モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー

サイドストーリー46

 新学期が始まった。
 私は今日こそは迷わず遅刻せず登校できるよう、祈るような気持ちで家を出た。
「あつ……」
 一歩外へと踏み出した瞬間、容赦のない日差しが襲い掛かって来た。暦の上では秋のはずなのに暑さは一向に収まる気配がない。
「はぁ……」
 自宅からバス停までの短い距離とはいえ、しばらくこの熱線を浴びながら歩かねばならないのだと思う時が重い。いっそのこと自主的に冷房の利いたトラックにでも迷い込めたらいいのに、とすら思う。
 けど、今日の私はいつもとは一味違う事情がある。
「美妃さんは登校するって言ってたもの」
 そう。長らく登校自体まばらだった美妃さんが久しぶりに学校に戻ってくる。当然生徒会にも復帰するはずだ。
「迷子になんかなっていられないもの」
 私が美妃さんと最後に会ったのは夏休みが始まったばかりのころ。突然意識が途切れて病院に運ばれたあの日が最後。三島さんが救急車で付き添ってくれて、彼女が帰宅した後で美妃さんもお見舞いに来てくれた。
「あの時は嬉しかったなあ」
 あの日のことはしっかり覚えている。
 いくら暑さが弱まった夜とはいえ、美妃さんは生まれつき病弱で身体が弱いというのはうちの学校の生徒なら誰もが知っている。特に夏の暑さは天敵といっていい程美妃さんにとって有害なもので、暑い時期は特別に自宅で勉強していた。本人もさぞかし授業は受けたいだろうに不憫な話だ。
 それほどまでに身体が弱い美妃さんが夜とはいえ、私のためだけに病院まで足を運んでくれた。すごく嬉しかったのだ。
 まるで自分が美妃さんにとって特別な存在になったような。そんな優越感のようなものを覚えた。
 美妃さんが誰にでも優しく親切な人だという事実を都合よく忘れて。自分だけが美妃さんと個人的に親しいと感じてしまった。
 私はお兄ちゃんが好き。
 同時に、美妃さんも好き。
 お兄ちゃんはある種の別格だけど、美妃さんは私が初めて自分で関係を築いた人だから。私に救いの手を差し伸べてくれたのが美妃さんだったから。
 それまでずっと、自分から積極的に誰かに関わろうとしたことはなかった私がお兄ちゃん以外で唯一特別だと思った相手だから。
「美妃さん、元気かな」
 自分でも驚くほど足取りは軽かった。
 更に驚くべきことに、遅刻もしなかった。普通は驚くところではないのだろうけど。


 始業式のために講堂に生徒が集合していた。
 校長先生の話は右から左へと流れていく。ちらりと周囲を眺めても私と似たようなものだ。「早く終わらないかな」と顔に書いてある。さすがに立花は真面目に傾聴している。
 いつもならば校長先生の長話を聞かされるだけで半分ほど寝ているわけだけど、今日は違った。先生方の話が終わった後は生徒会からの連絡事項を報告するために会長が登場するから。
 どうやら美妃さんの話を楽しみにしていたのは私だけではないらしい。おしゃべりはしなくとも皆表情がパッと明るくなった。
「皆さん、ご無沙汰しております」
 美妃さんの穏やかな声が講堂内に響き渡る。
「生徒会長の早乙女美妃です」
 相変わらず私語もない。だが皆の空気が柔らかくなる。皆会長の帰還を首を長くして待っていたのだ。
 でもきっと誰よりも美妃さんを待っていたのは私。
 ずっと、ずーっと、待っていた。
 美妃さん自身。そしてもうひとつ。私は美妃さんを求める理由は他にある。
「いよいよ、か……」
 この一年間、ずっと待っていた。誰にも言えないけれど留年したことは不幸中の幸いという気分ですらある。
 留年はもう一年やり直し。私にはもう一度だけやり直すチャンスがある。
 逆に言えば、失敗したら後がないんだ。
「……」
 上手くやらなくちゃ。
 今度こそ失敗しないように。私は小さく拳を握り締めた。



 HRを終えて生徒会室に到着すると、先客がいた。
「希幸」
「ああ、雪子先輩。立花サマは一緒じゃないんですか?」
「立花は報告書を提出しに職員室へ」
 希幸は吹き出す。
「桃太郎のおじいさんおばあさんみたいな言い方やめてくださいよ〜」
 そんなつもりはなかったのに、希幸は何がそんなに面白いのかしばらくケラケラ笑っている。
「……そんなにおかしなことを言ったのかしら?」
「おかしかったです、わたくしにとっては」
 また笑いだす。生徒会で一番表情豊かなのはきっと希幸だ。二番手はチョコ。
「……」
 希幸は良くも悪くも自分の気持ちに素直で正直。たまにワガママのように感じられることもあるけれど、私はそんなところが希幸の良いところだし、正直羨ましいとすら思っている。立花は振り回されていて大変なように見えるけれど傍から見ている分にはただの青春ストーリーのようにしか見えない。希幸は同性が好きで少なからずそれが障壁のように感じられることもあるのだろう。それでも兄に特別な感情を抱いている私よりははるかに真っ当だ。私のどろどろとした感情に比べれば希幸はなんとキラキラした子なんだろうと眩しくなる。
「? 雪子先輩?」
「あ、いえ。なんでもないわ」
 ちらりと時計に目をやった。そろそろ立花も三島さんもチョコも来る頃だろう。美妃さんはきっと教室でもみくちゃにされているのだろうと容易く想像がつく。
「会長久しぶりだよね」
 ドアの開く音がしてチョコが入ってくる。いつもより乱暴にシガレットチョコを齧っているように見えるのは気のせいではないだろう。
「こんにちは真白先輩、希幸さん」
 チョコより数秒遅れて三島さんが入ってくる。いつもながら遠慮がち。しかしそれでも出会った頃よりははるかに表情が柔らかくなっていると思う。
「じゃあ、会長にこれまでの成果を報告しないとね」
 そんな三島さんの背後から立花がひょっこり顔を出す。
「わっ!」
「ごめん、おどかしちゃった?」
「いえ、大丈夫ですので」
 三島さんは生徒会室に入るや否やお茶の準備を始める。この子は事務作業とか誰かの補佐とかそういう仕事向いていそうだ。内気とか引っ込み思案といっても細かいところまで気が利くからいい仕事ができそうな気がする。
 そんなことを考えながら椅子に座っているとドアが開く。メンバーが揃っている以上、残りは考えるまでもなかった。
「会長、お久しぶりです! ずっと待ってたんですよ!」
 私たちを代表するように希幸が言った。
 本当はその言葉を私が言いたかったのに、などと思ったけれど、普段迷子になったり特に目立った活躍をしていない私が言うのもどうかと思ったので黙っていた。
「長らく不在にして申し訳ございませんでしたね――」
 ほら。美妃さんも特に何も言うことなく挨拶が進む。立花と希幸に対して会長らしいねぎらいの言葉。
 ただの挨拶、ただの社交辞令。
 必死にそう思い込もうとしても私はそんな風に役に立てないという劣等感を勝手に生み出して育てだして。私は本当にイヤな子だ。
「本当にありがとうございます。そして」
 不意に美妃さんが私の方を見た。
「雪子さんもお元気そうで安心しました。休み中に倒れ照らして気がかりでしたから」
 心配してくれた? 美妃さんが? 私を?
 嬉しくなってできるだけ心配をかけないよう笑って言った。
「もう元気です」
 その後も美妃さんはチョコと三島さんに話しかけ、三島さんはこれからも引き続いて生徒会の手伝いをしてくれることになった。そういえば正式に生徒会役員になったわけじゃなかったんだっけ。お手伝いとか見習いという扱いだっけ。
 生徒会の事情を知らない立花と希幸はわいわい雑談している。盛り上がっている中でチョコは浮かない顔をしていて、そんなチョコを案じて三島さんまで不安そうな顔をしていた。
 三島さんはきっと知らないだろうけどチョコはきっと知っている。生徒会の3年生だから。
 ティーカップを片手に会長は口火を切った。
「皆さんには叶えたい願いはありますか?」
「ありますよ」
 また夢いっぱいの雑談。立花も希幸も、ただの雑談だと思っているし、こんなのは世間話のひとつだとでも思っているのだろう。次から次へと他愛もない願い事が飛び出してくる。
 私は自分に言い聞かせる。もう失敗は許されないのだと。
 そう思って気を引き締めていると、会長はゆっくりと手を掲げ、そこにある歯車をみんなに見えるように掲げる。
「もしもひとつだけ。どんな願いでも叶うとしたら、あなたは何を願いますか?」
 ああ、ついに始まったんだ。
 私は覚悟を決めるために目を閉じ。深呼吸をした。
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