モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー

エピソード31

「三島ミサキさん」
 最初に顔を見たとき、とても不思議な感じがした。
 なぜ数秒前に会ったばかりの私の名前を知っていたのか。なぜ向こうは私のことをとてもよく知っている相手にするように呼び掛けてくるのか。なぜ、私はこんな既視感にも似た何かを感じているのか。
「……」
 そして何より、この人は一体誰なのだろうか。
 初めて会った人……のはず。一度会ったら忘れない感じ。三つ編みを数本にリボンなんて髪型、そう滅多に見かけるようなものじゃない。
 顔立ちは綺麗だけど、どこか浮世離れしている。
 端的に言えば不思議な人。
「申し遅れました。わたくしは早乙女美妃」
 戸惑う私の心境を察して、相手の方から名乗りだしてくれた。
「不在の間生徒会を手伝ってくださったのでしょう?」
「!」
 この言い方からして、この人は。
「じゃあ……」
「ええ。わたくしが会長です」
 当然のように彼女は言った。
「……」
 そういえば。
 前にチョコ先輩が会長じゃないという話をしたときに少し言っていた気がする。「会長は身体が弱くて」、「夏は特にダメで」とか。
 けれど、それなら今日はいいのだろうか。まだまだ真夏なのに。
「あの……平気ですか?」
「真昼は避けましたし。雪子さんが倒れたと伺いまして」
 心配無用とばかりに早乙女先輩は微笑む。
 そして心配そうに語る。
「お見舞いに行くことしかできませんでしたが。他の方もお元気か気になりまして」
 私は「会長」という響きから、さぞかし快活でサバサバした姉御肌の先輩を想像していた。
 実際の会長は全くそんな雰囲気はない。むしろ大人しそう、というかおっとりした風情で、物腰もかなり丁寧だ。すごく育ちのよさそうなお嬢様という感じがする。
 何よりいい人そうだ。
「あの、真白先輩は特に異常はなくて……頼りになるお兄さんも一緒ですし、すぐ元気になると思います」
 ついついこの人に心配をかけまいと思ってしまった。
「だから――」
「貴女は」
 優し気な響きながらも、どこか冷たさを感じる声音。
「お優しいのですね」
 それまでの調子とは一転して冷静な雰囲気を感じた。
「でもそれは、心からの貴女の本音?」
 すべてを見透かすように。
 すべてを最初から知っているかのように。
 早乙女先輩は抑揚なく言った。
「……え?」
 凍り付く私に構わず、先輩は続ける。
「心から他者を案じるのは『優しい』。内心は別でも心配の言葉を口にするのも『優しい』。本心はどうであれ」
 どこか機械のような冷たさを感じるのは気のせいだろうか。
「どちらも同じ、『優しい』」
「……」
 それは、どういうことなんだろう。
 私はひょっとしたら誰のことを言っているのかわかっているのかもしれない。けど……心の深いところで決して認めたくないのだ。
「イヤなことをおっしゃいますね」
「そうですか? 他者の本心などわかりようがないのです」
 先輩は続ける。
「相手がどれほど貴女のためだと言っていても、それが心からなのか口先だけかなど確かめようがない。本人にしかわからない」
 たしかに、その通りだ。
「不確かなもの」
 ぐうの音も出ない。
「そんな危ういものなのですよ。他者の思惑というものは」
 けど、眼を背けていたいことだってある。
 この先輩は出会ってすぐの私に一体何が言いたいのだろう。ここまで意図がつかめない相手は初めてだ。
「あの……何をおっしゃいたいのですか?」
 私の質問に、早乙女先輩は微かに微笑う。
「さぁ?」
 他愛もない、無邪気そうな顔でそれだけ答える。
 本当に悪意など微塵もなさそうな。無害な表情を浮かべて。
「これでも上級性ですし、先輩として忠告しただけ。もう失わないように」
「!」
 失わないように。
 そう言われてハッとした。
 なぜ知っているのだろう。どうやって知ったのだろう。この人はどこまで知っているのだろう。
「早乙女先輩、あなたは何を知っているんですか!?」
「わたくしは知りません。ただ、わかるだけ」
 つい、手を握っていた。
 かすかに湿り気がある。自覚なしに緊張していたらしい。
 そんな私に構うことなく、早乙女先輩は踵を返した。
「それともうひとつ」
 地面を踏みしめる音がやたら耳障りだった。
「ちよこさんは本当に信じるに値しますか」
 まさかここでチョコ先輩の名が出るとは思わなかった。少しイントネーションが独特な読み方をする。
「信じてはならない人ほど欲している言葉をくれるもの。わかるでしょう?」
 脳裏に私の名を呼ぶ声が響いた。
「では」
 今度こそ本当に早乙女先輩はこの場を去る。
「ごきげんよう」
 出会ったばかりだというのに、生徒会長である早乙女先輩はとても印象的な人だった。
 まるで平和に過ごしていた日々に突然楔を打ち込まれたような。そんな落ち着かない気持ちにさせる。
「……」
 急激に不安が広がっていく。
 気づけば私は、足早に校舎に引き返していた。コツコツと自分の足音がやたら大きく反響している気がする。
 早乙女先輩のあの言葉はどういう意味だったんだろう。なんであんなこと言ったんだろう。
 会長は…立花先輩も真白先輩も敬意を持っているみたいだった。そんな人がおかしなことを言うはずがない。
 何か意味がある? 一体なに?
 チョコ先輩は私に――

『おまえが必要だ』

 そう言ってくれたんだ。
 私を必要としてくれる。肯定して、存在を許してくれる。認めてくれるんだ。
 チョコ先輩が私を裏切ったり悪意を持っているはずがない。わざわざ生徒会に勧誘する理由がなくなるじゃない。
「……そんなはず、ない」
 チョコ先輩が裏切るはずがない。
 だって。
「チョコ先輩は私を、必要だって言ってくれたんだ」
 私は勢いよく生徒会室の扉を開いた。
「うひゃぁっ!」
 同時にどこか間の抜けた声が響く。
 心底驚いて戸惑っている声。そしてそれは聞きまちがいようがない、私がここにきた目的だった。
「なんだミサキか。びっくりした……」
 チョコ先輩はまだ驚きが抜けていないようで、少し焦ったようだ。けれども後ろ暗いところは微塵もない。
「何してたんですか?」
 私もつられていつもの調子になる。
 チョコ先輩はやはりチョコ先輩で、少し困ったような顔をした。
「見つかっちゃったか……レアもののチョコ貰ったんだけど。賞味期限今日までだったから食べてしまおうと……意地汚くてごめん」
 どうやらチョコを独り占めしようとしていたところを私に見つかったから慌てていたらしい。高校生にもなってそんな。だがそれでこそチョコ先輩という気がする。
「見つかったものは仕方ない。ミサキも一緒に食べよ」
 私の様子など気づかないようで、私にも賞味期限が今日までのチョコを見せてくる。このメーカーは私も知っている。結構なお値段のする老舗メーカー『ブレイン』のチョコだ。
 そしてチョコ先輩は内緒話のジェスチャーで悪戯っぽく笑った。
「共犯だからね?」
 二人占めということで、チョコを食べたことは内緒にしようということらしい。
「……」
 安堵と呆れと少しの喜びが混じり合う中、私とチョコ先輩は存分にブレインのチョコを平らげた。


「ふ〜満足満足」
 ブレインのチョコは高級品らしく、細かい仕切りの中に小さいトリュフがこじんまりと入っていた。
 私とチョコ先輩の二人だけで十分もかからず食べ終えてしまった。
「おいしかった〜チョコ最高!」
 普段シガレットチョコばかり食べている先輩は普段との質の違いに大満足の様子だ。そしてたった今食べ終えたばかりだというのに、もう「明日の分あったっけ」などとこぼしている。
 私は安心したけど、再び不安になって来た。
「……先輩」
「ん〜?」
 チョコ先輩は棚にチョコの買い置きがないかごそごそと確かめている。なんということはない、いつものチョコ先輩。
「信じて……いいんですよね?」
 普段と変わらない先輩を見て安心しているはずなのに。
 なのに私は言いようのない不安が胸の中に広がっていくのを感じていた。
 本当に信じていいのだろうか?
 この先輩を信じて大丈夫なのだろうか?
「せんぱいは、私をひとりにしない。裏切らないって」
 自分の不安を偽ることなく吐き出した。
 誰かに自分の不安をさらけ出すことは怖かった。たとえ他の人にとっては簡単なことでも、私にとってはとても勇気のいる行為だった。
「……ミサキ……」
 チョコ先輩は一瞬不安げに眉を寄せた。
「会長に何か言われたの?」
「え?」
 まさかそこまでピタリと言い当てられるとは思わず、つい間の抜けた返事をしてしまった。
「あの人はいつも思わせぶりだからね〜」 
 チョコ先輩はやはりチョコ先輩だった。
 何かに反応したように見えて、特に気になることはないのかもしれない。
「意図がつかめないフワフワした言い方するから。思い当たるふしがあると気になっちゃう」
 たしかに、早乙女先輩の言い方はそうともとれるかもしれない。
「占いだってそんなカンジじゃん? 言われてみれば当たってる。よく考えると大抵の人に当てはまることなのに。自分のことだって思っちゃう」
 チョコ先輩の説明は確かにそうだ。
 占いが好きな希幸さんなら怒りそうな意見だけど、どちらかといえば私もチョコ先輩の意見の方が納得がいく。
「スピ系? っぽいのが好きな生徒には熱狂的な人気がある人でね。神秘的とかなんとか。実際有能だから不満は出ないし」
 より詳しく早乙女先輩の話を聞くと至極もっともだと思った。本当だ、よく考えなくとも筋が通っている。
 というより、私はなぜ本気で早乙女先輩の言うことをすべて真に受けていたのだろう。なぜかすごく的確なことを言われたような、核心を突かれたような、そんな気になっていた。
「……そう、ですよね」
 しかしこうしてチョコ先輩に説明されてみると、あの先輩の言うことがあっさり崩された気がする。
「もし」
 そして安心させるような優しい声音でチョコ先輩は言う。
「ミサキが不安になったなら、私が言えるのはただひとつ」
 真剣な顔でチョコ先輩は私を見た。
「信じて欲しい……私を」
 それは絶対に果たすべき宣誓のような雰囲気だった。
「私は絶対、ミサキを裏切らないから」
『約束する』
 チョコ先輩の声に誰かの声が重なって聞こえる、そんな気がした。意識して聞こうとしなければ聞き逃してしまうくらいのかすかな音。ひょっとしたら幻聴なのかもしれないとすら思えた。
 私をここまで大事に想ってくれる相手なんて初めてだ。
 盲信は危険だ。
 自分にそう言い聞かせながらも、私はようやく得られた大事な人を信じたいと強く願った。
「……はい。私は先輩を信じます」
『私はずっと』
 どこかから聞こえた声と私の気持ちは見事に同調していた。
 私も、ずっと。
 口に出さないまま心の中で強くその言葉をかみしめた。
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