モノクロガールズカレイドスコープ ⚙ サイドストーリー
エピソード25
「ふふっ」
希幸は楽しい一日を過ごしたようだ。楽しそうに鼻歌を奏でながらスマホに夢中。
私はどうにか意識しないように包丁を動かしているつもりだけど、どうしても気になって仕方がない。どうしても包丁を持つ手がぎくしゃくする。
娘がせっかく機嫌良くしているのに。
あまり口うるさいことは言いたくないのに。
それでも心配でたまらない。愛情ゆえに言わずにはいられない。
「希幸」
言ってしまって後悔するものの、ずっとこのままではいられないのだからと自分を慰める。
「な〜に、ママ?」
弾むように希幸は返事をする。
自分を宥めるように、あまり強い言い方にならないように。自分にそう言い聞かせながら、冷静でいられるように、慎重に言葉を選ぶ。
「あなた、本当に立花ちゃんが好きね」
皮肉にならないように。
私は内心では緊張していたけれど、希幸はそんな私の気持ちには気づかなかったらしい。
「当然っ!」
希幸の背中越しでもその嬉しそうな顔が目に浮かんだ。
「わたし、立花サマ大好き。優しくて、凛々しくて、しっかり者で。カッコよくて、頼りになって……」
惚気るように希幸は言う。
本当にこの子は一つ年上の先輩、高坂立花ちゃんが好きだ。
「だいすき」
語尾にハートマークでもついていそうな甘い声音。夢見るような柔らかい言い方。
好きと言っても、その好きは先輩としてでも友達としてでもないのだろう。
私には同性愛の感覚はわからない。だから、希幸が立花ちゃんに対して抱いている感情もわからない。
ただ、それは恋愛感情の一言で片付くものではない気がする。
「それ、男の子でもいいんじゃない?」
無意識に、また余計な一言が漏れてしまう。
「!」
言ってしまった後で猛烈に悔やんだ。
なぜ私はいつも、言わなければいいことを言ってしまうのだろう。反射的に口元を手で覆っていた。
「……ママ」
それまでの上機嫌が嘘のように、希幸の声が低くなった。
「どうしてそんなこと言うの?」
「悪かったわ。ごめんね」
否定するようなことを言うつもりはなかったのに。
「……けど」
自己弁護のように私は再び喋っていた。
「立花ちゃんの気持ちは?」
誤魔化すつもりはないのに。
いつかは言わなければならないことだと自分に言い訳をして、私は再び話始める。
「あなたがどれほど好きでも、向こうも同じとは限らない。ましてや女の子同士なのよ?」
私は別に同性愛に偏見があるわけじゃない。
けれども。
よりにもよって自分の娘がそうだとは思いたくなかった。これも十分偏見のうちに入るのだろうか。
「本当に相手のことが好きなら、相手の気持ちも考えないと」
もっともらしい言葉。
本当はただ、私の都合。男の子を好きになって欲しいという私のエゴで言った言葉。
「わたしだって。気持ちなんて考えてもらえなかったけどね?」
私の本音を見抜いたのか、それともはっきり主張したいのか。
昔、お世話になっていた家庭教師の男。あの時のことを思い出したのか、希幸は嫌悪に顔をゆがめた。
「……」
「気持ち悪いのよ」
まただ。
希幸の男性への嫌悪はあの事件が元凶だったのだ。
「男なんかみんなきらい」
思い出してしまったのか、希幸がわなわなと身体を震わせる。
「ごつごつした見た目も。低い声も。汗臭いにおいも。乱暴でガサツで無神経で。近くに寄られると動悸がする」
あの時のことを思い出したのか、楽しそうにしていたはずの希幸は一気に嫌悪の顔になる。
「毎朝の通学だって、いつも吐きそう」
私は後悔していた。
もう遅いけれど。
「きもちわるい」
希幸はそう吐き捨て、勢いよく立ち上がった。
「希幸……」
謝ろうと慌てて呼び止めたけれど、時すでに遅し。
「だから、もうそんなこと言わないで! ほんとはパパもイヤッ!」
激昂した希幸は私の言葉など聞いてはくれない。
「ごはんもいらない!」
吐き捨てるように言って、振り返ることなくリビングを去ってしまった。すぐに乱暴に階段を上る音がする。
独りリビングに取り残された私は途方に暮れるしかなかった。
「……どうすればよかったの?」
あの時、あの男と二人きりにしなければ?
それとも、最初から家庭教師など雇わなければ?
ずっと私も一緒にいれば?
私は希幸を愛しているから。
希幸にはいい教育を受けさせたかったから。家庭教師に教われば私にはできないような高度な教育も受けさせられると思ったから。
希幸にはやりたいことや好きなことを伸び伸び学ばせてやりたいと思ったから。もし才能があるなら存分に伸ばしてやりたいと思ったから。
希望に満ちた幸せな人生を歩んで欲しいと思ったから。だから希幸と名付けた。
子供には豊かで幸せな人生を歩んで欲しい。それはすべての親が思うことだ。
子供の幸せを願わない親なんかいない。
けれど、私のしたことが裏目に出てしまった。
ずっと親が見守っていればよかったの?
勉強なんかさせずに好きなように遊ばせるのが一番よかったの?
放任が一番よかったの?
「どうすればよかったの?」
あの子のこととなると、過ぎたことをあれこれ考えてしまう。そして結局、どうにもならない過去の「もしも」を想像し、私は今日も憂鬱な気持ちになる。
希幸は男の子が嫌いだし、このままでは結婚することもないのだろう。
無理にでも男の子と出会わせればいいのか。それともずっと女の子とばかり仲良くしていればいいと物わかりのいい親のふりをしているべきなのか。
どうすればいいのかわからない私はずっと、最愛の娘と話すのが怖い。
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