モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー

エピソード:55

 もし、父さんが再婚なんかしなければ。
 もし、母さんが事故に遭わなければ。
 もし、冬也が病弱でなければ。
 もし、もし、もしも…… 
 ……もし、冬也がいなかったら。


「本当?」
 すごく聞き覚えのある声がした。
 たしかに聞き慣れた声。ずっと聞いていた声。けど、これは一体誰の声だったっけ?
「本当に? それがあたしの本音?」 
 確認するようにしつこく声はあたしに問いかける。背後から腕を回される気配。
 ここでようやく、あたしは声の主の心当たりに気づいた。
 反射的に振り返ると、そこには懐かしい顔が見えた。
「……あんた」
 昔の、子どもの頃のあたし自身の姿がそこにはあった。
 我慢なんてしない。思ったことはよく考えずに口に出す。年相応に大人に反発する小生意気な子ども。
 それがあたしだった。
「あんた……ッ。あんた!」
 これがチョコが言っていたもう一人の自分で、モノクロとやらなのだろう。
 そんなことを考える余裕もなく、身体が勝手に拳を握り、自分でも制御できない激しい感情に動かされていた。
 だが。
「えと……ええっと」
 結果的にあたしが恫喝していた相手は自分自身ではなく、偶々そこにいた知らない青年だった。
「すみませ……!」
「え? ええ……と。いえ、僕は大丈夫なので」
 いかにも運の悪そうな雰囲気漂うその人に必死に頭を下げる。
「ほんと。頭上げてください!」
 人の良さそうな相手でよかった。
 それから歩きだすと再び声が聞こえるようになった。
「本当に、それって本当に」
 今度は無関係の相手に絡んだりしないよう、周囲に気を配るよう心掛ける。
「あたしの本音?」
 嫌なことを聞く。
「そうだよ」
 モノクロとやらが本当にもう一人の自分なら、あたしの考えていることくらい聞くまでもなくわかるだろうに。なぜわざわざしつこい程に問いかけてくるのか。
「紛れもなくあたしの本音」
 わかるでしょ。
 そりゃ、昔はたしかに嫌だったし、必死で再婚をやめさせようとした。あの頃は実際子どもだったし、子が反対すれば親はちゃんと我が子のために諦めてくれると思っていたから。
 でも実際はそうならなかった。
 結局、親といっても所詮はあたしとは別の人間で、たとえ自分の子どものためにならないとわかっていても恋する気持ちは止められないのだろう。気持ち悪い。恋なんてくだらないもののために我が子の権利を踏みにじる。吐き気がする。
 それでも、小学生の子どもが家を出て自分で稼ぐことは困難だ。どれだけ親に反感を抱こうが、どれだけ吐き気がしようが、せめてバイトができるまでは出ていくことは難しい。
 大人になったら、高校生になったら家を出よう。
 うっすらとそんなことを思い描いていたのに。あたしは未だに家にいる。家族といることにモヤモヤしたものを抱えながら。



「みんな大切なもののために頑張ってる。自分のためだけなら頑張れない」
 冬也の笑顔が脳裏に浮かんだ。
 あたしのことを「ねえちゃん!」と呼びながら、心からあたしを慕ってくれる可愛い弟。
「あたしは、あの子のことが大好きで、大切だから」
 守るもの。守りたいと思うものがあるから強くなれる。こんな論調は珍しくもない。
 大事なものだから守りたい。そのためならいくらでも頑張れる。
 逆に言えばそれだけ守りたいものを失うことへの恐怖心はとても強い。
「なんで?」
「なんでって、なんで?」
 質問の意味がわからなくて問い返すと、向こうも向こうで不思議そうに呟いた。
「だって……赤の他人じゃん?」
 言われてぎくりとした。
「なんであたしが、自分の青春犠牲にしてまで、他人の面倒見なきゃいけないの?」
 ずっと、表面上には出さないように、深い深いところに沈めていた気持ちだった。
「血のつながったきょうだいでも、あたしには一切の責任はないんだよ?」
 自分で考えるんじゃなく、誰かに指摘されると更に心が削られる。
「ハンデのあるきょうだいのために自分を犠牲にするのはおかしい。あたしに迷惑かけず、親が全部やるべきじゃん」
 決して誰にも悟られないように。
 あたし自身も上手く丸め込めるように。
「なんで『きょうだい』だからって、自分を犠牲にしてまで尽くさなきゃならないの? なんで我慢しなきゃいけないの?」
 ……ああ、言われてしまった。
 ずっと考えないようにしてたのに。あたしはちゃんと、冬也のこと大事な弟だって思ってるのに。
「冬也の治療にお金かかるからって、習い事も……大好きだったサッカークラブもお金かかるからってやめた。父さんだって娘のあたしより、あのおばさんとの恋愛が第一だし」
 だって、それを考えたら。
「家族の中で一番雑に扱われてるよね」
 あたしってなんなの?
「大切にはされないのに、大事な労働力扱いはされる」
 そうだね。あんたに言われるまでもなくわかってるよ。
「自分たちは助けてもらえて当たり前。配慮してもらえて当たり前。『家族』なんだから」
 あたしは黙って話を聞いていた。
「でもあたしの都合は配慮してくれないし、助けてもくれない。『家族』の名の下あたしからは搾取ばかり」
 考えないようにしていた。
 ずっと、心の奥底に溜め込んでいたどす黒い鬱屈。汚れがこびりついたそれを眼前につきつけられる感覚だ。
「『できない』って、特権か何か? それいったら、あたしだって高校生なんだから『できない』よ。でも『できなきゃダメ』だから、『できるようになった』だけ」
 止まらない。止められない。
 もう一人のあたしはどこか楽しそうにすら見えるのは気のせいだろうか。
「『できない』、じゃない。『できなきゃダメ』なんだよ」
「……」
 にやにやしたもう一人に、あたしは何も言い返せなかった。
 この子が言うことは見ない振り気づかない振りをしてきたあたし自身の本音だ。あたしが必死に自分を押し殺して出さないようにしてきた本音。
「……ねぇ」
 押し黙るあたしにダメ押しのようにこの子は言った。
「そうやって……他人のために自分殺すのって、そんなに楽しい?」
 つい唇を噛んだ。
「……あたしってそんなに殊勝な性格だっけ? 自分を蔑ろにしてまで、他人助けて何になるの? あたしは他人のために死ねる人だっけ?」
「ちが……」
 咄嗟に否定したけれど、それ以上何も言えない。
「だいたい同じことじゃん」
 さすがもう一人のあたしなだけあって、こちらの事情もすべてよく知っている。
「家事全部やって、生活費が足りない月は学校休んでバイトして。家のことがなければ部活も勉強ももっと頑張れるのに。努力する権利すら家族に奪われて」
 常々抱いているあたしの不満。
 口にも表にも出さないけれど、常にずっと、思っていたことだ。家のことがなければ部活ももっと遅くまでいられるし、テスト前に慌てて勉強しなくてもいいくらいに予習も復習もできるのに。
「これでもし親が死んだら、あたしひとりで家事も仕事も弟の面倒も見る羽目になる。見返りなんて一切ない。家族なんだから」
 まくし立てるようにもう一人は早口で言う。
「どう考えても奴隷じゃん。だから再婚なんて嫌だ、って言ったのに」
 自分の本音を代弁された気分だった。
 思っていたことなのは間違いないけれど、自分であって自分とは違う何かに言われるのは妙な気分になる。
「……」
「自分さえ我慢すればとか、可哀想とか」
 もう一人はにっこり笑って腕を広げる。
 その様はどこかの教祖のような、甘言で惑わす危険ななにかのような、そんな気がした。
「そんなのは優しさじゃない、ただの自己犠牲だよ。あんたは他人のために自分を犠牲にしてんの」
 笑いながら彼女は語る。
 まるでありがたい説法のように。
「全部捨てよう!」
「それで家族が壊れようが、弟が死のうがしったこっちゃない」
「あたしだけ我慢していい子でいるのやめようよ!」
「ワガママな親に振り回されるのはもううんざりだ!」
 言っていることは「ひどい」の一言だ。冷たい、情がない、優しさがない。
 なのにその「ひどい」言葉にどこか救われる気分になったのはなぜだろう。
「……」
 でも肯定できない。
 肯定しちゃいけない。
 重荷に感じていたのは隠しようのない本音。だけど同時に、冬也をかけがえのない家族だと、大事なものだと思っているのもそれも本音だから。
「うるさいよ……」
 あたしは自分を奮い立たせたくて手を握り締めようとした。なのに今日に限ってなかなか力が入らない。
「損とか得とか、見返りとか。そんな考え方しかできないの? たとえ……損だったとしても」
 わかっているんだ、本当は。
 あたしにとって損が少なくなるのは昔みたいに自分の気持ちに正直になることだって。自分のことを最優先に、自分以外の人のことなんて一切考えずにワガママ放題すればいい。
 でもできない。今のあたしはあの頃よりは大人になったから。
「あたしは捨てないし逃げない」
 ようやく出てきた反論は、なぜか口に出すのが辛かった。
 周囲のために自分の気持ちを押し込めて蔑ろにして、そして結局自分自身すら騙して、自分の本音を殺すことだから。
 全部この子の言う通り。
「あたしにとって冬也はかけがえのない弟だよ! 大事な家族なんだよ。大事な人、大切な人のために何かしたい……助けたい」
 それでも、冬也のことが大事だと思う気持ちも確かな本音だから。
「そう思うことがそんなにおかしい? あたしはただ、冬也が好きだから。だから助けたいだけ。あんたに難癖付けられる筋合いはない」
 あの子はしばし黙り込んだ。
 もう一人の自分はどこまであたしの本音を理解するのかはわからない。
 ただ黙ってあの子を見つめる。
「ふぅん……?」
 しかし生憎と、あたしからあの子の表情を窺い知ることはできなかった。
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