モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー

エピソード33

「信じて欲しい……私を」

 揺れる電車の中、私は何度もチョコ先輩の言葉を思い出していた。
 思い返せば誰かを信じたいと思ったのはこれで二度目だ。
 「まだ」二度目なのか、「もう」二度目なのか。どちらにしても、きっと私は人を信用しない部類なのだろう。
 信じて裏切られたとしても信じたいという人もいるけれど、ほぼ間違いなく裏切られると察しているならばなぜ信じようと思うのだろう。結果が見えているのになぜ信じられるのだろう。
 私なら絶対に裏切らないと確信できなければ信じようという気すら起こらない。
 そんな猜疑心の強い私だけど、チョコ先輩のことは信じたいと心から思った。
 同時に、そんなチョコ先輩のいる生徒会の皆も信じよう。今の私にはちゃんと味方がいる。信じられる人がいる。居場所がある。
 私はもうひとりにはならない。
 昔とは違う。チョコ先輩はあの人とは違うのだから。
 チョコ先輩以前に信じていたただひとりの相手。この時期になると罪悪感と共に思い出す。
 あの人は――
「ミサキちゃん、そろそろ着くから。支度なさい」
 不意に聞こえたおかあさんの声に現実に引き戻された。
「くれぐれも失言しないように。よく思われてないんだから」 
 ぼんやりしていたせいで時間の経過もわからなくなっていた。
 そもそも目的地には片手で足りる程度しか行ったことがない。馴染みのない寒い場所。
 あの場所には味方が誰もいない。
「……はい」
 つい掌を握ってしまうのは寒さを紛らわすためだけじゃない。何も言えない自分を少しでも奮い立たせるため。なのかもしれない。
 釈然としない私の気持ちとは無関係に電車は目的の駅で停車した。


 おかあさんの実家は東北にある。
地元では名の知れた家柄らしい。いわゆる名士というものなのだろうか。私はよく知らないけれど。
 駅からしばらく歩いていくと、今時珍しいちょっとした屋敷のようなものが見えてくる。日本家屋といった風情で敷地も他より広い。
「ご無沙汰しております。慶子です」
 おかあさんは勝手知ったる我が家といった調子でインターフォンを押した。門は古めかしいのにこんなところはちゃんと現代風。
「はーい?」
 まもなくあちら側から応対する声が聞こえる。
「慶子ちゃん? 今開けるわね」
 楽し気に挨拶を交わすおかあさんとおばさんの話は寒さに軽く震える私はよく聞いていなかった。
「あらぁ! 元気そうじゃないの!」
「相変わらず若いわねぇ」
「うらやま――」
 なぜおばさんというのはこんなにどうでもいい世間話をするのだろう。
「しぃ……」
 ふと顔を上げた瞬間、おばさんと目が合った。一瞬おばさんは私を睨んだものの、すぐに元通りの顔を作る。
 そしてしぶしぶながら私にも形式上のもてなしをする。
「……どうぞ」
「厄介になります」
 私は一言も喋ることなく中に入ることができた。正直ほっとする。ここにいる誰一人も私のことを歓迎などしていないことは自分が一番よくわかっている。
 子供の頃から親の実家など縁がなかったし、祖父母というものがどんなものかも未だによくわかっていないけれど。


 しばらく廊下を歩くと、奥の広間に着く。
「ご無沙汰しております」
 おかあさんはここでも丁寧な挨拶を述べる。実家というのはこういうものなのだろうか。私にはよくわからない。
「おお! そっち……」
 すでに酔っている調子の男の人の楽し気な声がしたと思ったら、すぐにその調子は薄れていく。
 変わりに聞こえてくるのは陰湿な言葉。
「おい」
「あれ……」
「よくもまあ」
「なんであの子が」
「よく顔を出せたものだ」
 酔っていたのではなかったのか。
 まるで私がいると酔いがさめるかのように、彼らは酷く冷静に言葉を吐き出す。それはまるで呪詛のように。
 ただの悪口ならば聞き慣れている。
「さすが、あの女の娘だな」
 悪口どころか、それはただの事実でしかない。
 しかし、それが事実だからこそ堪えることもある。今の私にとってはあの母親の娘であるという事実そのものが一番の悪口だった。
「身勝手で」
「ふしだらで」
「非常識」
 何も反論できない正論というのは、時に何よりも残酷だ。
 特にそれが自分の努力だけでは改善することができないことだった場合。ならばどうすればいいのだろうか。自分ではどうにもできないことを正論でねじ伏せるのは、それは果たして正しい論理なのだろうか。
「母親そっくりだな」
 親にそっくり。
 よそはどうだか知らないけれど、私は何よりも言われたくない言葉だった。
 あの人と一緒にして欲しくない。私はあんな人と違う。親子だからって一緒くたにしないで。
「……」
 何も言い返せない。私には言い返す資格がない。
 ……大丈夫、ここにいるのは今だけ。
 私の居場所はちゃんと……あるんだから。
 自分に言い聞かせてみる。うん、大丈夫。
 落ち着いたところでおじさんの言葉が耳に届いた。
「この子がいてもリリカの代わりにはならないのに」
 つい視線でそちらを見てしまう。
 リリカ。
「あの子はあんなにいい子だったのに」
 すぐにあの子の話題になり、場がしんと静まり返る。
「明るくて、優しくて、賢くて。よく笑う子だった」
「みんなあの子が大好きだったのに」
「リリカがいるとみんな楽しくなる。
「皆を笑顔にする子だった」
 おじさんたちのリリカの話を聞くと、つられて私まで彼女のことを思い出してしまった。
 いつもクラスの中心にいたあの子。常にみんなに囲まれて、慕われて、愛されて。あの子のいるところは暖かい日向のようだった。
 そう。
 あの子は……リリカは誰にでも好かれる子だった。まごうことなき光。
 生まれたときから日陰者の、陰でしかないあたしとは対極。
 光と影は交わらない。
 影であるあたしには、あの輝きは眩しすぎた。
 今の生活は分不相応。
 ……わかってる。
 十分わかってる。
「わからない!」
 私の気持ちに反論するように、おじさんの大声が聞こえた。
「なんでお前がその子を引き取ってるんだ。まるでわからん!」
 大声というより、これは罵声。
「お前はずっとあの女に苦しめられてきただろうが。その女の娘だぞ? 忘れたのか」
 一際声の大きいこのおじさんに呼応するかのように周りの人たちもここぞとばかりに怨嗟を吐き出す。
「ろくなことにはならんぞ」
「どうせ育ててやった恩もすぐに忘れる」
「鳥頭の子だから」
「育ちの悪さが染みついてるんだ」
 そして駄目押しとばかりにどこからか大声がする。
「真咲の娘なんだから」
 事実を言われることが何よりも辛い。
 反論できないから。自分ではどうすることもできないから。
 畳みかけるように彼は私を指さした。
「見ろ。お前の家庭を壊しておいて平然として……見ろこのふてぶてしい面を! 少しは申し訳ないと思わないのか!」
 思ってる。
 とても申し訳ないと思ってる。出来ることならばちゃんと形で示したいと思ってる。
 でも、じゃあ、どうすればいいの?
「罪悪感というものはないのか」
「全部お前たち親子が原因ではないか」
「忌々しい」
「お前たちは加害者だということを忘れるな」
「慶子がどれだけ辛かったと思う」
 私だって辛かった。
 これは言ってはいけないのだろう。
 お母さんに言えなかったことと同じように。
「人の気持ちがわからないのか」
 ……わかるよ? 
 嫌と言うほどわかってるよ。
 私だって嫌だったんだから。
 言えない言葉をため込んだまま、チョコ先輩のことを思い出した。
 私が今信じている人の顔を想像して、どうにか自分を宥める。
 そうだね、あたしたちが悪いね。
 これでいいんでしょ?

 やっぱりあたし、嫌われ者だもんね。
 私はしばらく記憶の奥底にしまいこんでいたあの頃のことを思い出した、
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