執筆応援企画SS集
大嫌いだった姉とモヤモヤする俺
やられたらやり返す。それの何が悪い。
幼いころから、物心ついたころから、俺が考えていたのはそんなことだった。
よく言われていることは、先にやられたからってやり返して、それがいったいなんだという定型文がある。それじゃあいつまでたっても争いは終わらないのだと、善人ぶったやつらは言う。
そんな綺麗事は一度もひどい目にあったことがないから言えることだ。それだけそいつが恵まれた環境にいるってだけだ。
俺には姉がいる。ひとりいる。見た目は特筆するようなところはない。その辺にうようよいるような、いたって平凡な姉だ。
俺が大嫌いで許せないのはこの姉だ。
俺より年上で俺より先に我が家にいたこの姉は、当然の権利だとばかりにいつも俺で遊んでいた。いつも俺は姉におもちゃにされ、いつも幼い小さい赤ん坊扱いされ、いつも好き勝手に扱われてきた。
「小さい」
「かわいい」
「なんにもできないのがかっわいい!」
姉の口癖はこれだった。
俺は何をしても姉に「カワイイ」と言われ、未熟な赤ん坊扱いされ、時にはままごとの赤ん坊役を強いられた。
自我が芽生えるころにははっきりと嫌だという意思も芽生えたわけだが、当然のごとく姉には無視された。
「赤ちゃんはしゃべらない」
怖い眼でそんなことを言われ、幼い少年にいったい何ができるだろう。
いつしか俺は大人になって、必ずこの姉に俺はあんたのおもちゃじゃないと思い知らせてやる。必ずだ、絶対許さない、逆に俺の方がカワイイとおちょくってやる。そう心に決めた。
大きくなれば身長だって伸びるし、体力も俺の方が上になる。その日まで耐えるのだと自分に言い聞かせた。
そのまま月日は巡り、俺は中学生になった。
姉は高校を卒業して、アルバイトをこなすようになっていた。なぜかうちの両親は、俺は進学させるくせに姉には高卒で我慢してもらうという露骨な差をつけた。俺にはなぜなのかよくわからなかったが、そういうものなのだろうと自分を納得させた。姉も特に文句を言うわけでもなく、毎日バイト先のケーキ屋と自宅を往復する生活を送っていた。
そろそろやり返してもいいかもしれない。俺はあの頃の倍といっても大げさではないほど背も伸びたし、バスケ部に所属してからは毎日のトレーニングで筋力もついた。今ならばあの頃どうしても勝てなかった姉も怖くはない。
怖くはないはずなのに……。
なぜか俺はあの頃あれだけ悔しかった気持ちを思い出せなくなっていた。毎日のようにおちょくられて、自分にできることといえば頭の中で姉の泣き顔を想像することだけだった。今ならばそれはたやすく現実にできるはずなのに、なのに実行する気は綺麗に失せていた。
おかしい。こんなはずはなかったのに。
なぜ自分がこんな気持ちになるのかと考えるようになった。朝から晩まで。友達になんて到底言えなかった。
自分一人で鬱屈とした思いを抱えていたある日。姉と両親が激しく口論しているのが聞こえた。
「なんてことなの!」
「本気なのか!」
母の涙交じりの声、父の怒声。それに反論する姉の激しい声。
こんなことは初めてだった。我が家はいつも平穏で平和な一般家庭だったはずなのに。まるでどこかのドラマのよう。
「なんの話だよ?」
気になって、俺はその場に入った。一番最初に目に入ったのは、涙で頬がぐじゃぐじゃになっている姉の顔だった。いつも底抜けに明るかった能天気な姉の顔はそこにはなかった。
あれだけ見て見たかった姉の泣き顔なのに、実際に見ると胸がざわざわした。落ち着かない。
「ちょっと聞いてちょうだい! この子ったらもう結婚するんだって聞かないのよ」
「私は認めんぞ」
よくある修羅場なのかもしれないが、なぜ寄りにもよって我が家でこんなことに。姉は必至で食い下がっているが、両親は聞く耳持たない。
「どうせ私は進学もできないんだから。結婚するのが一番いいことじゃない」
「だからってこんなに早く……」
「相応しい時期というものがあるだろうが!」
「もう決めたのよ!」
親子の口論は収まるどころか、勢いを増していく。最初こそある程度冷静だったはずなのに、今ではただの罵り合いになっている。
なんだこれは?
本当にこれは平和だけが特徴のうちの光景だろうか?
「お父さんもお母さんも私なんて期待してないくせに!」
姉のこの一言で俺ははっとした。
うちの両親は考えが古い。男女同権のこの時代に女子に教育はいらないとか真顔で言っている。だからきっと姉も反抗的になるのだろう。
「……姉ちゃんさ」
「なによ?」
俺が姉に声をかけると、俺すら敵とみなすように姉はにらみつけてきた。
「本当にその相手が好きなんだよな?」
「……そうよ」
「親に反発して、衝動的に、ってわけじゃないんだよな?」
「当たり前じゃない。何言ってるのよ」
「じゃあなんでわざわざ親に見せつけるようなことするわけ? ホントに好きなら駆け落ちでもできるじゃん」
「そんなこと――」
できるわけがない。きっとそう続けたかったのだろう。
だが実際はそんなことにはならず。
しばらくして、姉は靄が晴れたようにさわやかな顔をした。
「そうよね、そうすればよかったんだわ!」
考えもしなかったとばかりに晴れ晴れとした表情を浮かべて、姉は言った。
「別に認めてもらわなくてもいいんじゃない! 結婚なんて自分の問題なんだから」
「だろ?」
ここで両親は慌てているようだったが、いまさらの話。
姉は素早く身支度を整えて風のように出ていった。
その間中両親はポカーンとしている。何が何やらわからないらしい。
「あんたも案外頼もしいじゃない」
「へへ、伊達に姉ちゃんの弟ってわけじゃないしな」
子供の頃からなめられっぱなしだった姉に褒められるのはなんだか面はゆい。けど、決して不快ではなかった。ようやく俺は敵わなかった姉に追いつき、手助けするようにまでなったんだ。
もう俺は姉の助けが必要なか弱い弟じゃない。
俺はバタバタと玄関を出ていく姉を見送った。それこそ、小さくなっていく背中が完全に見えなくなるまで。
「幸せになれよ、姉ちゃん……」
やっと復讐を果たしたはずなのに、なぜか俺は泣けてきた。
「……あれ?」
これはいったい何の涙なんだろう。別に俺は姉ちゃんのことなんて好きじゃないし、むしろ嫌いだし。いなくなって清々するし……
自分に対して何を言いわけしているのか。わけがわからないまま、俺はしばらく涙が止まらなかった。
残ったのは胸にぽっかりと穴が開いたような空虚な気持ちと、同時にどこか温かな不思議な気持ちだけ。俺の復讐はこうして終わった。
数年後に姉が赤ん坊を抱いてうちに遊びに来た時には、その「復讐」という言葉は綺麗さっぱりどこかへといっていたのだが、それはまだ先の話。
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