執筆応援企画SS集
言葉はいらない
「大好き」
何度言っても足りない。だって、全然伝わってないみたいだから。
おなかが空いてるときにおもちゃを持ってきたり、嫌だって言ってるのに髪を洗われたり、ひとりで遊びたいときに限ってやたらと構ってきたり。
どうしてこんなに気持ちが伝わらないのかしら?
あたしと同じく、綾香は動くし喋るから、きっと気持ちは伝えられると思う。同じ生き物なんだから。
でも、こんなにいつも気持ちがすれ違ってると自信を無くしちゃう。
あたしのことを「天使ちゃん」って呼んでくる綾香は、日中はずっとどこかへ行っている。そして、あたしがお昼寝を終える頃になると規則正しく帰ってくる。どこをぶらぶらほっつき歩いてるんだか。
そんな暇があるなら、ちょっとでもあたしと気持ちを通じ合わせるように頑張ればいいのに。
毎日そんなことを思うんだけど、でも頭を撫でられると嬉しいから、いつもなあなあになっちゃう。まったく、あたしも甘いわね。
喋るのがダメなら……っていうことで、書き物をしてメッセージを残すことにした。
友達のクロから聞いたんだけど、これが効果絶大だったそう。
おなかが減った時にお皿の前に一筆置いておくと、クロの同居人はちゃんとごはんをくれるらしい。これだって思った。
さっそくあたしもやってみることにする。
描き書き……、よし、これでばっちり。あーあ、頑張っちゃった。
そうして綾香が帰ってくると、あたしはきちんとお出迎えしてあげる。
「ただいま」
おかえりなさい。
なんか今日は遅くなかった? 寄り道したの? あたしより他の子がいいの? ねえねえねえ!
しつこく問いただしても、綾香はそれには答えず、あたしを抱えて水場に向かう。
「天使ちゃん、シャンプーしようねぇ」
綾香は機嫌を取るようにあたしに笑いかけてくる。
そんな手にひっかかるものですか! いっつも、いっつも、そうなんだから。
どうせまた、あのいい匂いがするけども、感触が気持ち悪いやつをやる気なんだから。
あたしはひっかからないんだから!
「……いやなの?」
でも、結局あたしは綾香のことが大好きだから。
綾香がこんなに悲しそうにしゅんとしてると、あたしまで悲しくなってくるから。
「しょうがないわね。ちょっとだけね? あんまり濡らさないでね?」
あたしはそう言いながら、あのあわあわした気持ち悪いのを許しちゃう。でも、ごはんは好きなだけ食べさせてもらうんだから!
あわあわのせいで、もう体力も使い切って、おなかもペコペコ。
あたしはいつものご飯を入れるお皿の前に一筆書く。自慢の肉球でぺたんと。
要求が通じたのか、綾香は首をかしげた。
「あれれ、どうしたの? おねだり?」
そうよ、もっと欲しいの。いつものあの量じゃ足りないの。もっとおなか一杯食べたいの。
綾香は一度だけ困ったように微笑んだ。
てっきりごはんを増量してくれるんだと思ったのに。
「あんまり食べすぎもよくないからね。これで我慢してね」
言いながら、お皿に流し込んだあたしのご飯の量はいつもと同じ。
なによ! あたし、頑張ってお願いしたじゃない! じゃあ、どうすればいっぱい食べさせてくれるのよ!
自然と涙が零れてきた。
他のおうちの子はおなかいっぱい食べてるのに。あたしはちゃんといい子にしてるのに。なのに、なんでこんなに伝わらないの? なんでこんなにあたしの気持ちをわかってくれないの?
なんでこんなに、綾香は意地悪なの?
「ああっ、そんなに泣かないで! 私が天使ちゃんを苛めてるみたいじゃない。大丈夫だから、ね?」
優しく頭を撫でられても、あたしの涙は止まらない。
ああ、きっとあたしは悲しみでこのまま死んでしまうんだわ。
なんてかわいそうなあたし……。
「じゃあ、いつものご飯をあげてもいいんですね?」
「そうですね。前まではちょっとふくよかすぎましたからね」
私はホッと胸をなでおろす。
そしてすぐに診察台の上の天使ちゃんの方を見る。
ちょっと前までは不安定だったようなのに、今はすっかりご機嫌だ。
そりゃ、子猫なのに体重が以上に重かったら調子も悪くなるだろう。でも、頑張ってダイエットさせたから、もう安心。
私も、この子にはごはんもたくさんあげたかったし、何度もおやつをあげたい誘惑にかられた。でもそれじゃ、天使ちゃんが苦しむことになるから、心を鬼にして頑張った。
時には泣き出すこともあったけど、そのことをすっかり忘れているらしい。猫のこういうところが可愛いと思う。
天使ちゃんがこちらを見て甘える仕草をした。
何をしてほしいかなんて、私は言われなくともわかるのに。
「あのね、天使ちゃん? 君の伝えたいことなんて、わざわざ形にしなくてもちゃんと伝わってるんだよ。だって私は――」
あなたが何よりも大好きだから。
私の気持ちはあなたに伝わってるかな?
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