃない。
ごはんがなくなるから。これに尽きる。
あたしははっきり言って狩りが下手だし、運動も苦手だ。雑食ではあるけれど、獣の肉をとるのが下手だから、その辺の草で我慢している。
別に食べられないわけじゃないし、草類でも一応お腹はそれなりに誤魔化せる。
けどそれは、まあ食べようと思えば食べられるというだけの話であって、おいしいわけじゃない。むしろまずい。
それでも贅沢は言っていられない。
食べなきゃ死ぬ。
だから食べる。それだけのことだ。
誰も好きでまずい草ばかり食べているわけじゃない。狩りが下手だから妥協するしかないだけだ。
冬になるとそのつなぎの草すらなくなるから、あたしはあまり好きじゃないんだ。
ただ、ほんのたまにご褒美のように美味しいものが手に入ることがある。ほんのたまにだ。最初からあてにはできないけど、もし見つけたら幸運だというくらいのもの。
この日はその幸運がやって来た。
さっそく匂いを嗅いでみる。
ああ、これは前に一度だけ食べたことがある。前の奴はそれなりに肥えていておいしかったっけ。丸々してて、肉が柔らかくて、筋っぽくなかった。
今回のはどうなんだろう。
柔らかくはなさそうだけど、そこまでまずくはなさそうだ。匂いも悪くない。いい匂いだし、柔らかそう。
痩せすぎてて、脂肪は少なそうだけども、たまにはこんなのもいいかもしれない。多少まずくても、何も食べないよりはマシだ。
こういうことがあるから、あたしは冬を嫌いにはなりきれないんだ。
冬は嫌いだ。
大嫌いというわけでもないけど。いや、ひょっとしたらそうなのかもしれない。そうでもないのかもしれないけど。
大体、すぐに数え終わる程度しか冬を経験したことがないのに好きも嫌いもない。それでも、きっと俺は冬が嫌いだ。
いつもはふらふらしていればすぐに獲物が手に入るのに、寒いせいかどいつもこいつも自分のアジトに籠りきって出てこない。大抵の場合は侵入するのに苦労するような場所に陣取っているから、こっちから侵入すれば俺はおしまいだ。
そんなわけで、冬は狩りに苦労するから嫌いだ。肉しか食べないと他で代用できないから困る。自分のことながら食性だけはどうしようもない。
今日も俺は夕食を探しに彷徨っていたが、案の定誰もいない。うさぎ一匹いない。
こりゃ、今日は空腹のままで眠るのか。
諦めて自分の住処に帰ろうとしたところで、うまそうな匂いがした。
これは、きっとうまい。
俺の鋭敏な鼻がヒクヒクと反応した。まだ若い、柔らかい肉の匂いだ。ただし、嗅いだことのない匂いが混ざっていた。珍しいことだけど悪くはない。
その匂いを追いかけて行った俺は予想通り極上の食事を見つけ、存分に味わった。
俺のように冬でも一応動ける奴と違って、冬の間は寝ている奴もいるし、巣に籠る奴もいる。
休んでいるところを襲うのはルール違反ではあるけれど、目の前に上手い飯があるのになぜ我慢しなければならないんだ?
当たりを見つければ山を走り回る必要もない。見つけられなければしばらく走り回らなくてはならない。まるでギャンブルだ。
堅実に生きていきたい俺としては、やっぱり冬は嫌いだ。
冬なんて大嫌いだ。
私は今日も神棚に手を合わせる。仏壇はない。
生まれたばかりの我が子を残し、まだ若かった妻はこの世を去った。
今より若かった私は妻を亡くした悲しみに耐えきれずに会社を辞め、すべてを捨ててこの地に移り住んだ。大自然といえば聞こえはいいが、文字通り何もない山に。
一人きりでこの山にこもったまま、誰にも顧みられず私もこの世を去るのが相応しい生き方だと思った。
妻がいない人生など、もはやどうでもいい。
私はすっかり生きる気力をなくしていたが、それから数年後に両親が成長した娘を連れて訪ねてきた。眼も開かなかった我が子はおぼつかない足取りでよたよたと私のそばに寄って来た。
パパ。
生まれて初めて自分の娘にそう呼ばれた時、私は後悔した。
無垢な瞳がじっと私を見ていた。そこには私を責める意志もなければ、咎めようとする気もなかった。ただ私に会いたかっただけなのだとわかった。
こんなに愛しい存在のことまで捨てようとしていたなんて。私は大馬鹿者だ。
私は娘を抱きしめた。もはや、もう別れようとなど考えもしなかった。
両親とはそれから会っていない。その時には今からでも戻ってこないかと説得されたのだが、私は世の中の雑事に惑わされない山の生き方が気に入っていた。その日の食料のことだけを気にしていればいい生活に慣れ切っていたのだ。
煩わしさから解放された生活に浸かってしまった私には、再び毎朝スーツを着て満員電車で自宅と会社を往復する日々には耐えられそうになかった。
娘もたまに菓子を欲しがることはあっても特に文句は言わなかった。きっと、私に気を遣っていたのだろう。
申し訳ないと思いつつ、私は娘にも山の生活を強いることとなってしまった。
その罪滅ぼしに、山を下りたときに娘に土産を買ってきた。本当にささやかなものだが娘は大喜びで満面の笑みを浮かべていた。
イチゴとブルーハワイ、そしてメロンのシロップ。
合成着色料の毒々しい色が山の純朴な色に慣れた私には馴染まなかったが、娘は気に入ったようだからそれでよかった。
それでよかったのだ。
私は神棚に目をやった。
備えてあるのは中身が半分になった三本のシロップの瓶。古くなったラベルがガラス瓶にこびりついている。黄ばんだラベルにはくすんだ赤いしみがところどころについている。
娘がいなくなってどれだけ経っただろうか。
必死に探しているのに、一向に見つからない。その気配もないし、痕跡もない。
あの子がいなくなったのは今日のような静かな日だったはずだ。
あの日、私は帰宅が遅くなった。あと一時間早く帰宅していたら結果は違ったのだろうか。
娘は、あの子は冬を楽しみにしていた。飽きるまで甘味をむさぼるのだと笑顔を絶やすことはなかった。すべて食べつくすのだと張り切っていた。
日頃はあまり遅くまで食べていると私がいい顔をしないからと遠慮しているから、帰りが遅いときは張り切りすぎるのだろう。夢中になって大好きな甘味を堪能している時は誰だって無防備になるのだろう。あんなに遠くに行くなと言っていたのに。
あの子は冬が好きだから。
冬はおいしいから。だから、きっと……
神棚のシロップの瓶を睨んで思う。
私は冬が嫌いだ。
忌々しい冬を、ひとりで過ごさなくてはならないから。待っている人は誰もいないから。
遠くで獣が鳴いたらしい。私は立てかけてある猟銃を取って戸を引いた。
真っ白く化粧をした雪山は、あの子が言う通りおいしそうかもしれないと思った。
今日は肉をたくさん獲ってこよう。焼いて、煮て、燻して。ご馳走にしよう。
そうすればきっと、私も冬はおいしいと思えるかもしれない。あの子のように冬を好きになれるかもしれない。
冬の肉は脂肪が多くてきっといつもよりおいしいのだろう。
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