モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー
エピソード27
鼻腔をくすぐる潮風に私は目を覚ました。
「……」
トンネルを抜けたら市場でした。
私はついそんなフレーズが脳裏に浮かんだ。
ちなみにここに来たかったわけじゃない。私はただ学校に向かっていただけだ。なのに現在、私は市場にいた。
「あれ? お嬢ちゃんどこの子?」
潮の匂いのする発泡スチロールを抱えたおじさんが首を傾げた。市場は市場でも魚市というところなのだろう。
大体正解がわかったきがするが、一応訊いてみた。
「ここはどこですか?」
「どこって……豊洲だけど?」
「……」
ああ、やっぱり。
今日も私は学校に辿り着くことなく迷子になったというわけか。
こんなことなら素直にお兄ちゃんに送ってもらえばよかった。
「社会科見学? じゃ、ないよな、やっぱり」
怪訝そうに首を傾げるおじさんに軽く頭を下げて引き返そうとした私をおじさんは引き留める。
「ちょっと待って」
日の照りようからして正午くらいだろう。さすがに仕事しないにも程があるし、さっさと学校に行かなくては。
「どこの子か知らないけど、せっかく来たんだからさ。お土産」
言いながらおじさんはやや小ぶりの発泡スチロールを手渡してきた。
小さめといっても私からすればなかなか大きくて重たい。中身はおそらく魚だろう。
「セリに出したんだけどさばけなくて。残ったからって持ち帰るのもなんだし。嬢ちゃんにあげよう」
「……」
女子高生としては生魚を貰ってもどうすればいいのか判断に迷う。
「七輪で塩焼きにするとウマいよ!」
まあ、そうでしょうね。
せっかくの好意だ。無下にするのもどうなんだろう。
「どこに行くつもりだったの? 俺ももう帰るところだし送っていこうか?」
「助かります」
本音を言えば魚よりこの申し出が嬉しい。
私一人では学校に辿り着けるのかすら不安でたまらないし。
おじさんは近くの駐車場に止めてあった軽トラックの運転席に乗り込んだ。私も助手席に座る。
「なんか嬢ちゃんってほっとけないというか、なんか親切にしなきゃならない感じがするんだよね」
シートベルトを着けながらおじさんはしみじみ呟く。
「お姫様っぽい感じがするね。育ちが良さそうって言うか」
「そうですか?」
言っておくが、私はお姫様でもお嬢様でもない。ごく普通の一般家庭出身だ。
もしかしたら誉め言葉ではなく遠回しな悪口かもしれないと思ったが、このおじさんの雰囲気からして違うだろう。
お姫様。
この言葉を言われると何とも言えない気分になる。
「……」
私は魚の匂いに包まれながら流れていく街並みをぼんやり眺めていた。
「聖ルイス女学院……ここだね?」
「ええ」
しばらく車に揺られていると見覚えのある景色が見えてきた。
登校するだけなのに、私には冒険のように感じられる。
「お嬢様学校なんだねえ」
「そうでもないわ」
「でも私立なんだろ? お金がかかるってのに、親御さんも大変そうだなあ」
最後のは独り言だろう。
学費は親が出しているから私はよくわからない。それなりの家庭でないと難しいということはわかる。まあ、私の困りごとはお金なんかじゃなく、もっと切実な方向音痴だ。
「ありがとうございました」
「もう迷子になるんじゃないぞ!」
それだけ言って走り去っていくトラックを私は少しの間見つめていた。
「……」
セミの鳴き声は今が一番元気な時期。
私はゆっくり校舎に向かった。
「――」
「――」
生徒会室では何やら盛り上がっているらしい楽し気な声が響いていた。
「ごめん。例によって遅刻した」
その盛り上がりに水を差すようだったけど、ぼんやりしていても仕方がない。
「ああ、雪子さん」
みんなも既に慣れたもので誰一人遅刻を咎めない。
「真白先輩、おはようございます」
「ええ」
おはようという時間でもないけどね。
「お土産ですか?」
引きずっていた発泡スチロールにはお土産の魚が入っている。
「今日はどこまで?」
「豊洲」
ああそうだ、この魚焼かなきゃ。
「七輪ある?」
「たぶんないですね」
やっぱりないか。
じゃあどうしよう。生で食べるわけにもいかないし、調理室でムニエルにでもすればいいのか。
生徒会メンバーで料理ができそうなのは立花くらいのものだし、三島さんはどうなんだろう。希幸はスイーツ専門だし、チョコはなんとなく料理苦手そうだし……。
そんなことを考えていたら視線を感じた。
三島さんが私のことをじっと見ている。
けれども何か考えている風にも見えたので私も特に反応しない。人それぞれ考えていることなんてわからないものだから。
そうして私も書類に書き込みをしたり、予算の見直しや計算をしているうちにあっという間に夕方になった。
私が迷子になっている間に三島さんが活躍していたらしく、立花も希幸も晴れやかな表情を浮かべていた。
口ぶりから、三島さんのサポートが的確だったらしいとわかった。確かに彼女は自分がやるよりも裏方作業の方が活躍できそうではある。
「やったね!」
なぜかチョコが自分のことのように嬉しそうだった。
留守だった私は肝心の三島さんの活躍を知ることはできない。話の輪に入れずにいる私はぼんやりみんなのことを見ていた。
あの頃みたいだ。
お兄ちゃんがみんなの中心にいる中、私はその外から眺めているだけの。
そんなことを考えた私の心に黒インクを一滴垂らしたかのようなシミが広がる気がした。黒は一気に一面を暗く染めていく。
滲み、広がり、浸食していく。
突然体中の力が抜けた感覚があって、それ以降は何も考えられなくなった。
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