モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー

サイドストーリー42

「行ってきます」
 玄関のドアを開けて一歩踏み出す。
 家から出た途端に凶悪なまでの夏の暑さが襲い掛かってくる。
「あっつ……」
 強烈な熱視線に目がくらむ。聞き飽きたセミの声を聞きながら私は歩き出す。
 暑さで汗が止まらない、制服の中に熱がこもって不快感がある。それでも。
「……楽しい」
 去年までの一日の大半を家に籠って暇つぶしに勉強と読書だけをして過ごす夏休みよりは遥かに素敵だ。夏休みに入ってからも、私は毎日のように制服を着こんで学校に向かう。たとえそれがいつまでも終わりの見えない生徒会の仕事のためだったとしても、好意的に接してくれる相手がいるならばとても嬉しいことだ。
「去年は受験だったし、自由時間が少なかったっけ。自由な時間があってもひとりぼっちで過ごすならいらないけど」
 私は、ひとりが嫌いだ。
 昔から、物心ついたときから、私はずっとひとりだった。
 もちろん子どもが一人で生きていけるわけがないのでお母さんはいた。俗にいう未婚の母で、当然のようにお父さんとも顔を合わせる機会自体が稀だった。母一人子一人の片親家庭。別にそれだけがひとりが嫌いな理由じゃない。お母さんは夜勤ばかりの仕事をしていて、夜もひとりで過ごしてきた。休みの日も日頃の反動か友達らしき人とどこかへ出かけているのが日常茶飯事だった。なぜかその時「友達」だと言っていた相手は数か月後には母の記憶から消えているらしかったが。母には親しい友人はいなかったらしい。そんな母に似たのか、私にも友達と呼べる相手はひとりもいなかった。今になって振り返ると自分の性格に問題があったと思うし、未婚の母と子の母子家庭というものに偏見もあったのだろうと思う。母の職業もその偏見に拍車をかけていたのだろう。
 小学校低学年の時点からその様だった。そこへリリカの件も絡んで、私は更に孤立していた。当時リリカのことは大嫌いで仕方がなかったけれど、あんな結末など望んでなんかいなかった。私の視界から消えて欲しかっただけでこの世から消えて欲しかったわけじゃない。今でもあの時のことを思い出しては罪の意識に苛まれる。
「すみちゃんはこんな私にも優しくしてくれたのに……」
 高校に入る前の唯一の友達。それがすみちゃんだった。小学校の頃は学区が別だったために中学で出会った同級生のクラスメイト。言い方は悪いけれど、彼女もまたぼっちだったようで、それまで友達がいたことがない私とは似た者同士だった。似た者同士と言ってもすみちゃんの方は私のような根暗でもなかったために、きっと周囲に気の合う子がいたら普通に遊び友達は出来ていただろう。対する私はすみちゃんしか友達がいなかったために、学校ではずっと彼女から離れまいと必死だったし、クラス替えで別のクラスにならないよう必死で祈っていた。すみちゃんがいなかったら学校名物「仲のいい者同士でグループを組んで」の度に困り果てていただろう。本当にすみちゃんには感謝している。
「今頃どうしているのかな」
 一緒にこの学校――聖ルイス女学院を受験したのに、受かったのは私だけだった。学力は私と同じくらいだったと思うのに、なぜか私だけが合格してしまった。不思議なことにこの学校の名前自体はたまに耳にしていたはずが、受験生は私とすみちゃんだけで、入学したのは私だけだった。きっとよくあることなんだろうけど、少しだけ引っかかっている。
 などということをグダグダと考えているうちに駅に着いていた。私は慌てて定期を鞄から取り出し、いつもの電車に間に合うように慌ててホームに向かった。


「よし、今日も一番乗り」
 生徒会室のドアを開けても誰も来ていなかった。少し誇らしい気分になって、さっそく仕事に入る。
 といっても私は正式な生徒会役員じゃないから、できるのはあくまで補佐程度のこと。それでも立花先輩や希幸さんは「やりやすい」と褒めてくれる。2人ともいい人だからお世辞だろうけど、こんな私でも誰かの役に立てているのかもしれないと思うと嬉しい。だからこうして誰よりも早く来てみんながやりやすいように支度をしているのだ。書類の分類や必要なものをそろえておく程度の誰にでもできることだけど。
 ある程度進めたあたりでドアの開く音がした。
「あ、おはようございます」
「早いねミサキちゃん。一番乗りじゃない」
 きょとんとした顔で希幸さんは生徒会室に入って来た。
「先に仕分けしておいた方が効率いいかな、って。ちょっと早く来すぎたかも……」
 正式な役員でもないのに。余計なお世話だったかもと少し不安になったが、希幸さんはにこにこしながら言った。
「働き者だね〜っていうか、ミサキちゃん最近明るくなったよね」
「そうですか?」
 私の心配は杞憂だったようだ。
 胸を撫でおろした私に希幸さんは笑いかける。
「うん! 笑顔も増えたし。いいと思うよ!」
 自分では表情なんてわからないけど。
「そう……かもしれません」
 たしかにここのところ私は嬉しい気分になることが増えた。少し前までは自分にだけ見えるあの子のことや、他の悩み事でいつも沈んだ気持ちでいたから。
 そんな私に希幸さんは得意げな顔で言う。
「恋でしょ!」
 完全に予想外。
「はい?」
「ミサキちゃんはチョコ先輩に恋してるのよ! 絶対そう!」
 一昔前のドラマで聞いたかもしれない言葉だった。
 なのに全然冗談のような気はしない。だって私がチョコ先輩のことを好きなのは本当だから。
「でも、チョコ先輩は同性だし……」
 好きな人とかそういうこと以前の話。誰かを好きになるのはそれなりに余裕があって初めて自分以外の誰かのことを考える余力ができるものだ。私にはずっと余裕がない。友達すらろくにいなかった私には縁がないものだろう。
「問題ないじゃない。好きならそれで」
 恋とか愛とかわからない。誰かに好意を抱くことがよくわからない。優しさと打算は何が違うのだろう。
「……けど、この気持ちは……」
『ミサキ!』
 チョコ先輩の笑顔が脳裏をよぎった。
「この気持ちを恋というのでしょうか」
 虚を突かれたような顔で希幸さんは私を見る。
「チョコ先輩のことは好き。でも、キスしたいとかじゃない。そういう好きじゃなくて」
 一緒にいて心地いいことが好きというのならば、私は間違いなくチョコ先輩のことが好きだ。だけど。
「恋人になりたいわけじゃない。なのに一緒にいて楽しくて、落ち着く……」
 上手く言えない私の言葉を、希幸さんは黙って聞いていた。
「……」
 ここまで言葉にしたからか、私の方も自分の正直な気持ちを言える。
「心が温かくなるんです」
 これはきっと。
「希幸さんからすればこれは恋、なんでしょうけど。私はピンとこなくて」
 恋というもの自体がわからないから、私にはこんな曖昧な言い方しかできないけど。
 そんな私の手を取って希幸さんはニコニコ笑う。
「うんうん、最初は戸惑うよね〜! みんな通る道だよ」
「ほんとにみんな通ってるんですか?」
 まるで女の子に恋愛感情を抱くことが当たり前みたいな。希幸さんはたまに理解しがたいと思うことがある。
 けど。
「別に必ずしもそういうことしなくても。好きってそれだけのものじゃないし」
「そういうものですか……」
「そういうものでしょ。好意ってはっきり分類できるものじゃないし。好きの形はいくつあってもいいじゃない」
 キッパリと言い切った希幸さんは私に笑いかける。
「はっきり恋だと言い切れなくても、ミサキちゃんが好意を持ってることに変わりないんだから」
 希幸さんは理解できないこともあるのに、たまについ納得してしまうようなことをさらりと言う。
「さ〜好きな人のために今日もがんばろ〜」
 私がどきりとしたことも気づいていないらしく、希幸さんは早速仕事に入る体勢だ。
 希幸さんが強引に「それは恋だ」と断言しないのには少し驚いた。てっきり猫も杓子も恋だと言いそうな感じがするのに。その様子にどこかで聞いた言葉が蘇った。
『希幸は人を見てるから』
 ほんとだ……よく見てるなあ。
 ぼんやりそんなことを思っていたら希幸さんが開けた窓から風が入って来た。希幸さんの髪がぼさぼさになるほど。
「ちょっと風が出てきたね」
 慌てて髪を直しながら希幸さんが呟いた。
「秋が近いかも」
「連日暑かったのにね。少しだけ涼しくなってきたかも」
 まだ八月、とはいえもうすぐ夏休みの終わりが見えてきた後半。まだまだ暑いけれど空気は変わった気がしている。
「こうして気づかないうちに時間が経って……気づいたら大人になって」
 希幸さんはちょっとした雑談のつもりなのだろう。しかし私はお母さんのことを思い浮かべていた。
「わたくしたちはどんな大人になるのかな。大人になったとき笑い合える誰かが傍にいたら、きっととても幸せね」
(笑い合える誰か……)
 お母さんにそんな誰かはいたのだろうか。
 私と笑い合ってくれる誰かは――。
「今、チョコ先輩のこと考えてたでしょ」
 ずばり言い当てられ、つい視線が泳ぐ。
「わかりやす〜い! ミサキちゃん、チョコ先輩のこと大好きよね」
「……」
 照れくさくて俯く。
「チョコ先輩もミサキちゃんのこと好きよ。ミサキちゃんには甘いもの。これは好きよ!」
 強く確信したように希幸さんは言い切る。
「……」
「あ〜あ、ミサキちゃんはチョコ先輩のことばっかり。わたくしのことは思い出してくれないのね」
「あ……ごめんなさい」
 本気でむくれたような顔をするのでつい謝ってしまう。
「……なーんて。ちょっとスネただけ。大人になったとき、ミサキちゃんも傍にいてくれたらうれしいな」
 希幸さんはいい人だ。
 生徒会に関わるようになった当初から先輩方の希幸さん評は正しかったのだろう。本当に、その通りだ。
 納得しているところでドアの開く音がした。
「……取り込み中だった?」
「噂をすれば」
 希幸さんと私は反射的にドアの方を見る。
「チョコ先輩」
 つかつかとテーブルに歩み寄りながらチョコ先輩は笑いかける。
「今日も早いね。感心感心」
 いつもと何ら変わりないチョコ先輩の態度。
 なのになんで私は照れてるんだろう。
「希幸とも随分仲良くなって」
 先輩の声は心なしか嬉しそうだ。
「わたくし書類出しに行ってきます」
「りょーかい」
 提出する予定の書類なんてなかったはずなのに。ちらりと希幸さんの方を見ると、私に向けて一瞬だけウィンクした。気を利かせてくれたのだろうか。
「希幸さんも最初はびっくりしたけど」
 いい人ですね。
 言わずとも私の言わんとするところを察したらしいチョコ先輩は明るく同意する。
「でもいい子でしょ? 明るくて、人懐っこくて」
「はい」
 どこかの誰かとほんの少しだけ似ているのかもしれない。
「何の話してたの?」
 チョコ先輩は尋ねる。
「大人になったらどうしてるか、って」
「ほ〜?」
 チョコ先輩の話してたのはナイショ、っと。誤魔化しているような気がしたけど気のせいだろう。
「そうだねぇ……ずっと先の話みたいだけど、あと数年すれば成人だもんね。そう遠い話でもないよね」
「……」
 そうだった。すごく遠いことだと思っていたけどあと数年すれば私も大人の仲間入りなんだ。お母さんと同じ大人の。
「希幸さんは、自分が大人になるイメージができるみたいで」
 お母さんを見ても「大人」がわからなかった。
「まるで自分は大人になれないみたいな言い方だね」
 チョコ先輩は鋭い。私の考えなどお見通しのようだ。
「そりゃ……大人の年齢にはなりますけど。でも……私は自分がちゃんと成人してる姿が想像できないんです」
「ほう?」
 いいのかな。
 こんな話、チョコ先輩に言ってもいいのかな。重い話しだしたって思われないかな。
「……」
 私のこと嫌いになったりしないかな。
 迷う私に先ほどの希幸さんの言葉が蘇った。チョコ先輩は私に甘いって希幸さんも言っていた。
 それなら、詳細を伏せてならいいのかな。
「実は私、親と上手くいってなくて。フツーの大人がよくわからないんです」
「……」
 ちらりとチョコ先輩を見ると、黙って話を聞いてくれていた。ホッとして続きを述べる。
「大人ってこうだってお手本がないから、他のみんなのようにやりたいこともなりたいものもわからなくて」
 みんなはそうじゃないのかな。こんなの私だけなんじゃないかな。
「周りに合わせていればフツーもどきにはなれるかもしれない。けどそれは、ただの社会の歯車でしかない」
 必死の周りの目を気にした結果がそれだとしたら。必死に平凡を目指すことが馬鹿みたいじゃないか。
「最初から平凡にすらなれないのなら、せめて何者かになって自信がほしい」
 フツーの生活が得られないなら、せめてそれを補うような結果がほしい。ぼんやりとそう思った。
「社会の歯車? 平凡?」
 チョコ先輩は静かに言った。
「結構じゃない」
 一瞬、先輩の真意がわからなかった。
 チョコ先輩はそっと言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「歯車はひとつじゃ動かない。互いに押して押されて廻ってる。歯車になれてる時点で周りの人と関われてる」
 歯車の音が聞こえた気がした。
「ひとりじゃない」
「!」
 ひとりはイヤ。
 それは私がずっと思っていることだったはずだ。
「何者かになれない? その何者かが何かわからないなら、想像できないのは当然じゃない?」
 チョコ先輩はそっと笑いかけた。
「迷っているなら、自分がどうしたいのか突き詰めてみてもいいんじゃない?」
「あっ……はい」
 予想できなかった言葉を返されてついとぼけた返事になってしまった。
「詳しいことはわからないけど、ここには仲間がいるんだから。困ったときは頼ればいいんだよ」
 私の不安を見通したかのようだ。
「もちろん私にも……ね?」
 笑顔で言われると、まるで相談されることを望んでいるかのように見える。本当にチョコ先輩は不思議な人だ。
「……」
 でも、嬉しい。
 またしても心が温かくなった時、不意に風が入って来た。
「あ……っ」
 先ほど希幸さんが開けた窓だ。たまに強い風が吹くらしい。私の髪もぼさぼさになってしまった。
「あ〜あ。じゃまな髪!」
 いつも邪魔で手入れが面倒な自分の長い髪。直す手もつい乱暴になってしまう。
「じゃあなんで伸ばしてんの」
 至極真っ当なことをチョコ先輩が言うので私も弾みで言ってしまう。
「バカみたいな願掛けなんです」
 誰かにこれを話したのは初めてだ。話す相手もいなかったし、なんとなく言う気になれなかったから。
「自分の力ではどうあがいてもムリだから。神さまに縋るしかないんです。神さまなんて信じたことはないけれど」
「矛盾じゃん。信じてないものに頼むなんて」
 ご尤もなツッコミ。自分が一番そう思っているんだけど。
「だからバカみたいなんですよ」
 ほんとうに自分でもバカみたいだけど、これしかできないから。
「ミサキちゃん早いね」
 そんな中、再びドアが開く音がして立花先輩が入って来た。
「立花先輩!」
 ようやく本来の集合時刻になったらしい。真白先輩が遅刻するのはいつものことなので、これで今日も仕事を始めることになる。
「今日も頑張らないと」
 そう呟いた私をチョコ先輩はじっと見つめていた。
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