執筆応援企画SS集

GIFT CARD

 ブレンドにしようか、ブラックにしようか。
 僕は、かれこれ小一時間、自販機のサンプルをにらんでいる。
 どちらも、「コーヒー」という飲み物だ。ブレンドでもブラックでも、「コーヒー」であることに変わりはない。
 それでも僕は悩んでしまう。
「どっちにしようか……」
 缶コーヒーなんて高いものじゃない。喉の渇きを癒すための飲料に過ぎない。それに僕はコーヒー愛好家というわけでもない。
 なのにどうしてこんなに決められないのか。
 いっそ飲まないという選択を下せばいいのか。
 でも、そうするとなると、小一時間もここでこうして悩んでいたのは何だったのかという話になる。僕はただ時間を空費しただけになってしまう。それはなんだかもったいない話だ。
「どうしよう……」
 迷うことは今日に始まったことではない。
 僕は決めることが苦手だ。人に合わせるのは得意だけれど、自分で考えて決断を下すのが大の苦手だ。
 だから何事かを決める時にはいつも中立を貫く。
 しかし、そんな僕でも考えていては間に合わなくなる事態の時は別だった。緊急時にはあれやこれや考えすぎる僕の優柔不断な脳に代わって、単細胞で迷わない身体の方が勝手に反応してくれる。
 そして、今日がその、「考えていては間に合わなくなる事態」が起こった日だった。
「きゃあぁぁぁぁあ!」
 自販機の後ろ、僕の背後をおばあさんが歩いていたらしい。悲鳴が聞こえてようやくそのことに気づいた。
 反射的に振り返ると、今にもトラックがおばあさんに突っ込みそうになっていた。当のおばあさんはトラックに気づいても対処できないらしく、立ちすくんでいる。
「危ない!」
 僕は無我夢中でおばあさんを庇って道路を転がった。
 骨折とか、ケガとか、そういう可能性を素直な身体は考えない。年配の方は身体が弱っているから、些細なことでも致命傷になる。
 トラックの運転手の「気を付けろ!」という怒鳴り声が聞こえた。どうやら僕は無事らしい。
「ありがとうねぇ」
 ゆっくりしゃべる女性の声に振り返ると、おばあさんの顔があった。大事ないらしく、むしろ僕の方を心配そうに覗き込んでいる。
「勇気があるのね。感心だわ」
「ははは……当然のことをしたまでですよ」
 本当は足をちょっと捻ったらしいが、無理して笑顔を作る。心配させるのもよくない。
 それに気づいたのか、おばあさんの眼が一瞬光る。が、何事もなかったように微笑んで見せた。
「お礼をしなくちゃね。……はい、これで何かいいものでも手に入れなさいな」
 そう言っておばあさんはプラスティックのカードを寄越した。
「なんでしょう、これは――」
 カードの表面には「GIFT CARD」というアルファベットと、細かい文字で注意書きのようなものがかかれていた。再びおばあさんの方を見るといたずらっっぽく笑った。
「ギフトカード。あなたの欲しい才能がひとつだけ手に入るカードよ」
 そう言ったおばあさんが一瞬若い女性に見えたけど、きっと気のせいだろう。
「ど、どうも……」
 こんな時にどんな反応をすればいいのかよくわからないし、わかったとしてもまた考えすぎてしまってしゃべれなくなっていただろう。
 と、ここで何やらおかしなことを言われたことに気がついた。
「え、才能?」
 いきなり何なのだろう。これはどう見てもカードだ。電子マネーみたいな、そういう類のものだろう。
 才能?
 意味が測りかねておばあさんの方を見ると、すでに彼女の姿はなかった。
 なにか非現実的なことが起こったような気がしたけれども、お年寄りはたまに突飛なことを言い出すのかもしれない。
 僕は深く考えることもなく、GIFT CARDと書かれたカードをジャンバーのポケットにしまった。
 

「ただいま」
 家に帰ると、母はすでに帰宅していたようだ。
 狭い木造アパートの一室、ここが僕と母の親子ふたりの住居だ。築何年か見当もつかないくらい古いけれど、僕はそれなりにここが気に入っていた。住民は貧しいながらに親切だし、小さな庭では家庭菜園を楽しめる。何より家賃もリーズナブル。母子家庭は派手な生活なんて難しいから大いに助かっている。大家さんもいい人だし。
「おかえり」
 お玉を持ったままで母は僕を迎えてくれた。味噌汁の匂いがする。
「遅かったね。今日は何で悩んでたの?」
「あー、うん。コーヒーでちょっと……」
「またぁ? どうせ、ブレンドかブラックかどっちにしようとか、そういうしょうもないことで悩んでたんでしょ?」
 さすが母だ。具体的にどんな選択肢で迷っていたのかまで言い当てる。子供の頃からの迷い癖をよくわかっている。
「しょうもなくないよ。だってブレンドとブラックじゃ甘さが違う」
「どうせコーヒーが大好きってわけでもないんでしょ。だったらどっちでもいいじゃない」
「だから、それは……えっと」
 うまく説明できないが、違うんだ。
 いいあぐねてあたふたする僕はジャンバーを脱ぐタイミングを逸した。おかげで服についた泥は、バッチリ母に見られてしまった。
「って、なによその汚れは?」
「……前からこうだったよ?」
「嘘おっしゃい!」
 それまで穏やかだった母の表情が変わった。
 からかうようだった口ぶりは一気に心配症な母親のそれに変わっている。
「どうしたのよ! 何この汚れ! よく見たら足を引きずってるじゃない! 誰にやられたのよ!」
 僕が根っからの優柔不断なら、母は根っからの心配性だ。昔からそうだった。
「ねえ、お母さんが何とかしてあげるからいいなさい! 誰にやられたの?」
「誰って……」
 僕が優柔不断で大人しいからか、母は昔から過保護なのだ。いや、いつも母が僕を心配して先に決めてしまうから、僕が優柔不断になったのかもしれない。母のせいにするつもりはないけど。
 そんなことを考えながら、僕はジャンバーを脱いだ。ポケットから何かが落ちる。
「トラックに轢かれそうになったおばあさんを助けたんだ。きっとこれはその時のだよ」
 ポケットから落ちたのは、あのおばあさんがくれたカードだった。電球の灯りを反射して、カードの表面がきらりと光った。
「そう……ご年配の方に親切にするのはいいことよ。でもね、わたしはあんたが危ない目に遭ったかと思うと耐えられないのよ。ケガでもしたのかとか、最悪死んじゃったのかって思うと耐えられない。あんたにこの気持ちがわかる?」
「心配かけてごめんなさい」
 僕は素直に頭を下げる。
 その時、母が目ざとく僕が持っているカードを見つけた。素早く取って文面を見た。
「なにこれ? ギフトカード?」
「ああ、それは助けたおばあさんに渡されたんだ」
「ふうん……なになに、『これは何でも好きな才能をプレゼントするカードです。欲しいと思う才能を頭で思い浮かべると、その才能が手に入ります。ただし、カード一枚につきひとつだけとなっております。ご了承ください』……なにこれ?」
 母は胡散臭いものを見る目でカードの文面を読んでいる。次に、僕の方を見た。
「本当なの?」
「さあ?」
 僕に聞かれても困る。
 それでも母は「まあ、何でも才能が手に入るならもらえばいいじゃない」と、あっさり受け入れた。
「何でも才能が手に入るんでしょ? 何にするの?」
「いきなりそんなこと言われてもなぁ」
「やっぱり頭脳明晰とか、運動神経抜群とか、技能系もいいんじゃないかしら。芸術もいいかもね」
 半信半疑な割に、母の提案はやけに現実的だった。
 たしかに母子家庭としてはすぐに稼げるような才能があればありがたいけども。
 でも、才能ってそんな簡単にポンポン手に入るようなものなのだろうか。世の中の成功者と言われるような人たちは、昔から特定の分野で頑張ってきたんじゃないだろうか。だからその才能だって花開いたんじゃなかろうか。
「その分野のカリスマになれたらいいわね」
「……うん」
「まあ、ゆっくり考えなさいよ」
 最初こそ疑っていたのに、今や本気になっていないだろうか。
 こんなものはただのカード。きっと何の効力もないのに。
 なのに、僕は真剣に考え込んでいた。
 優秀な頭脳があれば有名大学に入って出世できるだろうし、運動神経がよければスポーツ選手として大成するだろう。専門分野に長けていれば高給取りになれるかもしれない。
 そうなれば、つつましい生活ともさよならできるだろう。
 夢を見ないわけがない。
 どの才能を選ぶのがベストだろうか。
 昔から何をやっても平均、突出したところのない、個性のない僕だ。才能という言葉には憧れがある。
 ただし、具体的にどんな才能が欲しいかなんてわからない。選べない。決められない。
 なにせ僕はコーヒーすら選べないのだから。
「欲しい才能がある」
 ようやく僕は自分に決定的に欠けている才能がわかった。
「なに?」
 僕に足りないものは、明晰な頭脳でもなければ、卓越した運動神経でもない。
 僕が一番手に入れるべきなのは――
「決められるようになりたい。自分で決定できる才能が欲しい」
 なにも選べないから、何になればいいのかもわからない。切実に欲するべきなのは決定する才能だ。
 僕は強く願った。
  


「うーん、砂糖入れようかな。それともブラックの方がいいかな?」
「どっちでもいいじゃないか。ここのコーヒーはおいしいんだから」
「でもぉ、砂糖入れないと苦いじゃない」
「だったら入れればいいんじゃない?」
「だけどぉ、ダイエット中なんだよね」
「……じゃあブラックにすれば?」
「けどぉ!」
 隣の席のカップルがそんな話をしていた。さっきからずっと堂々巡りだ。
 僕はその様子を眺めながら、かつての自分をだぶらせた。
 決められないということはこんなにも不便だ。
 誰だって迷うことはある。何でもかんでもすぐに決めてしまうのは長所でもあり短所でもある。熟考した方がいいことだってある。
 けれど、ずっと悩み続けるのも辛いことだというのを、僕は経験でよく知っている。
「ごちそうさま」
 あの時、この決定する才能を手に入れた僕はとても生きやすくなった。
 何も自分で決められないことをふがいなく思わなくていい。これは大きなプラス要素だ。
 母さんは残念がっていたけれど、僕自身は満足だ。自分で決めることがこれだけ楽だとは思わなかった。
 コーヒーカップにはブラックコーヒーがまだ残っている。
 ブレンドかブラックか、選ぶことができる今の自分が好きだ。
 誰もが憧れる才能よりも、僕は決める力があればいい。
 ずっと欲しかった才能を僕はずっと大事にしていきたいと思う。
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