執筆応援企画SS集

ベストなハニーは過去から探せ!

「いい加減、結婚したら?」


 朝。カーテンを開けて陽の光が入ってくると同時に、俺の耳に母さんの声が届く。
 毎日、365日、全く変わることのないこの台詞が。
「いい加減、結婚したら? まったく。いい年して、なんで結婚しないのよ? 彼女なら前に紹介してくれたじゃない」
「……プロポーズしようとしたけどさ。その前に嫌になったんだよ。誰も彼も結婚結婚ってそればっか。頭の中恋愛のことしかないのかよ」
 ついついぐだぐだと愚痴ってしまった。お互い相手がいないからとなあなあで付き合っていた相手にいい人ができてフラれたと、真実を言うのがためらわれて、つい強気な嘘をついてしまう。
「あんたもあたしらに似て顔は悪くないのにねぇ。なんでダメなのかしら?」
「だから! フラれたんじゃなくて、俺からフッたの!」
 俺は慌てて否定するけど、さすがは母親。ホントのところをちゃんとわかってる。言い訳するのも何かに負けたようで悔しいから、小賢しい嘘に逃げる。
 だがそんなせめてもの虚勢も、母さんには通じない。
「あんた彼女ができるたびにその繰り返しじゃない。ずっとぶらぶらしてるわけにもいかないでしょ」
「あーもう……朝からうるさいな」
 いい加減、起床直後からこんな不毛なやり取りは疲れる。
 そこへ父さんがバタバタと騒がしくやってくる。
「母さん母さん! 今朝の新聞は?」
「そのくらい自分で取ってくればいいでしょ」
「ご近所さんと顔を合わせたくないし……」
「何でもかんでもあたし任せにして……なんでうちの男どもはこうなのかしら!」
 どうやら母さんは攻撃の矛先を父さんの方に向けたらしい。両親はそのまま連れ立って階段を下りていく。
 よかった、これで俺は開放されたわけか。
「あ、言い忘れてた」
 ホッと胸をなでおろしたと同時に、母さんがこちらを振り返った。
「あのね、母さんたちもこのまま若いままではいられないのよ。本音を言えば、孫が見たいの」
「……」
 出た、孫。
 まだ二十代後半。いや、もう二十代後半。
 自分ではまだまだ若いつもりでいたけど、客観的に見ればもう俺も立派なおっさんだ。
 そんな俺を心配したのか、母さんはついに行動を起こした。
「だからあたし、結婚相談所に申し込んでおいたのよ」
「……は?」
 今、なんて言った?
「だ、か、ら、結婚相談所よ。評判がすごくいいのよ。有名人も登録してるらしいわ。そこで出会った人たちはみんな幸せになってるらしいし。あんたもいい人見つかるでしょ?」
「なんでそんな急に!」
 本人に了解もなしに申し込むとかそんなの無効だろ。そもそも、結婚相談所なんて高いだけで、ろくなのがいないだろ。偏見だけど。
「それがね、ご近所の良一君もそこで出会った女の子とラブラブだって! 入会費も高かったのよ? お母さんが立て替えといてあげたからね!」
「……」
 あまりの急展開に声も出ない。っていうか、本人にその気もないのに勝手に申し込むなよ。
「上手く結婚できたら、入会費はあたしらで負担してあげるから」
 なんで父さんはこんな強引なのと結婚したんだか。若作りな見た目は今では立派なおばさんじゃないか。好きな女の容姿が劣化していくのを見ていて辛くないのか。
 しかし、そこまで言われては行ってみないわけにはいかない。結婚に積極的になるつもりはないが、女性に興味がないわけでもないし。
 うまく可愛い子と出会って、楽しい付き合いでもできるようになればまあ、いいんじゃないか。
 俺はあえて楽観的に考えつつ、スマホの道案内アプリを頼みに結婚相談所に向かった。



「最初に申し上げておきます。うちの相談所では一般的なシステムは一切ありません」
 予想よりも立派なたたずまいの建物に、俺はおずおずと近づいた。勇気を出して入った後で説明された一言目がこれだ。
「は、はあ……」
 こういうところは初めてだし、一般的なシステムといわれても皆目見当がつかない。
 右も左もわからない俺の事情などお構いなしに、相談員の男は淡々としゃべる。
「では、さっそくはじめましょうか」
「え、なにを?」
「ですから、婚活ですよ。そのためにいらっしゃったんでしょ?」
「それはそうですが――」
 やけに展開が早くないか。それとも、結婚相談所というのはどこもこうなのか。
「じゃあ、これを腕につけてください」
「腕時計?」
「腕時計型タイムトラベル装置です」
「……たいむとらべる?」
 婚活とは一ミリも関係のない単語が出たので、思わずおうむ返しにしていた。は? ここは結婚相談所だよな? 遊園地じゃないよな?
 目の前の相談員はまるで憐れむように俺を見た。
「え? もしかしてタイムトラベルをご存じない?」
「いやいやいや、それは知ってますって! そうじゃなくて! なんで婚活でそんな単語が出てくるのかを聞きたいんですってば!」
 聞き間違いかと思ったのに、やっぱり間違いじゃなかった。
 婚活にタイムトラベルってどういうこと?
「当社のホームページをご覧になってませんか? では一からご説明いたしますね」
「お願いします」
 相談員は一度コホンと咳払いした後、お茶を一口飲んで話し始めた。
「まず、現在は婚活には不利な時代です。魅力的な独身男女は絶滅危惧種です」
「じゃあなんで結婚相談所を――」
「ですが、売れ残りにも人権がありますからね。このままでは少子高齢化は止まりまらないですしね」
 俺の言葉を遮って、さらに目の前の男は説明を続けた。
「では、どこから生涯の伴侶を調た――見つけるか。過去でしょ!」
「今、『調達』って言いかけたでしょ? っていうかそれ大丈夫なんですか?」
 こいつはいったいどんなノリなんだ。
「まあ、そういうわけです。未来は未確定なのでパートナー探しには不向きですので、当社では過去から伴侶を見つけていただくことにしたんです。現代人から見ればバブル時代の女性なんて生き生きしていて頼もしいでしょうしね」
「そういうもの?」
 タイムトラベルの技術がいつの間に確立されたのかとか、そういう大きいけど些細なことは置いといて。
 たしかにそれも一理あるかもしれない。
 昔はよかったと年配者は言うが、俺たちの世代は就職難やら少子高齢化、超高齢化社会と暗いニュースばかり。そんな中に同世代が夫婦になっても重くなるだけかもしれない。
「……」
 ここで俺は両親のことを考えた。あんなめんどくさがっても別れずに一緒にいるしかない。
 俺はそんなのはご免だ!
「タイムトラベルします」
 深く考えるまでもなく、俺はタイムトラベル装置を受け取って、ためらうことなくボタンを押した。



 なんの音かはわからないが、やけに賑々しい音が耳に届いた。まだ発展の余地のある大通りをレトロなデザインのアメリカ車が走っていく。
 俺は馴染みのない街並みの中にポツンとたたずんでいた。しかし、注意深くあたりを見回してみれば、どこかで見たようなものもいくつかあった。
 あの赤いものはきっと東京タワーだし、現在よりは多くはないもののビルも立ち並んでいる。アスファルトで塗装された道路を颯爽と歩く女性たちが来ているのはボディコンというやつだろう。スーツを着ている人たちは妙に肩幅が立派に見える。
 どうやらこの装置というのは本物らしい。
「……ここが」
 目の前に広がる風景ここがは過去の東京である証拠だろう。本当にいつの間にタイムトラベルの技術なんて開発されたのか。新聞は読んでいるのに知らなかった。
 と、そんなことは今は置いておこう。
 あの相談員曰く、過去にいられる時間は二時間しかないらしいから。
 かといって、たったの二時間でどうしろというのだろう。出会うだけですぐに二時間たってしまう。
 どうしようかと考えあぐねていると、上京してきたと勘違いされたのか、若い女性がひとり近づいてきた。
「どうかしたんですか?」
「えっ……あ、はい。まあそんなところです」
 相手は紺のスーツを着た二十歳前後に見える女性だった。女性、というか、まだ女の子といっても問題ない。艶々の髪をショートボブにしている。この髪型はテレビでみたことがある。心配そうにこちらを見る顔はあどけなさと上品さがある。育ちのいいお嬢さんという感じだ。
「迷ったんですか? このあたりって入り組んでますからね。わたしもよく迷子になるんですよ」
「そうなんですか」
「どちらに行こうとされてたんですか?」
「え? えと、ちょっと散歩していて……本当にこのあたりって入り組んでますね」
「ええ」
「ははは……」
 しまった。話が続かない。どうしようか。このままここにいても時間が足りなくなるだけだし。
 それに、見ず知らずの相手に時間を取らせるのも申し訳ない。
 それとも、婚活なんだからと強引に言い寄ろうか? 相手のことなんて全く知らないのに。
 でも、好みの容姿なんだよな。
 なんていう俺の心の声を知ってか知らずか、彼女は心配そうにこちらを見上げる。
「お困りでしたら、ご案内しましょうか?」
「いいんですか?」
「ええ。わたしも以前助けていただいたことがあって。見知らぬ男性だったんですけど。今度はわたしの番なんじゃないかなって思うんです」
 いい子じゃないか。
 アイドル並みに可愛いわけじゃないし、今の子みたいに華奢でスリムって感じでもないけど、でも清潔感がある。化粧も濃くないし。髪はサラサラで艶々。
 結婚するならこんな子がいい。
 っていうか、この子と結婚しよう! 決めた! こういう展開こそ、あの結婚相談所としては願ったりかなったりなんじゃないか?
 俺が理想の子を見つけて満足していると、腕時計型タイムトラベル装置のアラームの音がした。
『ああ、すみませんね。取り込んでいたもので……』
「ああ、平気ですよ。ちゃんと決めましたから」
『あー、そのことなんですが』
 通信の向こうで言いづらそうに男の声がこもる。
「なんでしょう?」
『その方はダメです。ええ、他の誰でもいいんですが、その方だけはいけません』
「なぜです? 好みのタイプなんですよ? 実際、俺たちいい感じですし――」
 出会って一時間くらいで、俺はこの人と決めていた。相手の都合を考えなくていいのならばこれほど都合のいい婚活もないのではないか。
 が、そんな俺の呑気な考えは次の一言であっさり打ち砕かれた。
『そりゃそうでしょうよ。その方はあなたのお母さまなんですから』
「…………は?」
 ベンチに腰掛けた可憐な彼女は、キョトンとこちらを覗き込んでいる。その小動物のようなしぐさは愛らしい。
 その中に言われてみればたしかに、母さんの面影を見た。




「ただいま……」
 俺はもう、何も言う気力はなかったが、挨拶くらいは言わなくてはと言葉を絞り出した。
「おかえり〜どうだった? いい感じだった?」
 何も知らない母さんは無邪気に笑いかけてきた。
 あの可愛い子が今やこうなってしまうんだよなぁ……。
 そんな残酷な事実にやるせなくなる。
「あの、さ」
「なあに?」
「母さんは父さんと結婚してよかったと思ってる?」
 俺の質問に、母さんはキョトンとした。その表情はあのベンチに腰掛けていた少女の面影を残している。
「急に何言ってるのよ」
 母さんはそれから間髪入れず答えた。
「当たり前でしょ!」
 きっぱりと。
 そうか。母さんはちゃんと幸せになれる相手と結婚したんだ。やっぱり俺が素敵だと思ったあの子は本当に素晴らしい人だったんだ。
「ただいま」
 そのに父さんが帰ってきた。酔っぱらった声だから、きっとどこかで引っ掛けてきたのだろう。
 いつもならば部屋にいて父の帰宅など見る機会はないが、両親は息子の前だというのに抱き合った。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま、母さん」
 いつもは全く注意を払わなかった、両親の見つめあう瞬間を見た。その顔はどちらもきらきらと輝いている。お互いのことが大切で大好きなのだと信じて疑わない表情。
 母さんの輝く笑顔を見て、この人は選択を間違えなかったのだと確信した。
 ちゃんと幸せになった、幸せをつかんだ両親を見て、俺もまた頑張ろうと思った。
 一生懸命探せば運命の人はきっと見つかるから。


 そう思って翌日向かったあの結婚相談所は、跡形もなく消えていた。
 まるで都合のいい出会いなどないと俺にはっきり告げるかのように。
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