モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー

エピソード:60

 私はちゃんと、変われたのだろうか。
 私はちゃんと、自分で立てるようになったのだろうか。

「雪子さん、変わりましたね」

 ようやく再びやって来たこの機会。願いを叶えてもらえるという話。
 去年にも、私は似たようなことを願っていた。だがあの時には私の願いは叶うことはなかった。チョコからは去年も同じような説明を受けた上で、私は願った。「理想の自分になりたい」と。しかしそれは叶わなかったのだ。精神に干渉することだからだろうか。それとも本来の自分という存在に干渉するからだろうか。抽象的な言い方すぎて未だにこの辺りのことはよくわかっていないけれど。

 幸か不幸か私は留年が決まり、2年生をもう一度やり直すことになった。原因は出席日数が足りないから。高確率で遅刻をしてしまうから。
 それまで同じクラスで同じ授業を受けていたクラスメイトを「先輩」と呼ぶことには若干の違和感があったのだが、立花をはじめとする今のクラスメイトからすれば私はどう接していいか判断に迷うだろうと思う。名前を呼び捨てる子でさえ、私のことは「雪子『さん』」と呼ぶ。言葉にするのが難しいけれど、どう扱っていいかわからない、腫れ物に触れるような扱い。2年生の教室に足を踏み入れるたびに密かに感じる「自分は異物なのだ」という感覚は、嫌でも昔のことを思い出させた。


 幼い頃から私はダメな子だった。
 臆病で人の目ばかり気にして、傷つきやすくて。自分がやりたいことがあってもまず人がどう思うかということばかり気にしてしまって、結局何もできなかった。幼い頃は特に、みんな相手に気を配るより自分のやりたいことを主張し、相手を押しのけてでも自分を通したがる。まだ協調性なんてない。それはこれから身に着けていくことだという時点から私は主張が出来なかった。「これを言ったら相手はどう思うだろうか」「そのぬいぐるみを貸してと言ったら相手は悲しむんじゃないか」、声に出す前や行動に移す前にまずそんな考えが浮かんでしまって、私は我を通せずにいた。
 幸い家族はそんな私を「優しい子」だと言って認めてくれたし、そんな私を好きだと言ってくれた。お兄ちゃんは家の外にいる時に何かと助けてくれたし、今でも外出に誘ってくれるし車も出してくれる。優しい家族にはずっと感謝している。
 できればずっとこのままでいられたらいいのに。
 けれどそれは叶わない。私の幼稚な望みでしかない。
 どれだけ好きでも愛していても、自分の力で立たなければならない時はやってくる。自分のことを自分でできるようにならなければならないし、心無い人と関わることは必ずあるだろう。仕事をしてお金を稼いで、自分で家事をこなして、各種手続きも自分でこなす。私にできるだろうか。極度に内気で、相手に大声を出されただけで何も言えなくなるような私に。……とでもではないができるとは思えない。
 このままの、ありのままの自分ではダメだ。子どもの頃からなにも変わっていない無力な私のままじゃダメなんだ。
 ちゃんと一人でも生きて行けるようにならなくちゃ。
 まずは自分でなにかをやり遂げよう。「私ひとりでもちゃんとできるんだ」という実績を積んで自信を手に入れるんだ。
 そして私は美妃さんに頼み込んだ。


 放課後の特別教室、そこはしんと静まり返った静かな部屋だった。とても東京の一角だとは思えない。
 静まり返った畳が敷かれたその場所で、私は手先に神経を集中させていた。そっと、力を入れすぎないように。目の前の針にそっと置くようにと意識していてもなかなか刺さらない。段々イライラして来てつい力を入れすぎた。
 しまった。……そう思ったときには既に手遅れ。
「あ……っ」
 私の手の中の竜胆は茎の切り口がぐちゃぐちゃになってしまった。
「雪子さん」
 焦る私に美妃さんが声をかけた。
「いかがですか?」
「あ、」
 どうしよう。
 せっかく美妃さんが快く受け入れてくれたのに。
「我が華道部は?」
 美妃さんは生徒会長だけでなく、他にも複数の文化部に所属していて、その上部長も務めている。ずっと帰宅部だった私からすれば部活を掛け持ちしているだけでもすごいのに、部長までこなす美妃さんは身体が丈夫でないだけで十分アグレッシブな人だ。本人は「部長と言っても文化部はそこまで大変でもないんですよ」と平然としているけれど。
 その美妃さんが「新しく始めたいのなら華道部に見学に来ないか」と言ってくれたのだ。
 なのに私は。
「部活の雰囲気は……好きです。静かで、みんな優しくて」
 さすが美妃さんがまとめているだけあって、部員はみんな優しいし、未経験者の私にあれこれ教えてくれた。すごく雰囲気のいいところだ。
「でも」
「?」
 私の言葉に美妃さんは小首をかしげる。
「全然うまくできなくて。私には向いていないんです」
 傍から見ている分には華道も茶道もそこまで難しそうには見えなかった。ただ道具でお茶をたてたり花を針山に刺すだけ。体育会系と違って未経験者でもそこまで難しくないだろうと。
 なのに、その「そこまで難しくないこと」すら私は上手くできない。
「ぜっかく美妃さんが誘ってくれたのに。私には……ムリ」
 こんなことすらできないなんて。
 俯く私に、美妃さんは言った。
「当たり前ですよ」
 ハッとして顔を上げる。
「最初から巧くできるはずがないんです。むしろ最初から上手だったら、我々部員の立つ瀬がない」
 本気で面白い話を聞いたときのように、冗談を言われた時のように、美妃さんは笑った。
「それでもこれはひどい。上手くできるコツとかありませんか」
「あらあら」
 誰でも最初は初心者だけど。私のこれはさすがにひどすぎるんじゃ。
「それさえあれば」
 私だって上手くできる。
「ありませんし、知っていても教えません」
「!」
 美妃さんとは思えない厳しい言葉だった。
 けど、続きがあるようで。美妃さんは続ける。
「華道とは名の通り、『道』なんです」
 いまいちピンとこなくて私は美妃さんをじっと見つめた。
「結局近道なんてないのです。見た目がよければそれでいい、などということはありません。そこに至る過程……道が大切なんです」
 私は黙って美妃さんの話を聴いている。
「華道だけではなく、茶道も武道も……どれも道。大切なのは結果ではなく過程なのです」
 つい聞き入ってしまう。美妃さんの声は不思議と心に染み入るのはなぜだろうか。
「自分自身と真摯に向き合って、見出し掴むもの。それが求道者です」
「……」
「ですからわたくしは近道をお教えしません」
 納得した。わかっていたけれど、美妃さんは意地悪でああ言ったわけではなかったのだ。
「けれど、雪子さんが真剣に華道に興味があるのなら。わたくしはいくらでも助力いたしますよ」
 そう言って、美妃さんは微笑んだ。
 最初から彼女は私を見てくれていた。私のことなんて眼中にないだろうと思っていた去年の時点から私のことを知っていて、生徒会に入らないかと声をかけてくれたのも美妃さんだった。
 私にも、ちゃんと見てくれる人がいたんだ。
 それは家族であり、美妃さんであり、生徒会のみんなであり、ひょっとしたら私も認識していないクラスメイトや道行く人かもしれない。
 そう考えると、私はみんなに生かされてきたのだと思える。
 人に合わせられないことが辛くて苦しかった。けれどその一方で、助けてくれる人がいたからこそ私でもここまでやってこれたのだ。
 なんにもできないと自分のことを嫌っていた時には決してこんな考えにはならなかった。これが大人になるということなのだろうか。

「変わりましたね、雪子さん」
 美妃さんのその言葉が何よりの証明ではないか。
 私は口角が上がるのを感じていた。
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