モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー
エピソード:58
目の前で繰り広げられる見慣れた光景。ああ、この2人は出会ったときからこんな感じだったっけな。
「あんたいっつも立花サマを独り占めして! わたくし後輩なのよ!?」
「俺は弟だ!」
あたしは頭を抱えながら目の前の冬也と希幸のケンカを眺めていた。
「悔しかったらあんたも家族になってみろよ!」
やっぱりこうなっちゃうか……。
あたしはため息をつきつつ、こうなってしまったらなかなか止まらないので落ち着くまで放置しておこうかと半ば諦めた。
そう思ったと同時に勢いよく病室のドアが開いて看護師さんの鋭い大声が響く。
「静かにしてください!」
相当うるさかったのだろう。いつも温厚な顔見知りの看護師さんがここまで厳しい反応をするのは滅多に見ない。
「あっ……ごめんなさい」
ようやくケンカをやめて2人は素直に詫びる。
こんな時だけ息ぴったり。意外と相性は悪くないんじゃないかと思う。
「とりあえず、ウチ行こ? ここにいても邪魔だし」
いつまでも病室にいるからケンカになるのだきっと。病院側も次の患者のための準備もあるだろうし。
「冬也も久々に家出のんびりしたいでしょ」
「……うん」
心なしか嬉しそうな冬也の顔はようやく入院生活から解放されるという喜びが滲み出ている。よかった。元気そうで。
あたしも嬉しくなって、つい必要以上に世話を焼きたくなってしまう。
「荷物これだけ?」
「あっ! それくらい自分で持つから……」
「いーよいーよ。病み上がりなんだから。無理しないの!」
退院といっても体が弱いことは変わってないんだから。ここはお姉さんに任せなさい。
「さすがにそこまで貧弱じゃ……ないんだけど」
複雑な表情を浮かべる冬也をよそに、あたしは少ない荷物を手に取った。男の子ということもあるんだろうけど、入院時に家から持ち込む荷物も本当に必要最低限しかない。その入院慣れしていることに密かに悲しくなる。
「立花サマお優しい! わたくしもお手伝いしますぅ!」
希幸がにこにこしながら手伝いを申し出てくれた。冬也のことは嫌ってるはずなのに希幸も優しいところがある。やっぱり実はそこまで嫌ってないんじゃないの?
「じゃあ軽いのお願い」
書類や小物が入ったカバンを希幸に渡す。あたしが他のと一緒に持てるけど、せっかくの好意を無下にするのも忍びないし。
希幸はちらりと冬也の方を見たけれどどんな顔をしたのかは見えなかった。あたしには希幸が何を考えてついてきたのかよくわからない。
「でさ、隣の部屋の大西さんがいろんな話をしてくれて」
「ああ……あの独特の雰囲気の男の人でしょ?」
「そうそう。なぜか身近で事件が起こるらしくて。特に火事の現場に出くわすことが多いらしくて。そのたびに通報してたら顔見知りになったんだって」
「へーそんなことが」
「うん」
「近寄りがたい感じだけどお隣さんいい人だね」
「でしょ」
冬也と直接会って話すのは久々だ。この子が帰ってくるのが嬉しくて、他愛のない話でももっと聞きたくなってしまう。
悩むことや大変なことも多いし、一人っ子だったら楽だったのにとふと思うことも多い。でももし本当に親の再婚がなかったらこんな風に話もできなかった。
「希幸? どうかした?」
「え……いえ。なんでも……」
そんなあたしをよそに希幸はずっと浮かない顔をしている。本当に今日の希幸はどうしたんだろう。ヘンだ。
「悩みがあるなら相談しなよ?」
時間がたつほどどうにもならなくなることってあるんだから。
「取り返しがつかなくなる前に」
「!」
なんともいえない表情を浮かべた希幸に念を押す。
「わかった?」
「そう……します」
あたしは希幸に対して同性愛的な感情は抱いていない。でも、可愛い後輩とは思っているし、困っているなら助けたいとも思っている。
だから、何か困っているならすぐ言って欲しい。
そのまましばらく歩くと見慣れた我が家が見えてきた。
そこそこの築年数を誇るアパート。引っ越してからだいぶ経つし、狭い部屋にも慣れた。お母さんが存命の頃は持ち家だったのだが、再婚して家計が苦しくなったので引っ越したわけだ。主に冬也の治療費という事実を冬也は幼いながらも気にしているらしく、この子がワガママを言ったことはない。
そんな我慢強い冬也が希幸に対してだけは素が出るのか、ことあるごとにケンカになるのだ。年相応? だとこうなるのか。
姉としては頻繁にケンカをされても困るのだが、一方で本音を吐き出せているのかと安心することもある。複雑だけど。
「飲み物持ってくるね」
ちゃぶ台を囲んで座る2人に飲み物を持ってこようとあたしは席を立つ。コップに麦茶を注ぐ間でも背後からトゲトゲした雰囲気だけは伝わってくる。ほんとこの子たちは……。
「2人ともお茶で良かった?」
そのくせあたしが戻ってくると。
「ハイ、もちろん!
「ちょうどお茶飲みたかったんだ!」
即座にいい子な返事をする。たまに驚くほど似ていると感じるんだよなあこの2人。
あ、お茶だけっていうのもまずいかな。お茶請けになりそうなものあったっけ……。
「あ、お茶請けのスイーツありますよ」
内心を見抜いたように希幸が鞄を探り出す。
「あたし糖分は……」
真っ先に出てきたのがこれか。我ながらハッとしているあたしに気づくことなく、希幸はテーブルにお菓子を載せた。
「ご心配なく!」
希幸のスイーツなら確実に美味しいだろうし管理も問題ないだろう。趣味なだけあってそのあたりは抜かりないのが希幸だ。
「砂糖不使用のお芋チップス。生徒会のお茶請けにしようと思ってたんですけど」
生徒会でも希幸のスイーツは頻繁に提供される。もちろん管理が比較的容易なやつを。そしてその手のお菓子は糖分がなかなかヘビーなのだ。
なのに今日に限って珍しい自然派お芋チップスとは。最初からあたし向けに作ったのかとすら思ってしまう。
「食物繊維も多めですよ!」
「さすが希幸だね。まだSNSに上げてるの?」
前々から希幸は趣味で作ったスイーツをネットに上げていて、いつもいいねの数も多い。見た目がすごくオシャレで可愛くて、実際に食べても美味しい。あたしはご飯類しか作らないからお菓子に関してはわからないけれど、本格的な調味料なども多用してるようだ。
「最近だと七夕をイメージしたゼリーを」
希幸がスマホを見せてくれた。
そこに写っていたのは、涼し気なガラス容器に入った透き通るような青いゼリー。内部に果物とアラザンのようなキラキラした光る何かが入っている。
「オシャレでおいしそうだね。希幸パティスール目指してるの?」
ここまで本格的なものが作れるのなら十分プロとしてやっていけると思う。なにより本人が好きで技術もあるなら適正は確実にあるだろう。
「それもありかもですね」
希幸は嬉しそうに笑う。
「でもとりあえず進学かなって」
当然のように希幸は言った。
「……そっか」
とりあえずこれしか返せない。
「……」
隣にいる冬也は黙り込んでいる。
なんということもない、進路の雑談。高校生にもなればごくありふれた話題だ。
だから、この話になるたびなんともいえないモヤモヤした気分になるあたしの方がきっとおかしいのだ。
そんなモヤモヤした気分になって次にどうしたものかと思っていたら、タイミングのいいことにチャイムの音が響いた。
「お客さんだ……二人でお喋りでもしてて」
これ幸いと、すかさず玄関に向かう。
来客の用件はただ回覧板を回しに来ただけですぐに帰って行った。慌てて損したと思いつつ、これはこれで落ち着く時間がとれたから助かった。
冬也と希幸を2人だけにしておいていいものかと少し迷ったけれど、内心ほっとしていた。
「……なにやってるんだろあたし」
もう諦めはついていたじゃないか。
あたしに進学の選択肢なんて初めからなかったって。高校卒業したら就職するって。
大学に行くためのお金なんて我が家にはないし、受験のための予備校も家庭教師ももちろん無理。奨学金だって借りることはできたとしても就職して返済しながら冬也の治療費も家に入れるなんてできないし、それと同時に自分の生活費を稼ぐ生活になる。なら進学は身の丈に合わない贅沢だ、
『でもとりあえず進学かなって』
希幸の言葉が蘇る。世の中の高校生全員が当たり前に大学まで進学できると一切疑わず信じられるから言えることだ。自分の当たり前が社会の常識だと無邪気に信じているから出てくる言葉だ。
羨ましい。あたしも本来ならそう思っている側だったのに。お母さんを亡くしても再婚さえしなければ。もっといえば病弱な弟と家族にならなければ、元々あった貯金を切り崩すことなく問題なく進学できたのに。
……考えれば考えるほど、身内にケアの必要な子がいる苦しさがのしかかってくる。この子さえいなければあたしは普通でいられたのに。そんな考えが押し寄せてくる。具体的にどんな治療をしているのかはよくわからないけれど、問題なく日常生活を送れるようにするためには非常に高額な手術代がかかるし、今やっている症状を抑えるための投薬治療の他にも突然体調を崩すことも頻繁にある。そのたびに入院し、やっぱり相応のお金。この繰り返して我が家に元々あったあたしの学費はガックリ減り、今は残っていない。
父さんは「依子さんと結婚した以上、冬也君も俺の息子なんだから」と依子さんにばかりいい顔をする。あたしには「ごめんな」などと一言で済ませるのに。我が子は身内だから甘えてもいいと思っているのだろうか。当の依子さんも父さんのことを好きなようには見えない。父さんがあまりにもしつこいから根負けして結婚してあげただけで別に好きじゃない、という雰囲気しか感じない。冬也は申し訳なさそうに委縮しているし。この再婚で幸せになったのは父さんだけじゃないだろうか。自分の父親がまさかここまで自分の幸せしか考えていないとは思わなった。自分さえ自由に好きに生きられたらそれでいいのだろうか。
それでも、今や冬也はあたしにとってはかけがえのない存在になっていた。
高額な治療費のために両親は家にいる時間がほとんどなく、依子さんは父さんに内緒で昼の会社勤めの他に数時間だけ夜のお店で稼いでいた。幸いと言ってはなんだけど父さんは家族のために頑張るとか言って仕事量を増やして帰宅すること自体少なくなっていた。あたしと冬也は小学生の頃から2人きりで自分の生活のことは自分たちだけでこなしてきた。特に食事は一緒に作って感想を言い合っていた。そんな一蓮托生にも似た状況の中であたしもこの血のつながらない弟が大事な存在だと思えていたのだ。
血のつながりなんてなくても、あたしたちは家族なんだ。
「――って」
ここであたしはようやく我に返った。
ゆっくり浸り過ぎだ。落ち着くにも限度がある。のんびり考え事をしている間にあの2人はまたケンカになっているかもしれない。
あたしは慌てて2人の元に戻る。
「……?」
さっきまでちらほら大声が聞こえていたのに。今や戸越しに声が聞こえることもなくなっていた。内緒話でもしているかのような。
……まさかね。
静かにケンカを繰り広げていたらそれも大変だ。ここはちょっと慌てた風に入ってケンカを止めよう。そう決めて勢いよく戸を開ける。
「ごめん。町内会の話が長くなっちゃって……」
しかし。
そこにあったのは想像とは全く違っていた。冬也も希幸もケンカなどしていなかった。それどころか意思疎通でもしているかのような目で会話をしていた。あたしを見た一瞬のことだったけれど。
なぜか、イヤな感じがした。
「……珍しく平和だね」
素直な感想が口をついて出ると、2人は示し合わせたように息の合った反論をする。
「いつも平和ですよ」
「そうだよ」
普段ならば困りつつも穏便に済ませられそうな空気に安心するところだけれど、あたしの中のイヤな感じは消えることはなかった。むしろ更にモヤモヤしてきた。
「じゃあ仲良くなったの?」
いつも顔を合わせればケンカばかりしてるくせに。
「それはちが――う!、います!」
ほら、やっぱり。
「ある意味息ピッタリ……」
こんなところも考えてみれば仲がいいんじゃないかと思えてくる。タイミングまで合うなんて余程相性がよくなければそうならないんじゃないか。
あたしはずっと2人には仲良くして欲しい、穏当な対応をして欲しいと思っていた。
なのにいざそうなると面白くない、落ち着かない気分になる自分がいた。なんでなんだろう。何が気に喰わないんだろう。
その原因が全然わからなくて、希幸に話しかけられてもあまり内容が入ってこなかった。
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